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わたしのなかの子ども

シビル・ウェッタシンハ『わたしのなかの子ども』
『わたしのなかの子ども』
シビル・ウェッタシンハ/著 松岡享子/訳
福音館書店
2011.02

メリーさん:今回の3冊を読んで、子どもの本とは何かということをいろいろ考えました。この本はとてもいい本だと思うのですが、基本的に大人向けの本だと感じました。ただ、日本とはまったく違う風景を描いているのに、自然に共感できるところはとてもいいなと。壁に絵を描く場面などは、作者の原点だと思います。湯本香樹実さんが新聞にこの本の書評を書いていて記憶とは現在の一部だと言っています。子どもにはある程度の説明をしてあげないといけないとは思いますが、手にとってもらいたい1冊です。

レン:とてもおもしろかったです。今の日本の子どもとまったく違う生活ですが、大人の私はひきこまれました。特に、まわりの大人たちの輪郭がはっきりしているところがいい。おとなのひとりひとりが堂々と自分なりの生き方をしていて、そこから子どもがよいも悪いも学んでいるんだなと思いました。けれど、今回とりあげた本はどれも、子どもが読む本という感じがしませんでした。この本はルビもないので、もともと子どもに手わたすように作っていないのでは。

優李:ウェッタシンハさんの絵本は、図書室の定番でかなりそろえていますが、この本は小学生向けではなく、司書が読むものかなと思いました。

トム:その世界が遠い気がした。スリランカという国のイメージが感覚として自分のなかに描けないからかもしれません。においや、風など…。80年以上前の生活が、今、いろいろな世代の中で育つ子どもにどう受けとめられるんでしょう?

アカザ:善意の人々が出てくる、宝石箱のような物語ですね。80年以上も前のスリランカの暮らしを丁寧に描き、食べ物や自然の描写など楽しんで読みましたが、正直言って最後のほうになると少し飽きてきました。子どもの読者には、読みつづけるのが難しい話かもしれませんね。わたし自身はピエール・ロチの『お菊さん』を深い意味も分からずに愛読していたような子どもだったので、自分の知らない世界について淡々と描かれた本が好きな子どもは喜んで読むと思いますが、やっぱり大人向けの本ではないかしら。この時代、スリランカはイギリスの植民地で、著者はイギリス文化の影響を受けて、経済的に豊かな生活をしています。読み始めたときは『大草原の小さな家』に似ているかなとも思ったのですが、貧しさとか労働が出てこない点が決定的に違っています。民族に伝わる文化を伝えていくというのはとても大切なことですが、そういうものは経済的に豊かな人々のあいだに受け継がれていくものなのだろうかと、少々複雑な思いを抱きました。対照的な作品として今江祥智の『ひげがあろうがなかろうが』(解放出版社)を思いだしました。

ajian:たしかに、基本的にはとても恵まれている家族のお話ではないかと思いますが、スリランカの人々の生活についてはほとんど何も知らないし、まして子どもの視点から書かれたものを読むことはないので、とても貴重な本だと感じました。なんといっても絵が素晴らしいです。料理の仕方について書かれたところや、縄をなうくだりなど、生活のこまごまとしたところが描かれているのがじつに面白い。悪魔が登場するところは、子どもの頃、祖母から、早く寝ないと山の向こうから何かが僕を連れにやってくるよ、と言われたのを思い出しました。子どもにとっては、怪異なものってずっと身近に感じられるような気がしますが、スリランカの子どもも同じなのかと。ただ、こういう楽しみ方っていうのは、こちらがある程度大人になっているからで、そういう面では、子どもが読むのではなく、大人が読んでおもしろい本ではないかと思います。

優李:子どもの目から見た自分のまわりの世界が、生き生きと詳しく描かれていたので、とてもおもしろかった。かなり裕福な環境で、身近な大人によって「悪意」というものが遠ざけられ、護られていることがよくわかり、そのような環境で育てられることが、自分の個性を生かして自立することを促すのかなあ、などと考えさせられました。ただその一方で、当時のスリランカには大勢のもっと貧しい人々もいたはずなので、そういう人たちの生活はどうだったのだろう、と思いました。そのようなことを知る手がかりになるような資料も、あれば読んでみたい。ここに出てくる大人たちは、みんな素朴で個性豊か。自分の生き方を取り繕うことなどしないで、ありのままの感情を表現して生きている。子どもに対するお母さんの生き方もとても魅力的です。「物売り」の人たちが村にやってくる場面など、昔の日本にもあった「お楽しみ」が本当におもしろかったので、そういう意味でも大人が読むものかも、と思いました。

うさこ:主人公が6歳の記憶を鮮明に描いた記録集。エッセイとはちょっと違うかな。章のタイトルの入れ方が、一編の詩のような感じがして、このあたりの「作り」がおもしろいなあ、と。その家の独特な暮らしとか独特の儀式がとてもおもしろかった。文章はわりと単調だったが、いろいろな想像が膨らんで興味深く読めた。幼い頃は住んでいるところがその子の世界のすべて。その場所や時間を離れて、時間がたって振り返ってみると、その時の日常はまるで別世界のできごとに思える。そこがあって今の自分がある。当時の記憶をここまで鮮明に覚えているのかともちょっと疑問だったが、これはこの人の「作品」として読めばいいんだと思った。

アカシア:小さいときに本当に守られていた子どもの物語ですね。まわりには、守られていない子どももいっぱいいたのでしょうけど、そういう子とは違う。守られていた子どもこそ感受性が強くなり、物語が書けるようになるのかもしれませんね。私はこの作家の『かさどろぼう』(猪熊葉子訳 徳間書店)がとても好きなんですけど、ああした絵本と違ってこの本の挿絵は、リアルなものと漫画風のものが混在していますね。209ページの絵なんか、ひとりだけブタさんみたいな鼻の人がいますよ。そういう部分をふくめておもしろいことはおもしろいんですが、山あり谷ありのストーリーではないから、普通の子どもは読まないかもしれません。好きな子どもは読むでしょうけど。

レン:そうですね。守られているけれど、管理されているわけではな。今の子どもたちの守られ方と違うんですよね。

アカシア:今の過保護な子どもたちは守られているとはいわないでしょう。

レン:スリランカは長く内戦で、たいへんな時代があったから、作者はこういうものを書いたのかもしれませんね。

アカザ:子どもの本はこうあるべき、ということで書いたのかな。身分の差はあったのかもしれないけど、この子の身のまわりには見えなかったのかもしれません。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年6月の記録)


昨日のように遠い日〜少年少女文学選

柴田元幸『昨日のように遠い日』
『昨日のように遠い日〜少年少女文学選』
柴田元幸/編
文藝春秋
2009.03

ajian:自分はちょっと苦手でした。デ・ラ・メアの「なぞ」は以前別の訳でも読んでいて、とても好きな作品なのですが、どうも、柴田さんの訳は柴田さんの文章になってしまって、デ・ラ・メアの感じがあまりしないです。全体として、おしゃれな感じのする、文学好きな人が所蔵しておきたいような本ではないかなと思いました。

優李:最初の4つ続けて気に入りましたので、うまい短編集だなあ、と思いました。その後は「謎」「修道者」を除いてはそれほどでもなかった(笑)。全体の印象としてはけっこう気に入りました。でも、昔少年少女だった「大人の私」が読むと、なかなか雰囲気のある本になっていると思うけれど、YA読者はどうなんだろう? 「今」の少年少女・中学生が読むかなあ? やはり、大人向けではないかと思います。

メリーさん:これも、子どもの本か大人の本かと考えると、やっぱり大人に向けた本なのですよね。それでも、おもしろい作品はいくつもあって、不思議な話よりも情感たっぷりなものがいいなと思いました。よかったのはデ・ラ・メアの「謎」とレベッカ・ブラウンの「パン」。やっぱりデ・ラ・メアは、余韻を残すやり方がうまいなと思いました。レベッカ・ブラウンは、全寮制という閉じた空間の中で、女の子たちだけの濃密な空間の物語。孤高の少女がとても印象的だし、2種類のパンでよくここまでストーリーがふくらむなと感心しました。

レン:こういう本は、高校生だったら、大人の文学への橋渡しとしていろいろな短編を味わえていいかなと思って読み始めたんですけど、『猫と鼠』でくじけました。フィリッパ・ピアスなど、もっとおもしろいのがあるなと思ってしまって。わざわざこれを読ませたいというほどではありませんでした。最後のデ・ラ・メアでちょっとホッとしましたが。

トム:デ・ラ・メアがよかった。ただ自分にとっては野上さんの訳の方が謎めいた世界の凄みを楽しめました。「灯台」は、少年少女の読む物語としてではなく、老灯台守に自分を重ねて読んでしまった。「修道者」は大人になることに抵抗する主人公の気持ちにひかれました。その葛藤を乗り越えていく道筋に重要な役をするのが、世間の枠の外で誇り高く暮らすおばあさんであることがおもしろい。保護者的立場など眼中に無いんですよね。「島」に描かれる大人と子どもの関係を、子どもはどのように受けとめるのでしょうか。

アカザ:「少女少年小説選」とうたっていますが、これも「少女少年について書かれた」もので、「少女少年のための」ものではありませんね。タイトルの「昨日のように遠い日」というのは、なかなか素敵な言葉で、わたしもどこかで使っちゃおうかな!「猫と鼠」は、わたしもちっともおもしろくなかったけれど、あとは大人の読者として楽しめました。「ホルボーン亭」と「パン」がよかったです。特に「パン」は、パンだけのことでこれだけ書けるのはすごいなあと感心しました。おなじような短編集として、日本でもとても人気のあるロシアの作家、リュドミラ・ウリツカヤの『それぞれの少女時代』(沼野恭子訳 群像社)を思いだしました。あれも大人の本ですが、それぞれの少女像が見事に描かれていて、傑作だと思います。

うさこ:私もみなさんと同じような感想です。副題に「少年少女小説選」とあるのを見たとき、今出る本でも副題とはいえ、こんなつけ方があるんだなとちょっと不思議でした。興味深く読み進めたけど、話がわかるのとわからないのと、わかるようでわからいないものがあった。言いかえると、おもしろいと思うものと、そうでないもの、おもしろいかどうかも判断つかないものがあったというのかしら。でも、だれが買うんだろう、この本。読者層がよくわからなかったなあ。あとがきを読んで、「ふーん、こんなのもありか」と思ってくれるととてもうれしいという訳者のことばがあって、私はまさにそんなふうに読んでしまったようで、まんまと「はめられた」みたいです。

アカシア:視点とリズムというのを考えると、これは子どもが読むものではまったくないなと思いました。ここでは、YAでもなんでも子どもが読むものを選ぶことになっているんですけど、選書の方にそれが伝わっていなかったかと。柴田さんが、後書きで世にある子どもの本はつまらないので新鮮な切り口で、というようなことをおっしゃっていますけど、今は子どもの本だって、無垢だの純真だのと言ってるわけじゃないので、もう少し今のをお読みになってから言ってほしかったな。作品としてはつまらなくないけれど、夢中になって読むほどおもしろくもない。大人が大人の視点で作っている物語は、子ども時代を語ってはいても、子ども時代のある1点をすごくひきのばしたり、ゆがんでななめから見たり。でもそれは、大人の読むおもしろさなんだと思うんです。「猫と鼠」は、アイデアだけでこんなに書かなくていいのにと、途中でやめました。アニメ見てればいいでしょ。

プルメリア:「永遠に失われる前の……」とあるのを見て期待して読み始めました。「ホルボーン亭」はふしぎな世界。「パン」は、寮生活している少女達の独特な世界、パンの食べ方に心理描写があらわれているなと思いながら読みました。最後の「謎」も謎めいていて、子どもが一人ずついなくなる不思議なストーリー。子どもの本は読んでいますが、大人の本?はあまり読んでいないので、この本は新しい出会いの1冊になりました。

アカザ:柴田さん、あまり子どもの本は読んでいないのかしらね。

優李:今は子どもの本だって、無垢な子どもなんて出てきませんよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年6月の記録)


しずかな日々

椰月美智子『しずかな日々』
『しずかな日々』
椰月美智子/著
講談社
2006

レン:読みやすいし、ひきこまれてするすると読みました。子どものころをふりかえって書かれているのは最初からわかるのですが、最後に回想が出てきて、大人の本なのかなと。それから、主人公の視点で書いているからかもしれないけれど、おじいちゃんの輪郭がぼんやりした印象でした。もっとつっこんだ人物描写がほしいと思いましたが、このくらいのほうが今の読者には読みやすいのかな。おもしろいけど、ちょっと物足りなかったです。

トム:「しずかな日々」とはいえ、主人公にしてみれば大変な日々。スリランカの子どもと、「昨日のように遠い日」に登場する少年少女と、心の核のようなものが違う気がする。母親が宗教にからむところだけは、はっとしたのだけれど、それ以外はまた表面の静かな日々に戻ってしまう。結論が先にあって怒らない日本人。このおじいさんは、もっともっと言いたいことがあっただろうに。人によって行間の読みがさまざまなのかと思います。最後があまりに静かですけど…。物語に引っ張られて読みました。

アカザ:見事な文章で綴られていて、終わりまで一気に読みました。こういう物語って、3:11以前と以後とでは、ずいぶん感想が違ってくるのではないかしら。いまほど「日常」という言葉が大切に思われる時代はないのでは? そんな静かな日々=日常が淡々と続いていくなか(本当は「静か」でも、「淡々と」でもないけれど)で、少年たちが少しずつ成長していく様子が心に残ります。そのなかで、お母さんの存在がすごいですね。美しいメロディのなかに不協和音が混じっているような。このお母さんのおかげで、ストーリーがとてもリアルになっていると思います。私は、日本の創作児童文学をそんなに読んでいないのですが、良し悪しは別として現実の社会にじわじわと入りこんでいるスピリチュアルなものが子どもの暮らしや心に与える影響について書いたものは、あまり無いように思うのですが、どうでしょう?

うさこ:男子、夏休み、おじいちゃん、男の子の友情と、『夏の庭』(湯本香樹実著 徳間書店/新潮文庫)を思わせるような設定。出だしの印象から、小5の夏、この主人公の転機が訪れるのだろうな、と予想できます。小5の男の子の世界は単純で、無意味なことをするというのはよくわかる。自転車で出かけるシーンなどは、すごく共感できました。おじいちゃんの漬け物をおいしいというところは少し前の少年だからかな。本を閉じた後、タイトルの「しずかな日々」は、ちょっとパラドックス的なつけ方だなと思う一方、作者がこめた思いはもっと深かったのではないかな、とも思いました。そして、作者は子どもを読者と想定して書いてはいないのだなとも。大人になった自分が読んで、ふうんと思える部分はありますが、読み手に投げていて、今の子どもにそのまま手渡せる書き方ではありませんでした。

アカシア:今日の3冊の中では、後の2冊が大人の読者向けなのに対して、これだけはYA向けだと言えると思います。いちばん子どもの視点に近いです。ここには半分しか守られていない子どもが書かれています。書かれようはしずかなんだけれど、中ではドラマがある。この子は、一生懸命しずかな日々を送れるように頑張っているわけですから。おじいさんの存在がくっきりしなくてステレオタイプという意見がありましたが、母親とやりあってしまったら興ざめだし、そっちに焦点が行ってしまうので、ここは主人公を支えるという役目を果たしているんだと思います。読者はやはりYAでしょうね。もっと読者対象が下だと問題が解決しないまま終わらせるわけにはいきませんが、YAなら解決できないことは、そのままでも終われる。『ダンデライオン』(メルヴィン・バージェス著 池田真紀子訳 東京創元社)だって『チョコレート・ウォー』(ロバート・コーミア著 北沢和彦訳 扶桑社)だって、解決されないまま終わってますもんね。

プルメリア:学校の生活場面がよく描かれているし、登場人物一人ひとりの心情がわかりやすい。ひと夏のお話だけど、縁側、ペットボトルではない麦茶、ラジオ体操など、今とは少し違う夏の風物がきちんと描かれています。今の子どもたちには、なじみがないので、こういう作品で伝えられたらいいなと思いました。新しく友達になった押野のキャラクターが子どもらしくてとてもいい。彼の力によって主人公がいろいろなことにチャレンジしてできるようになる過程がたのもしい。スーパーでお母さんに会う場面はインパクトがあってどきっとしました。ちょっと前の子ども達の生活スタイルが書かれているのもいいなと思いました。

ajian:個人的に僕は祖父母と暮らしていた期間が長かったので、その時の記憶を重ねながら読んでいきました。ただどうも、自分の体験と比べて恐縮ですが、きれいに書かれすぎている印象があります。井戸水や、昆布でとっただし、つけものなんていうアイテムがそこここに登場しますが、どこかロハス臭がする書き方。自然派志向というか『かもめ食堂』(群ようこ著 幻冬舎)的というか……。好きな人は好きでしょうが、やっぱり人を選ぶでしょう。主人公が自転車に乗って、この道はどこまでもつながっている、と思うところ、こうした感覚はたしかにあったなぁと思いました。よく書けていると思います。最後の母親について書かれたところ、それまではわりあいおもしろく読んでいたのですが、もやもやっとしました。母の状況については、ずっとほのめかすような書き方で、向き合うわけでもなく、息子が最後にさらっと結論をくだしていて、よくわからない。文庫の帯で北上次郎さんが「自分はいま傑作を読んでいるのだ、という強い確信を抱いた」と書かれていますが、読み終わったときの感想も聞いてみたかったですね。

優李:その意見を聞くと、小学校の図書室には置かなくていいかな(笑)と思いました。文章がうまくて、どんどん読めてしまいます。「おじいさん」や「おかあさん」の描き方が、私にはちょっと物足りなかったけど、私がおとなだからかな。子どもの描き方はとても生き生きとしてよかった。特に自転車のシーンは、私も子どもの頃、夏休みに自転車でずいぶん遠くまで走ったことがあって、共感できました。最初の6歳の時の場面、お母さんとおじいちゃんのあの冷たいやりとりから、その後の僕とおじいちゃんの「関係」が短期間で成り立つということに、ちょっと疑問があったけれど、人生を肯定する「希望」がある本なので、いいなあと思いました。

メリーさん:最初にハードカバーで見かけたとき、児童文学の著者だけれど、この表紙なら大人向けの本だと思って読まなかったんです。夏とおじいさんというテーマで、すぐに『夏の庭』を思い出しました。子どもの本の作者というのは、もちろん大人なのですが、読者である子どもが読んだとき、どうしてこの人はこんなにも僕の気持ちがわかるのかな、と思わせるのが子どもの本だと思います。この本は子どもの頃を振り返るという設定になっていますが、子どもにとってこの時代はまさに現在進行形の「今」。やっぱりこれも大人の本だと思いました。いいところもたくさんあって、主人公のおじいさんと友人の押野が元々の知り合いだったことを知って、大事なことは根本のところでつながっていると感じるところとか、友人のことをよく見ていて産毛が見える様子とか、スイカに塩をふると大人っぽく思うところなど、そういうことある!という記述はたくさんあります。別れるのが嫌だから、最初から友だちを作らないで気持ちをセーブするなんていうのは大人っぽいけれど、子どもはそういうことを真剣に考える。一方で「心配事は杞憂だった」とか、「藺草の清らかな香りが鼻をくすぐる」という、子どももきっと感じているであろう感情を、大人の言葉を使わずに書いてくれるともっとよかったなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年6月の記録)


彼岸花はきつねのかんざし

朽木祥『彼岸花はきつねのかんざし』
『彼岸花はきつねのかんざし』
朽木祥/著 ささめやゆき/絵
学習研究社
2008.01

酉三:広島原爆とキツネの話がしっくりいっていないと思いました。木に竹を接いでいる感じ。被爆二世として、原爆のことを若い人に伝えていこうという思いはわかるけれど。このテーマに再度挑戦してほしいと思いますね。

優李:原爆を描くのはなかなか難しいことですね。也子ときつねの子とのさまざまな関わりが深まっていくのを楽しみながら読みすすめていくと、本当に最後に、という感じで原爆がやってくる。私のように年を取った人には、原爆についてのたくさんの予備知識がありますが、全く知らない子どもたちにはわからないのではないか、とも思いました。ささめやゆきさんの絵は、とてもすてきでいいなあ、と思います。

メリーさん:テーマは戦争との関わりということでしたが、あまりそれを気にせずに読みました。あたたかい感じのする方言がきいていたと思います。子ぎつねがかわいいし、主人公の女の子がきつねに見つからないようにとえくぼを隠すのもかわいらしい。そんな中で、通奏低音のように、戦争が背景になっていて、じわじわと感じさせるところがこの本のいいところではないかと思いました。子どもの本のジャンルの中には、これまでずっと戦争と子どもとの関わりという部分があって、戦争の悲惨さを説くことが多い気がしますが、これは日常を丁寧に描くことで、逆に戦争を浮き彫りにしているのではないかと思いました。そんなことからも、『夕凪の街 桜の国』(こうの史代/著、双葉社)を思い出しました。あのコミックも、戦時中ながら、明るくちょっぴりぬけたキャラクターを中心に描かれていて、戦争という非日常の中で、たくましく生きていく人々を描いていました。そんな対比がこの物語にも出ているのではないかと思いました。

ナットウ:言葉が統一されていないので、雑多な感じがありました。たとえば72ページの地の文と会話文での、小さい/こまい。方言が多いので子ども向けの場合だと読みづらいかなと思いました。全体的に哀愁ただよう作品で、ラストは狐がどうなったか気になります。化かす/化かされるという行動の結末についても知りたいと思って読んでいましたが、それを原爆がうやむやにしてしまう。そこにリアルな当時の現状を反映させているように思いました。同じヒガンバナ科に「キツネのかみそり」というものもあります。彼岸花は死人花とも言われているので、手向けの意味で彼岸花を用い、狐の死を表現しているのかなと思いました。

タビラコ:朽木さんは『風の靴』(講談社)のような作品より、『かはたれ』(福音館書店)など、日本の風土に根差した作品のほうが、ずっと上手だと思いました。詩的な文章も奥深かったし、ささめやさんの絵も物語を一段と引き立てていますね。きつねの子のかわいいことといったら! ただ、原爆が天災と同じように描かれていて、遠くの風景のように感じられたのですが……。もちろん、主人公の家で働いているおじいさんは亡くなったし、主人公もガラスのかけらで怪我をしていますけれどね。小学生のときに『原爆の子』や『ひめゆりの塔』を見て、第五福竜丸の事件もリアルタイムで知っている私などの世代としては、正直言ってなにか物足りない感じもしました。とはいえ、「戦争もの」に拒否反応を示す子どもたちも少なからずいるということを、この読書会でもよく耳にしますし。今の子どもたちに戦争をどうやって伝えたらいいか、いろいろな手立てを考えるのが大人たちの使命だと、つくづく感じさせられました。

シア:非常に気に入りました。すごく印象の強い一冊です。今回は『ムーンレディの記憶』で一度挫折してから読んだ本なので、特にそう感じました。表紙のイメージだと、自然や田舎に関する内容のように思えますが、中を開くと戦争に関する記述が目に飛び込んできたので、よくある戦争の本かなと思いました。子どもは日々そういうものを押しつけられている(とくに夏には)ので、戦争ものは拒絶されがちですね。でも、そんな中で、この本はすらすら読めます。訛りや戦時中の言葉を、同じページ内の注に入れているのが便利でしたね。大人の本のように、何度も後ろのページを開く必要がありません。この注の入れ方は、どんどん取り入れて欲しいですね。ただ、広島弁については、もう少し注を入れてもいいかなと思いましたが、方言自体はかわいいなと感じながら読みました。
 とにかくこの本は子ぎつねがかわいくて、29ページのセリフから心をわしづかみにされました。物語というのは、かわいい・楽しいばかりのストーリー進行だと、話の流れは徐々にかわいそうな方向へ流れていくものなので、ページをめくっていくのが、逆につらくなりました。いもとようこさんが絵を描かれた『そばのはなさいたひ』(こわせたまみ/著、佼成出版社)という絵本があるのですが、この物語も登場人物がとてもかわいらしかったのを思い出しました。『そばのはなさいたひ』ではラストでかわいい登場人物が死んでしまうのがつらかったのですが、今回の本では子ぎつねの消息がわからずに終わっています。そこが違いですね。周囲の登場人物たちがどうなったのかわからない、というのが戦争のリアルさを表しているように感じ、日本にとって身近な悲惨さを表しているように思いました。本の裏表紙に学年別表示が「中学年から」とありますが、高校生にもすすめられる作品だと思います。しかし、学年表示があると、読者を限定してしまうのでよくないと感じます。保護者や教員が、子どもっぽい本だと決め付けてしまい、避けてしまいます。どうしても表示したいのでしたら、「〜おとなまで」をつけた方がいいのではないでしょうか。絵本は最近では全年齢扱いになってきましたが、まだまだ教育界での本への偏見は根強く、名作以外の本、とくに児童向け作品は選定から落ちやすい状況です。「3歳から100歳まで」とかにしたらまだいいかも?

プルメリア:きつねがかわいいなと思いました。開けてみて、戦争・彼岸花。各章ごとに必ず挿絵が入っているのが印象に残りました。物語にいろいろな植物がたくさん入っているので、季節感があり田舎の自然がわかりやすかったです。だんだんと戦争に入っていく雰囲気、当時の人々の様子や生活が子どもにもわかりやすく書かれています。戦争の本はたくさんありますが、自然体の本かな。この作品を読んだ子どもの反応は「きつねがかわいかった」でした。今年から教科書が変わって本の紹介がたくさん出ています。この作品は光村図書4年生の「ひとつの花」の後に紹介される本の1冊です。少しずつ戦争色が表れてくる内容なので、戦争を知らないこどもたちには最初から「この本は戦争の本だよ」といって与えたほうが、いいかも。戦争についての作品だとわかっていながら読めば、きつねだけに印象が偏らないと思います。

ハリネズミ:戦争の取り上げ方についての意見がありましたが、最初から「戦争の本だよ」というと嫌がって読まない子も多いかもしれません。でも、言わないと、戦争のことだとわからなくて、きつねの印象だけが強く残ってしまうんでしょうか。難しいですね。

プルメリア:さっきの子は、挿絵がかわいいきつねに視点がいってしまったんだと思います。ただ、これから後になって戦争について学習したときに、「あの本は戦争があった頃のことが書かれていたんだ」と思い出すかも知れないので、その時に気づけばいいのではないかと思います。

ダンテス:昔のお金 持ちの、ほんわかした雰囲気がよく書けている。自分の地元の言葉を生かして書いているのでしょう。きつねがどうなったかわからない形で終わらせるのが、会いたいのに会えないという余韻を残している。被爆の体験も 直接は書いていない。またきつねに会いたいなという終わり方はうまいと思います。

ハリネズミ:この本は好きな一冊です。こういう形で出していけば、子どもが戦争に拒否反応をおこさないで受け入れられるのではないかと思いました。この著者の文章が私は好きなんですが、子どもの気持ちをよくすくいあげていると思います。きつねのかわいさも子どもをひきつけるし。通奏低音は切ないのですが、大きな死はなく、日常を淡々と書いているのがいい。おばあちゃんきつねは、人間のおばあちゃん、おかあさんきつねは人間のお母さん、子ぎつねは人間の子どもの前に現れるんですけど、きつねの寿命と人間の寿命は違うので、リアリティを考えると変だな、と思いました。きつねの寿命のほうがずっと短いですよね

けろけろ:この本の担当編集者として、みなさんのお話をうかがいました。まずは、読んでくださってありがとうございました。
 朽木さんは、プロフィールに被爆二世と書かれていることからもわかるように、原爆というテーマについて、ぜひ作品を書きたいというお気持ちがあったと思います。『はだしのゲン』(中沢啓治著、汐文社など)が怖くて読めない、という今の子どもたちに読んでもらえる話にするには、どうしたらいいかと、いつも考えられていたのではないでしょうか。そして、自分のいちばん近くにいる家族やペット、友人、当たり前のようにあった日常が突然、ぶつっと切られてしまうということを表現しようと考えたのだと思います。これなら、今の読者にも簡単に想像できることです。原爆で引き起こされる悲惨な表現よりも、こちらに集中しようと。それに対する大人の読者からの「表現がたりない」というような批判も、覚悟の上だったと思います。
 もちろん、著者の持ち味である端正なファンタジー世界も、生き生きと描かれています。作品の生まれるきっかけは、子ぎつねが「あたしわりあい化かすのうまいんだよ、化かされたい?」と話しかけてきたことと聞きました。ささめやゆきさんの子ぎつねの絵が入って、この作品世界がとても絵画的であることが改めてわかりました。とてもいい絵をいただいたと思います。
制作の過程で注意したのは、原爆の話だよというインフォメーションを少しずつ織り交ぜたことです。また、広島弁については、著者はとても苦労されました。話し言葉をそのまま書くと、文面が読み取りにくくなるので、かなり音読して読み返し、書き直されています。
今回の震災のとき、窓ガラスがひどく揺れて割れそうになったのを見て、私の娘は「彼岸花」の原爆のシーンで、主人公の腕にたくさんガラスがささった場面を思い出したと言っていました。原爆のすべてをこの作品でわからなくても、成長しながら少しずつ思い出したり、思い当たったり、原爆についてもっと深く知りたいと思ってもらえるようになっていってくれたら、うれしいと思います。

酉三:被爆体験が届かない、と嘆くのではなく、届かせようと工夫するのは大事。たしかに被爆の現実は強烈で、うちの子は、小学校2年生のときに長崎原爆資料館に連れて行ったのですが、写真や資料にショックを受けて、展示室を飛び出して行ってしまった。だからこういうことへの最初の出会いをゆるやかなところから始めるというのは、考えていいのかもしれないですね。

タビラコ:けろけろさんのお話を聞いて、感動しました。作者と編集者のこの作品にこめた思いが、よくわかった気がします。わたしの読み方が浅かったかな。それに、震災の前と後とでは、子どもたちの読み方も変わってくるのではないかと思いました。より主人公の心に寄り添って読めるようになったのではないかな……と。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年5月の記録)


ムーンレディの記憶

カニグズバーグ『ムーンレディの記憶』
『ムーンレディの記憶』
E.L.カニグズバーグ/著 金原瑞人/訳
岩波書店
2008.01

プルメリア:大変おもしろく読みました。表紙も気に入りました。登場人物は数名で性格がわかりやすく、女性3人の個性は一人一人違い、それがおもしろかったです。ゼンダー夫人の家の中がゴージャスで、着ている洋服のファッションの印象が強い。モディリアーニの絵が出てきますが、とても気になって一気に読みました。4つの時代について分かれて書かれているのが、さすがカニグズバーグはすごいなと思いました。

タビラコ:プルメリアさんが違う本のことを話していると思ったのでは、シアさん?

シア:訳がいまいちなのか、読むのに苦労しました。前ふりが長すぎます。肝心のモディリアーニの絵が出てくるのが、かなり後。どうでもいい描写というのがだらだら続きます。海外の作家にはよくありますが、それにもまして訳がよくないように感じました。主人公の口癖に「断然」というのがありますが、今の子も言わないと思います。文化の違いを楽しめるというところに海外文学のおもしろさがありますが、この本はおもしろくありません。例えば、69ページに「食器室から出て手をのばし、皿を受け取った」うんぬんとあります。大きい部屋なのに、出て手を伸ばして受け取れるのでしょうか? 位置関係がわかりにくいですね。金原瑞人さんにしては珍しいことに、あとがきに前半部分のあらすじが書かれており、それを読んで内容がよくわかりました。そういうつまらないことが気になってしまうくらい、物語に入っていけない本でした。

タビラコ:『スカイラー通り19番地』(カニグズバーグ/著、金原瑞人/訳、岩波書店)は、読みやすかったのにね。この本が出る直前に、作者が講演の中で内容について話すのを聞いていたので、とても期待して読んだのですが、読みにくくて、なかなか物語の世界に入っていけませんでした。いろいろな人の視点から書いているからかしら? カニグズバーグという作家は、いつも頭のいい読者に向けて書いていて、「子どもだからこういうことは難しい、だから書かないでおこう」というような妥協を一切しない人なのだなと、つくづく思いました。そういう点は天晴れというか、ある意味、好感が持てるのだけれど。
翻訳も難しいでしょうね。ウィリアムの母親の「そうなの」という口癖や、アメディオがくりかえす「断然」という言葉など、英語圏の読者には「ああ、こういう口癖の人だったら、こういう性格だろう」って、すぐにわかるでしょうけれど。29ページの「ゼンダーさんじゃないですよね」「そうなの、違うわ」という会話など、一瞬「訳、まちがえたの?」と思ってしまいました。それから、130ページに「コラードグリーン」という野菜が出てきますが、これはいわゆるソウルフードで、『被差別の食卓』(上原善広/著、新潮選書)によれば差別されていた人たちが食べる食材であって、わたしのささやかな経験からいえば、これを食べるとか食べないということに関してアメリカの人たちには微妙な心の揺れがあるようなのですが、そのあたりのニュアンスも日本の読者にはわからないですよね。翻訳ものの難しい点だと思います。料理の仕方にもよるでしょうけど、私が食べたのは、小松菜の煮びたしみたいでしたが、すーっごくまずかった! この作品は、内容からいえば80歳を前にした作者が「スカイラー通り」よりずっと書きたかったことではないかと思うし、訳者の金原さんがあとがきで言っているとおり、心から拍手をおくりたいのだけれど……。

けろけろ:私は、カニグズバーグが好きなので、喜んで読みました。ただ確かに入りにくいなということはあった。最初のところで、ウィリアムとアメディオの関係がつかみづらかった。おそらく地の文が、一人称っぽかったり三人称っぽかったりして、安定していないというのも理由のひとつかと思いました。「スカイラー通り」と人物が重なっているとあとがきに書いてあり、そうだったっけ? と、読みなおしてみたりして、また楽しめました。そっか、ピーターさんは、ここでもいいやつだったっけなと。ピーターをはじめ、カニグズバーグの作品は、大人の個性がそれぞれきちんと描かれている。このへんは、日本の作品にとても参考になるんじゃないかと思いました。

ナットウ:すみません。理解しよう理解しようと思いながら2回読みましたが、なかなか頭に入らなかったです。ただ、大人の日常会話が上手いなと思いました。ゼンダー夫人はキャラクターがたっていてすごくよかったので、この人物のその後が知りたいと思いました。大きな展開は少ないのだけれど、出てくる言葉がよかったです、特に「人は十パーセントしか見えていない」という言葉は素敵。

メリーさん:カニグズバーグということで期待しながら読みました。伏線をはりめぐらせながら、結末まで持っていくストーリーの運び方が秀逸だと思いました。主人公は、有名になりたいわけではなく「発見されて初めて行方不明だったことにみんなが気づく」ことを発見をしたいという、同年齢の子どもの一歩先をいっているようなキャラクターなので、特に本好きの子どもたちが共感するのではないかと思いました。モディリアーニのファーストネームは、主人公と同じ「アメディオ」なんですね。ジョン・ヴァンダークールの手記で描かれる戦時中の記憶が、現実の絵や住人と重なっていくラストは鮮やかだと思います。一枚の絵画によって命拾いをした人がいる一方で、それによって命を奪われた人もいる。それ以上に、生きる希望としての芸術というものもあるのではないかと考えました。文中、美術展での1枚の絵を鑑賞する時間は45秒ということが書いてありましたが、これもおもしろい。実際はもっと短い気がしますが。絵を見るということは、時間を追体験することだと思います。モデルになった人がいて、描いた人がいて、それを見て感じる人がいる。大人になっても、この想像力を働かせるということを続けてほしいなと思いました。

優李:「断然」が、きっとインパクトある言葉としてたくさん使われているのだろうけれど、日本語としてしっくりこないので、読んでいる途中でかなりひっかかります。でも、筋立てにどんどん引き込まれて、引っかかる部分は、はしょって読みました。今使われている日本語で、しかもぴったりくることばに訳すということは、ずいぶん難しいことなのだとわかりました。大人が際立ってる、とおっしゃった方がいましたが、アメディオやウィリアムが利発なニュアンスのわかる子として描いてあるのに、アメディオとウィリアムのお母さんがもっとたくさん描かれてもいいと思いました。非常によいセンスとさまざまな人間と関係を築くことのできる力を併せ持つウィリアムのお母さんはともかくとして、アメディオのお母さんは、脇役としてもパターン化している。ピーターのお母さんが、後半の後半、自分をはっきり出す、という方向にキャラクターが変わっていくように、アメディオのお母さんももう少し描かれてもいいのでは、と思いました。物語の前段は後半に較べてちょっと長い印象でした。

酉三:カニグズバーグはユダヤ系ですよね。これまでの作品ではそのことを感じさせることはしないようにしてきたように思いますが(いくつか読んだ限りの印象ですが)、今回はいわば民族の悲劇をとりあげた。中心をなすストーリーはまことに劇的でひきつけるものがある。が、そのストーリーを語ることに気をとられて、物語のリアリティを生む細部が充分描かれていない。気持ちはわかるような気がするんだけど、それが残念です。

ダンテス:私は描写が大変に細かくてみごとだと思いました。フロリダなどのケバエの描写や、プール付きの家など実際に行かないとわからないようなアメリカの描写が丁寧。アメディオの母親は脇役。ガレージセールの話ですけど、ローカル新聞には 毎週どこどこでガレージセールがあると出ています。金曜・土曜にあるのが高級ガレージセール。金曜日に行くと普通は入れない大きなお屋敷に入れる、そういうことで自分は行ったことがあるので、大体イメージできました。いいものは先に業者がつばをつけている。そういう業界に関しても、すごくリアルに書かれている。物の価値がわかる人を評価しているのでウィリアムの母親はすごい。『クローディアの秘密』(カニグスバーグ/著、松永ふみ子/訳、岩波少年文庫など)は 印象的な作品でした。ミケランジェロの作品であるかどうかとか、本物を見つける話とかの話で、メトロポリタン美術館に持っていって読みました。 モディリアーニの「g」は本当は発音しないのではなくてイタリア語の独特の音があるのだが、アメリカ人にとっては「g」は読まないように見えるわけで、それを発音する業者をからかっている点も面白い。元オペラ歌手という人物設定、キュレーターという人物も面白かったです。ヒトラーの退廃芸術に対する本心の態度については予備知識がないのでわかりませんでした。『古書の来歴』(ジュラルディン・ブルックス/著、森嶋マリ/訳、武田ランダムハウスジャパン)という本がありますが、ナチスがユダヤの本を取り上げようとしてそれに命がけで抵抗する話なんです。それも連想しました。ヒトラーは他国から芸術作品を強奪してきて実は自分のものにしたかったのか、退廃しているからこの世から消そうとしていたのか、本心がよくわかりませんでした。「断然」という訳については、私も気になります。

けろけろ:外国の作品はむかしから、訳語を見て、どんなニュアンスで使われている言葉なのだろう?とわからないながら読んでいることが多いですよね。そういうものだと思って読んでいるところがある。

ジラフ:ヒトラーの美術品に対する複雑な態度は、若いころに画家志望でありながら、美大に落ちて画家になれなかったという、深い挫折感が関係しているのでは。それと、ヒトラーの民衆を煽動する才能、プロパガンダのうまさには天性のものがあったことは、よく知られています。美術、それもモダンアートという象徴的な力を持つものに、「退廃芸術」というレッテルを貼って、おとしめることでの効果を、ヒトラーは直感的に熟知していたんじゃないでしょうか。好き嫌いというよりも、一種の政治的なポーズだったのでは。その意味では、カニグズバーグ自身も戦争の影を描くのに、一枚の絵というモチーフをうまく使っていると思います。『クローディアの秘密』も『ジョコンダ夫人の肖像』(カニグズバーグ/著、松永ふみ子/訳、岩波書店)もそうでしたが、芸術作品とその謎をライトモチーフに物語を進めていくうまさ。これもカニグズバーグの持ち味だと思います。本筋とは関係ないですが、95ページの「だけど、だれかと友だちになるときはいつも、じぶんの一部をさらけ出すんじゃない?」とか、266ページの「境界は人をあざむくこともあれば、人を救うこともある」なんていう、人生の箴言みたいなことばをさりげなく、会話の中にすべりこませているところも、カニグズバーグらしいな、と思いました。

ハリネズミ:私は訳にどうもひっかかっちゃうんですね。カニグズバーグはそう簡単に翻訳できない人だと思うんです。日本の子どもたちにもイメージがわくように補ったり、微妙なニュアンスを読み解いたりしないと訳せない。たぶん原文では、暮らし方や話し方でこういう人物だと伝えてるんだと思うんですけど、それがうまくこっちまで伝わってこない。だから頭には届くけど、心まで届かないもどかしさがあります。私は、16ページの4行目「この日は〜思っていた」のところでなぜその人が電話線を切らなきゃいけなかったのかわからなかったんですね。89ページでピーターが封書を開けたとたん、の描写も分りにくい、物語のポイント、ポイントに焦点が当たるようになっていない気がしたんです。たしかに訳はむずかしいでしょうね。アマゾンで原書の最初のところを読むと、日本語でケバエってなってるのはlovebugなんですね。交尾している虫が出て来てアメディオは気になっていますが、lovebugは単なる虫の種類を言ってるだけじゃない。英語を読んだほうがきっとうまくつながっていくんでしょうね。

けろけろ:電話線のところは洒落じゃないかな。母親は密かにこの男が電話線を切ったように思った。というのは、共同出資したくなるように仕向けたのでは。相手にも出したいと思うのではないか。ん?よくわからないかも。読み飛ばしていたのかな?(笑)

ダンテス:アメリカの電話会社は、AT&T以外にもいろいろあって激しい競争をしている。自分の会社の携帯では通じない地域にセールスに入ってそこで通じるようにしたら、また引っ越していくという家族なんじゃないかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年5月の記録)


モーツァルトはおことわり

マイケル・モーパーゴ『モーツァルトはおことわり』さくまゆみこ訳
『モーツァルトはおことわり』
マイケル・モーパーゴ/作 マイケル・フォアマン/絵 さくまゆみこ/訳
岩崎書店
2010.07

ダンテス:とっても気に入りました。素敵な作品です。いいお話でした。絵も美しくて楽しめました。モーツァルトの音楽が、強制収容所の囚人たちをだますために使われていたということをはじめて知りました。

酉三:文句なしによかった。これを最初に読んだから、後の2作の評価が辛くなったという気すらします。戦争とは何だったか、ユダヤ人虐殺とは何だったか、それがその後も人々にどんな心の傷を残したか、そういったことを若い人に無理なく伝えてゆく作品になっている。それにしても、これから殺されようという人たちに最後の音楽としてモーツァルトを聞かせるというドイツ人の残酷さ。ユダヤ人たちに「いつかは自由になれる」という歌を歌わせたということもあったそうで、ほとんど悪魔的。恐ろしいですね。

優李:絵も優しくて魅力的、訳もたいへんいいと思います。感動がしみじみと伝わってきました。YAだと対象は中学生くらいですが六年生にはぜひすすめたいです。

メリーさん:この本は、東日本大震災前とその後では読んだ感想が変わるなと感じました。大災害にあったときに、文化は何ができるか。すぐに腹の足しにはならない芸術、文化。だけど、それにはきちんと役割があるのだと再認識した本でした。32ページの「音楽はすばらしい世界をつくるのに役立っている」という言葉はまさにそのとおりだと思います。ただ、それは生きる糧であっても、それを生きる術にするということについては考えなければならないことだと思いました。本の帯文には、「音楽で戦い」とありますが、バイオリニストらは、音楽を武器にしてしまったことを悔やんでいたのではないかと思います。本来は純粋に鑑賞すべきものを、他人を蹴落とし自分が生き延びる「武器」にしてしまった。もちろんそれは仕方ないことだったでしょうが、だからこそ戦後はそうしてはいけないと思ったのでは。それにしても、物語と絵がぴったりとあってとてもいい本だと思います。絵本と読み物の中間であるこの形は、今なかなかないと思いますが、原書はどうだったのかも気になりました。

ナットウ:お父さんの理容室の仕事をしている時のリズムが印象的。音楽が好きな気持ちがよく表現されていると思いました。インタビューするタイミングがよかったのだなと理由も自然に納得できます。強制収容所に連れていかれた人たちや3人の追悼の為にもひそかにモーツァルトの演奏の練習をしたのだろうと思って涙が出ました。裏表紙のベニスの日の出が印象的です。ベニスの日の出と共に描かれたユダヤ人の姿を見て、明るい未来、明日を願っているように感じました。

けろけろ:この本は、YAくらいの読者が向いていますね。でも、売ることを考えると、この体裁でYAって、棚の置場には困るかもしれません。でも、絵がいいので、こういう大きさで見たいですよね。一瞬インパクトに欠けるような絵に見えますが、いい味を出している絵だということがわかりますね。37ページ「秘密は嘘なんだよ。愛している人達に嘘をついてはいけない」と、お父さんが子どもパオロに言うシーンと、冒頭のインタビューで「秘密は嘘になる」と言った大人パオロのシーンが生きていてとてもいいと思いました。ひとつ気になったのは、32ページの後ろから3行目「ぼくが持ってきたバイオリン」のところ。ここと、このあとのもう一か所だけ、「ぼく」と訳されています。「わたし」のほうがいいのかどうか。どちらがいいか、よくわかりませんが、訳すのが難しかっただろうと思いました。

タビラコ:本当に一人称の訳しかたって、難しいですよね。英語みたいに「I」だけで片付けられれば、どんなにかいいのに! 「わたし」と「ぼく」、「ぼく」と「おれ」の中間の言葉が無いものかと、いつも思います。この作品は、とてもよかった! モーパーゴの作品は邦訳もたくさん出ているけれど、どうもいまひとつ詰めが甘いという感じですが、この作品はちがいました。モーパーゴって、本人もすごく「いい人」で、ダブリンで小さなグループに自作の近未来を描いた短編を朗読してくれたことがありましたが、得体のしれない軍隊にのどかな村全体が滅ぼされてしまうという、その話を読みながら手放しで号泣していました。そういう人柄のよさと、ストーリーの作り方の上手さが、よく出ている作品だと思います。翻訳の上手さは言うまでもないことですが、語り手によって敬体と常体を使い分けたり、字体を変えたりしているところも、さすがだと思いました。音楽って理性ではなく感性に訴えるもので、天使と悪魔の両面がある。その両面がくっきりと描きわけられていますね。わたしはフォアマンの絵のなんともいえない青と、オレンジがかった赤が好きですが、この本の中ではヴェネチアの場面にその素晴らしい青と赤が使われていて、うちの中は暖かい茶色で描かれている。反対に強制収容所は、グレーと陰鬱な茶で見事に描きわけられていますね。私はモーツァルトの作品が好きでよく聴いていますが、この作品を読んだあとは前と同じようには聴けなくなりました。それほどインパクトの強い作品でした。

シア:青い色彩がとにかく美しくて、一番先に読みました。今回の3冊の中では、完全に雰囲気勝ちしてますね。このサイズだと棚に置きにくいかもしれないけれど、子どもには目につきやすい上に、サッと手にとって見やすいサイズだと思うので、現在公共図書館で人気があって予約できないのもうなずけます。ぜひ子どもに読んでほしい作品ですね。絵本のような装丁のわりには大人も子どもも、そしてプライドが高い子も読みやすい作品です。話の内容も正統派だし、完全なる優等生的な作品だと思います。誰からも気に入られるいい子ですね。物語もストレートでわかりやすいですし、戦争の爪痕についてもわかりやすいし、飽きないし、音楽の持つ力を感じられたし、最後にはジーンときますね。しかし、あえていうならば、値段が少し高いかもしれません。戦争の本はどんなに読んでも、どうしてもこれまで他人事だったけれど、震災後の今、ぜひ読んで欲しい1冊です。

プルメリア:夏休みに題名を見て、いいネーミングの本だなと思いました。挿絵がとても素敵でヴェネチアに行ったことがあるのであのへんかなとわかりました。文章もわかりやすく現代・過去・現代の構成もいいです。中野区立図書館ではYAになっていますが、小学6年生ぐらいだとわかるんじゃないかな。学級でユダヤ人について説明し、ヴェネチアの場所を地図帳で探すなどの補足をして読み聞かせをしました。本文では下のほうに描かれているユダヤ人の挿絵が、裏表紙では空の上のほうに描かれていることに気づいた子どもが「ユダヤの人たちは天国に行けてよかったね」と言っていました。子どもの見方は面白いなと思いました。防衛省関係の子どもがいるのでナチスの問題は大丈夫かと心配でしたが、大丈夫でした。厚着の人と薄着の人が38〜39ページの挿絵にまじっていたので、季節について聞かれ、少し返答に困りました。

ハリネズミ:これは、原書は横書きでもっと判型ももう少し小さかったと思います。ホロコーストものはいろいろ出ていますが、知っておく必要があると思う一方で、今イスラエルがパレスチナに対してやっていることを隠蔽する結果になるのではないかと危惧したりもします。でも、この作品は、人間そのものを深く見つめているように思って、私は好きです。

ジラフ:わたしヴェネツィアが大好きで、実は3月の震災直後に行く予定だったんです。ところが、帰国便が不確定になったりして、旅行は延期したのですが、以前、1度訪れたときに何より惹かれたのが、ヴェネツィアの虚構性でした。路地が迷路のように入り組んでいて、いつも迷子になっているみたいで。いつか海に沈んでしまう、という運命を背負っていることも、この町の芝居がかった雰囲気と関係しているのかもしれません。自分自身にそんな思い入れがあったので、回想のスタイルで語られるこの物語の舞台として、ヴェネツィアの町がすごく生きていると感じました。挿絵もよくて、月明かりに照らされた運河のブルーなどは、いまにも水音が聴こえてきそうな気がしました。モーツァルトがこんな風に利用されていたことは初めて知りましたが、芸術には人の心を揺さぶる力があるので、よくも悪くも使うことがきます。おしまい近くではっとしたのが、隠してあったヴァイオリンが、実はお母さんのものだった、というところです。わたしはずっと、お父さんのヴァイオリンだと思い込んで読み進めていました。戦争とは、そして人間とは、まったく一筋縄ではいかないものだ、とおもしろく思いました。ほんとうにきれいな本で、たて書きなのに、こんなにふんだんに挿絵が入っていて、原書はどんなかな、と想像するのも楽しかったです。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年5月の記録)


龍の腹

中川なをみ『龍の腹』
『龍の腹』
中川なをみ/著 林喜美子/挿絵
くもん出版
2009.03

優李:筋立てはおもしろいと思って読み始めました。ただ、希龍の特に成長してからの話しことばの書き方に引っかかって、そこはとても読みにくかった。希龍の時代に、いくらなんでも、今どきの若者言葉はないでしょう(笑)。希龍の「お父さん」についても、博多の豪商とはいっても地方の一商人が、鎌倉幕府に朝廷の作法・しきたりなどを指南するというようなことが本当にあるのかな? それにそういう人物が中国の磁器を見て感動したのはわかりますが、このような焼き物を日本で作れれば日本も変わる、などとかなり大胆に思い込み、店をたたんで親子で渡航、その上、自分で焼き物を習えないとわかったときに、年端もいかない子どもをひとり置いてくる? 大人の人物の描き方が細かくない、リアリティ不足という感じで、ちょっとなあ……と。それと、最後の方でいきなり「そして10年がたった」などと、はしょった書き方で結末につなげないで、緊密に書けるところで時間を切って書いてくれた方がよかったかなあ、という気がしました。

チェーホフ:私はおもしろいと思いました。全体としては、ファンタジーに近いかなと。この作者のほかの作品ではファンタジー性は見当たらなかったので、おもしろい試みだと思いました。

レン:入りにくかったです。この少年が異国の文化の中で格闘して自分をつかんでいくさまを描こうという、意欲的な作品だとは思うのですが、ストーリーにひきこまれませんでした。希龍が焼き物をおぼえていく過程は、『モギ ちいさな焼きもの師』(リンダ・スー・パーク著 片岡しのぶ訳 あすなろ書房)と比べてしまって。そうするとあちらのほうがずっと実感があるんですね。また言葉で気になるところがちょこちょこありました。たとえば138ページの最初の行、戦に言及するせりふで「あっちで、五年以上もバンバンやってるんだ。」。鎌倉時代の話だから、バンバンはないだろうとか。残念ですね。

くもっち:作者の中川さんは、こういう大河ドラマ的な作品で、自分というものを見つめながら育っていく青年を描くのが上手な作家さんだと思います。この話も、単に日本で起きた出来事というのではなく、宋から元への過渡期という中国を舞台にして壮大な土地で息づいている人々を見せてくれるというのが、おもしろい試みだと思いました。歴史的なバックボーンを借りるというのは、物語自体を壮大にさせる効果があるな、と改めて感じました。ただ、たくさん盛り込みすぎたかなという感じも受けました。「由育」という、家族から引き離された男の子の人生、「希龍」という、大きな存在である父に翻弄させられる人生、さらに「桃花」という、自分の親を知らずに育つ女の子の人生という3つの人生を描こうとしています。3人に共通するのは、家族の喪失感からどう脱皮していくかという部分だと思います。3人が3様に自分を見つめながら進むのはおもしろいのですが、いかんせん広げすぎていて、消化不良になっている気がしました。特に、希龍のお父さん像がぶれている気がします。最初は青磁の技術を取得することイコール日本の発展だと考えて大陸に渡るんですが、子どもを預けたあとで全然違う方向に走ってしまう。大切な一人息子を、学問をさせないまま育ててしまうことについて、本当に良しとするのか、という点も疑問です。その辺がひっかかって、もったいないなと思った部分です。

みっけ:こういうタイプのものは、歴史について今まで自分が知らなかったことを知れたりもするので、けっこう好きです。でも、これはあちこちで文章にひっかかってしまい、ちょっとそれがつらかった。たとえば183pに、「龍泉での十年は、希龍の想像を超えて、深く重かった。明けても暮れても土に触れる生活の習慣は、視野に窯がないというだけで、訳もなく不安になった。景徳鎮がどんどん遠ざかる。いらだつ想いをけんめいにこらえた。」という文章がありますが、使っている言葉が全体に抽象的で、漢語が多くて、荒っぽい感じがしました。わかるようでわからない表現があったりもして……。中国のこういう古い時代を舞台に選んだことを意識して、それで漢語が多いのかもしれないけれど、それにしても使い方が乱暴な気がする。それと、とても気になったのが焼き物に関する話です。作者自身が青磁を見てすばらしいと思い、そこからこの物語が生まれたということも、たぶんあるんだろうと想像するんですが、そうだとすれば、そのすばらしさをもっと読者に迫る形で伝えてもらわないと。これだと、高邁な評論家の文章みたいで、理屈で説明しているというか、分析しちゃっているものだから、実際の焼き物の迫力が、ぐっと迫ってこない。そこがつらいなあと思いました。中国の波乱万丈の時代を取り上げているので、へえ、そうなんだ、という箇所がいくつもあって、そういう意味ではおもしろかったんだけれど、ちょっと詰め込みすぎですね。焼き物のこともそうだけど、ちょっとできすぎな気もする。この子の達成したことは、もっと少なくていいんじゃないかな。焼き物の大変さがそれなりの形で読者に伝われば、もっと小さな展開でも読者は十分に主人公とともに喜べるんじゃないかと思いました。土をいじったこともない子だったんだから、そんなに簡単にはいかなくて当たり前だし、うまくいかないで四苦八苦しているところを描いたほうがリアルなんじゃないかなあ。完成品の分析を聞かされるよりも、そのほうがおもしろいと思う。ただ、冒頭で、お父さんが焼き物を見て、中国と日本との差にショックを受けて……という展開は、当時なら十分あり得たとは思いました。それが政治や国全体とつながるというのはちょっと無理がある気がするけれど……。

ハマグリ:やっぱりみなさんがおっしゃるように、細かいところには不満もあるんだけれど、日本の人が児童文学でこんなにも壮大な歴史小説に挑戦しているところを買いたいと私は思います。ただ、子どもの読者にとって鎌倉時代は遠いし、まして中国のことはわからないので、簡単でいいから年表や地図をつけるとか、服装のことが出てきても想像しにくいのでもっと挿絵を入れるとかすれば小学校高学年くらいからでも興味を持って読む子がいるんじゃないかと残念でした。物語は大きく2部に分かれており、最初は龍泉でのこと。後半は希龍と桃花と由育の旅となる。がらっと展開が変わっておもしろいんですけど、何か2つの関連性がないように感じられ、後半ではあれほど焼き物にうちこんだはずが、あの気持ちはどうしたの、いつそこへ戻るのかな、と思いました。会話の言葉づかいについては、現代の子どもの読み物として、この時代のとおりに書くわけにはいかないのはわかりますが、「すっげー」なんて書いてあるとちょっとどうなのかなと思いました。

ハリネズミ:書き方に勢いがあるし、なかなか読ませるとは思ったんですが、物語にほつれ糸のようなところがたくさんあって、それが気になりました。たとえば希龍が陶芸の修行をするところでは、本人は父親から捨てられたと思っています。でも読者の私は「あれだけ父親は陶芸に執着していたのだから、敢えて息子を一人前になるまでは突き放して厳しくしているのだろう」と思っていたんですね。ところが修行を終えた希龍が父親と会う場面では完全に肩すかしを食らって、父親がいったいどういう人物なのかわからなくなってしまいました。それに桃花にしても、最初のうちは冒険心に富んでいて野心もあり自分の人生をつかみとろうとする元気いっぱいの娘なわけですが、結婚したとたんにころっと態度が変わってしおらしくなってしまう。著者は愛のなせる技だと言いたいのかもしれないけど、変貌しすぎで人物像がつかめません。由育は、兵卒になってお父さんの軍隊に入るために出発しますが、その時にお父さんに会えるかどうかはわからないと書いてあるのに、いつのまにかお父さんのところで病死している。途中が書かれてないので、一体どうなったのかわからないままです。また蛙声っていうユニークで魅力的な若者ですが、決心して帰っていった村がどういうものなのかはよくわからない。そのせいで、蛙声自身の人物像もぼやけてしまっています。もう少し完成度を高めてもらえれば、とってもおもしろい本になったと思うので、残念です。各章のはじめのカットはおもしろいあしらい方をしてますね。

くもっち:挿絵の使い方で、ネームをのせるように使っているのですが、場所によっては、絵に間違えて文字がのっちゃったの?と思うようなところもありました。たとえば、102pとか。

プルメリア:課題図書になった作品『モギ ちいさな焼きもの師』の日本版かなと思いました。焼き物師のサクセスストーリーと思って読んでいたら違っていて。私は、主人公をはじめ登場人物の性格がわかりやすかったなと思います。中国の元と宋の歴史の動きや、当時の人々の生活の様子とか、中国の情景もよくわかるし、中国サイドから日本を見ている、知っていることや今まで読んだことのある作品とは違い逆の立場で書かれているのでおもしろいなと思いました。一生懸命作った焼き物を窯から出すときのドキドキするところがリアリティを持って描かれている。主人公の気持ちになってしまいました。最初に龍が出てきて、各章ごとに挿絵が出てくるのが楽しめました。地図とか年表とか図があると、小学生でも歴史に興味がある子は楽しめそうなのに残念。

ダンテス:あんまり評価できません。途中で読むのがいやになりました。はっきり言えばご都合主義っていうのか、その場その場で場当たり的に話が進んでいるように感じられます。桃源郷の扱いも失礼ではないでしょうか。話の流れの中で入れちゃったという感じに読めました。読んでいて統一感がないっていうか、筋が通った感じがありませんでした。プラス面をいえば、焼き物のことや、中国の時代のことも調べているようです。でも、焼き物の美しさを言葉で表現しきれているでしょうか。言葉では、286p「杞憂」、304p「杞憂する」、これは言葉の使い方がおかしいです。

レン:編集者が指摘しなかったんでしょうか。

くもっち:歴史上の事実を踏まえるフィクションの場合は、これは史実でなければだめでしょうというラインがまずありますよね。もしかするとそれは、一般の小説より厳しいかもしれない。子どもに間違って伝えてしまうと混乱してしまうという配慮があるからです。その辺は、校閲というよりは、この小説が世に出せるかというレベルで編集者が見るべきでしょう。また、杞憂の使い方などの校正・校閲については、もちろん専門の方にも見ていただきながらチェックしますよね。でも、作者が最初にどこまで仕上げてくれるかにかかっているのではないでしょうか。人のすることなので、チェックもれはどうしても出てきますから。

ダンテス:やはりいちばん気になったのは桃源郷です。理想郷に住むはずの桃源郷の人たちが人をだまして殺そうとするというのはいかがなものか。さらに言えば、文天祥のこともこんな書き方でいいんでしょうか。そして元王朝の中国文化に対する姿勢も史実とは違うのでは?

酉三:設定を南宋末において、国際大河ドラマを書こうとした著者の志は評価したいですが、冒頭の、鎌倉幕府が開設されて20年、とかなんとか、教科書みたいな書きようでまずつまずきました。子どもにお話の世界に入ってきてくれというときに、こんな書き方でいいのか、と。そのほかにも、いちいち指摘することはしませんが、物語世界を作っていくための工夫、努力が足りないと思わせるところがいろいろありました。というわけで、最初の数十ページで読むのをやめてしまいました。著者には、ていねいに書くトレーニングをしていただきたいと思います。

ハマグリ:288p「たじろんだ」って出てくるんですけど、これって「たじろいだ」ですよね?

すあま:親の都合で修行を自分の意に反して始める、というところから始まって、筋はいいのに読み終わった後でどこか物語が中途半端な感じがするのはなぜなんでしょう。主人公たちに魅力がないのかな。私も陶器が好きだから興味深く読めるんだけれど、もう少し登場人物のキャラクターがはっきりしていて魅力的だったらもっとおもしろく読めたのかもしれないと思いました。

ボー:全体には、おもしろく読みましたが、後半が散漫な感じになって、まとまりの悪い物語になってしまい、残念でした。「焼き物の技術を学びたい」という父親の夢に引きずられて宋に渡ったという設定で、登り窯のこと、焼き物のできる課程など、事細かに描かれていて、それに取り組む少年の姿も、とてもおもしろかったです。前半は、当時の中国の事情や、社会体制なども、背景として描かれていて、興味深かったのですが、後半は、龍泉になかなかもどらなくて、いろんなことが出てきて散漫になっていました。結局、蛙声の村はなんだったのか……? 腑に落ちないところも多々ありました。桃花の、染め物の話は、お話にもマッチしていて、もっと書ければよいのに、それも中途半端な感じで、残念でした。飛び模様の青磁の壺や、染め物の話などに焦点を当てて、最後まとめれば、もっとおもしろい物語になったような気がします。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年2月の記録)


殺人者の涙

アン=ロール ボンドゥ『殺人者の涙』
『殺人者の涙』
アン=ロール・ボンドゥ/著 ふしみみさを/訳
小峰書店
2008.12

みっけ:わたしはこういうタイプの本が好きなので、とてもおもしろく読みました。ちょっと、永山則夫の『無知の涙』をどう受け止めるか、というのと似た問題を読者に突きつける感じの作品なので、読者はYAから大人になると思います。冒頭から人があっけなく二人も殺されるわ、主人公は冷酷な殺人者だわで、一歩間違えると血なまぐさくてどろどろのいやな感じになるはずだけれど、淡々とした書き方がきいていて、なぜか全体に静かな感じが漂っている。そのあたりがうまいなあと思いましたし、好感を持ちました。生きていくことの厳しさや、荒野のしんとした感じが、寂しいとかつらいとかいったマイナスのこととしてではなく、厳然と目の前にあって、人間が生きて行くうえで立ち向かわなければならないものとして描かれているのも、いいなあと思いました。そういうなかに、ふっとアンヘルとパオロのやりとり、あるいは二人とルイスのやりとりが入ってくる、それがとても印象的でした。一番いいなあと思ったのは、アンヘルとパオロの関係です。なれ合ったりするのでなく、どこまでも緊張感をはらみながら、でもなにか他の人には伝えられないような絆ができる様子が、うまくとらえられている。とても奇妙なことかもしれないけれど、でも、本当のことだったんだな、とこちらの腑に落ちる。筋としても、ルイスが二人を欺いて世界旅行に出かけちゃったり、昔アンヘルが殺したらしい家族の親が出てきたりで、どうなっちゃうんだろうとはらはらしながら最後まで読みました。アンヘルが捕まるという着地点にもリアルだし、最後またルイスが出てくるのも、ちゃんと脇筋に決着をつけていていいなと思いました。

くもっち:異質な小説に出会えた感があって、最初は設定に少し戸惑いましたが、おもしろく読めました。映像的、観念的な作品ですよね。特におもしろい体験だったのは、冷血な殺人者として登場するアンヘルに、次第に感情移入できてしまうところですね。後半は、どうにかしてシアワセな日々を送らせてあげたいとまで思ってしまう。ちょっと、駆け足で読んでしまったので、何度か読みかえしたいと思いました。

レン:どう表していいかわからない読後感でした。共感はおぼえないのに、不思議とこの世界に入り込まされる感じ。つきはなされているようなのに読まずにいられなくなる。寓話的な書き方で、いろんなことを考えさせられる話、それがこの物語の力かもしれませんね。舞台がチリというのが気になって調べてみたのですが、作者のホームページを見ると、荒涼としたイメージから舞台をチリに設定したけれど、執筆のときには行ったことがなかったとのこと。ヨーロッパから遠い土地だから、そんなイメージで扱われるんですね。だからなのか、チリらしさのようなものはほとんど出てきません。地名の「ヴァルパライソ」は、スペイン語の発音からすると「バルパライソ」とすべきところ。また、121p「ホットケーキ、食べるか?」というところ、「ポンチョを着たでっぷりした女の人が、でこぼこのフライパンで丸い生地を焼いている」とあるので、トルティージャのようなものではないかと思います。ホットケーキだとイメージがずれるなと。裏表紙のパオロの服装も、アンデスの民のような服装で、これはパタゴニアの話なのでこれでいいのか疑問。スペイン語で書かれていない作品だけに、編集の段階で気をくばってほしかったです。

チェーホフ:最初の「太平洋の冷たい海にノコギリの歯のように食い込む地の果てに」というところは想像しにくいと思いました。ラストは全体的にすべてのことをとり入れた生活をしている。父母の家で今まで父母がしていたように人を迎え入れ、リカルドのようにワインでもてなし、ルイスの絵葉書の貼ってある壁やアンヘルの名をもじった自分の子どもなど。性的な描写もありますし、年齢層は上。殺人者であっても人は生きていてパオロの中に受け継がれていく、死んでも残るものができたんだなと感慨深いものがありました。殺人者を肯定しかねない書き方ともとれるので子どもが読むには少し注意が必要かなと思いました。

酉三:著者はかなり上手な人なのだと思います。が、この設定は私にはカゲキすぎ。受け入れられないです。この世界にどう入ったいいのか。それと、上手だと思いますが、終わりの方で突然幽霊が出てくるのはいけません。もしも幽霊アリのお話ならば、もっと早くそのことは伝えておいてほしいです。そういうわけで、全体としては私は評価できない、受け入れられない作品でした。

ajian:非常に筆力のある人だと思いました。出だしから乗せられてどんどん読むことが出来ます。印象的な場面も多い。しかし、ただおもしろい読み物という以上のものはありませんでした。とくに後半、リカルドが命を落としてからは、物語の展開が唐突でもあり、また意味がよくわからない場面などもあり、いらないんじゃないかと思います。どうも、作者は無理にドラマをつくろうとしている感じ。そのせいで、登場人物一人一人が物語の駒でしかないというか、登場人物の人生に対する愛情が感じられません。僕は寓話的なものよりは、人間一人一人が描き込まれた作品の方が好きなので、この作品は合いませんでした。無法者と子どもの組み合わせなんていうのは、時代劇のようでもあり、好みの設定でもあるのですが……。なお、殺人者が主人公であることや、セックス描写があることに、否定的な意見がありましたが、個人的には、あっても構わないのではないかと思います。

ダンテス:設定の時点でいやだなと思う人もいるだろうと思いつつ読みました。両親を殺した人と子どもが一緒に住んでいくという。もちろんその場で生きていくしかない極限状態として計算されて作られています。人物では自然にかかわる老人の話がよかった。レンさんの話を伺う前は、作者はフランス語とスペイン語両方ができる人で、南米にも行ったことがあるんだろうと思っていました。

レン:時代設定もわかりにくいですね。ガルシア=ロルカとかネルーダの詩が出てくるので、20世紀後半だと思うんですけど、それにしてはちょっと古めかしい感じもして。

ダンテス:スペイン語の詩が持つ強さというのを感じました。文中に出てきましたよね。南米の突端という設定は、アフリカで人類が生まれて何万年もかけてベーリング海から北米を経て南米の先端に到着したという、究極の場所として表現したかったのかもしれません。

プルメリア:とてもたんたんと読みやすかったです。お父さんとお母さんが殺されて暮らすパオロの心情が不思議。アンヘルの独占欲も気にかかった。殺人者なのに悪く感じなくなっている自分も不思議でした。ルイスがでてきてこの人はやさしさを持っていていいなと思いました。旅先からずっと手紙を送っていたのも誠実な人? 生まれた子どもにアンヘリーナという名前をつけたこと印象に残りました。アンヘルはずっとパオロの中で生き続けるんですね。

ハリネズミ:リアルな地平にある作品ではなくて、寓話だと思って読みました。パオロは、無垢な子どもで存在そのものがまわりの人物たちを変えていくという意味では、キリスト的でもあるし、モモみたいでもあります。リアリティからは微妙にずれているので、かえって現実を考えさせる力を持ってるし、読者の想像力も刺激されますね。訳はすらすら読めたのですが、212pの後ろから4行目「ポール・エリュアード」は、「ポール・エリュアール」ですよね。有名な人なんだから、編集者も気づいてほしい。120pのうしろから3行目「アルミの壁にはじけて砕ける人間でできた大波だ」っていうのは何なんでしょう? イメージがわきませんでした。

ボー:あまりの悲惨さに目をそむけたくなり、何度も読むのをやめようと思いました。いきなり、両親を殺されたり、アンヘルの凶暴さだけが浮き彫りになっているところなどが、読んでてつらくなりました。しかし、なんとなくやめられずに引き込まれ、読み進めていました。そのうちに、キリストのような少年と一緒に暮らすことで、救われ(?)少しずつ人間性を取り戻していく課程は、やっぱりそうなんだと思うし、それなりにおもしろかったです。筆力のある作家だと思いました。リカルドの殺されるところの意味ってあったのかなとも思いました。ギロチンを作るのに使われた木のことを知らせないために殺したのでしょうか? 殺人者を、ここまで前面に出して描いている作品は、児童書としてどうかと思いますが、今の中高生は殺すことの意味がわかっていなかったり、軽く感じている子もいる中で、こういう作品の意味もあるし、また、それほど悲惨に感じなくなっているのかもしれないとも思いました。それと、最後まで、殺人者アンヘルが罪を問われ、救われなかったのは良かったなと思いました。殺人者として、心を入れ替えようと、反省しようと、その罪は償わなくてはいけないという断固たるメッセージが感じられました。

ハリネズミ:私はそんなに残酷だとは思いませんでした。殺す場面が、スプラッター小説と違って詳しく書いてないからです。昔話みたいに、あえてさらっとしか書いてないんだと思います。パオロの親の血がしみこんだテーブルだけはちょっと生々しいんですけど、最後にそれも埋められてしまうしね。

レン:でも、アンヘルは198ページの「おまえに会った瞬間、俺は生まれたんだ」と言う場面で、心情的には救われているんじゃありませんか?

ボー:心情的にはそうだけど、社会的にはやっぱり救われないでしょう。

ハマグリ:あんまりな冒頭に何なんだこの話はと思いましたが、すぐにぐいぐい引き込まれてしまってページをめくる手を止められませんでした。私はランダル・ジャレルの作品が好きですが、それとよく似た寓話的な感じがすごくしました。どの登場人物にもなんらかの寓意があるように感じられます。それなのに、生身の人間の感情の激しさが迫ってきて、ドキドキしました。パオロがはじめて銀行に行って、ふかふかのじゅうたんや冷水機に驚くところや、リカルドの部屋で本棚いっぱいの本、レコードで聴くバッハの音楽などを知るところがとてもおもしろかったです。文化とは何か、言葉の力、音楽の力などを感じさせる描写が散りばめられていると思いました。今までにちょっと読んだことがない種類の本だったし、自分の中でもいろいろに考えが揺れる部分があったので、これをはたして皆さんはどのように読むのか、とても感想を聞きたいと思いました。

すあま:私はあまり手に取らない種類の作品で、ここで取り上げられなかったら読んでいなかったかも。怖い話かと思っていたけれど、残虐だとはあまり感じなかった。冒頭でパオロの両親が殺されてしまうけど、全然しゃべることもなく死んでしまったので感情移入することもなくかわいそうだとも思わなかった。パオロは生まれてきたものの、ぼんやりとした存在、無垢な存在であったのが、アンヘルとルイスと暮らす中でいろんな体験をして悲しみや喜びといった感情をおぼえて、どんどん人になっていく話なんだなと思いました。最後、パオロが18歳になったところは、いつから数えてその年になったのかな、と不思議に思いました。それから、パオロがリカルドの家で幽霊のような子どもたちと遊ぶシーンは、違和感がありました、もうパオロは人間らしく成長していたのに、どうしてまた不思議な子どものように描かれているのかわからなかったです。ラストは、読み手としてはとても救われた気持ちになり、読後感が良かった。やっぱり、読後感がよいのが大切だと思う。

みっけ:パオロが、はじめは白紙という意味では無垢かもしれないけれど、決していい子ではないところがいいなと思いました。この子はあまり表に出したり人に伝えたりしないけれど、それなりに心の中に嵐を抱えているということがちゃんと書かれている。だから、途中でルイスと3人で港町に行ったときに、パオロが崖の上に出て、一方アンヘルが必死でこの子を探し回るあたりも、作者の作為が感じられず、アンヘルという人間が動き、パオロという人間が動いているという感じがした。そういうところがうまいなあと思いました。それと、一軒家で狐を殺す事件にしろ、港町の近くの崖の上での二人のやりとりにしろ、それぞれがまったく同一の視点を共有したとか、互いに完全にわかり合えたとか、そういうことはいっさい書かれていないんですよね。ひょっとしたら見ていたものは違ったかもしれないし、感じていたこともちがったかもしれない。それでいて、その瞬間に二人がとても大切な何かを共有したということは、読者にちゃんと伝わってくる。こういう書き方ができるなんて、すごいなあと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年2月の記録)


ピーティ

ベン・マイケルセン『ピーティ』
『ピーティ』
ベン・マイケルセン/作 千葉茂樹/訳
鈴木出版
2010.05

くもっち:障碍を持つ人が主人公の話っていうのは、はじめてではなかったのですけど、脳性まひの人に知的障碍があるわけではないというくだりをびっくりしながら読みました。自分の認識不足を改めて教えてもらいました。この作品は、真ん中で2つの物語に分かれていますよね。ピーティの一生を追いかけていく第1部と、ピーティが70歳近くなって、一人の少年と出会ってからの第2部。最初、2部がメインなら、バランスが悪いのではないか、と心配しながら読んでいたのですが、1部で出てくる記憶の断片や思い出の品、親しかった人との再会などがちりばめられていて、2部がとても生きてくる。男の子の両親の描き方が少し雑な気がしたけれど、それすら補うものがあるので、バランスが悪いと思った印象は、撤回しました。トレバーがすごくいい子で積極的なので、こんなに性格のいい子にどうして友だちができないんだろう、というところも不思議に思いましたが、トレバーが抱えている孤独感と、ピーティの生涯がシンクロしていく様子がとてもうまく描かれていると感動しました。ピーティのような人物の心の中でどんなことが起きているのか、そういうことも具体的に場面の中で知っていくことができておもしろかったです。今朝の満員電車の中で最後のシーンを読んでしまったので、目からも鼻からもダーっとなって、大変でした〜。(笑)

レン:引きこまれて読みました。とても興味深い作品でした。まずお話としては、物語の視点がおもしろかったです。ピーティの視点でいろんなものを見ていくんですね。普段の自分とは違うところから見る書き方がうまいなと。また、すべての登場人物たちが、ピーティと関わることで変わっていく。見方や生き方が変わっていくというのがよかったです。そこにピーティの生命力や、希望が感じられました。あと驚かされたのが、この事実。脳性まひだと、何も考える力がないと思われて施設に入れられていたのが、時代とともにだんだんに理解されていく。人権が確立されてから、アメリカでもまだ100年もたっていないとわかって、テーマとしても興味深かったです。ぐいぐい読ませる力があるので、小学生の高学年にも手渡していきたい作品だと思いました。

チェーホフ:脳性まひの人や周りの人々に向けて書かれたものだと思いました。泣かせようという意図は見えず、淡々と続いた日常という感じです。光景が目に浮かびましたし、描写が上手いのだと思いました。後半は環境が変わって社会的に受け入れようという舞台になっているのですが、社会的に生きていくための訓練などはしていない、日木流奈さんの『ひとが否定されないルール』(講談社)という本を読んだことがあるのですが、そっちは訓練プログラムを行っている様子などを写真や文章でご本人が説明していました。脳障碍を負っている方の自伝です。訓練を行っていることで生活感を生々しく感じましたが、多分『ピーティ』ではこのような事があった歴史として書いているのだと思います。それが現状だったのだなと悲しかったです。問題提起を投げかけていると思います。作中でも知らないからピーティを恐れたりしますね、知る、知ろうとすることで自分の世界の見方というのも変わっていくと思いました。

優李:とてもいい本だと思いました。思わず泣けました。子どもたちにも、ぜひ手渡せるように紹介していきたいと思います。6年生は、いろいろな世界の人を知ろう、という学習をするので、いつもそれに合わせてブックトークをするのですが、そのようなときにも取り上げたいと思いました。私が小学生だったとき、仲良しの友だちの弟が脳性まひでした。この本には、脳性まひだからといって知的障碍があるわけではない、と書かれていますが、この部分を読んではっとさせられました。友だちの家族も、もちろん私も、知的障碍があると思って接していたと思います。それと、ピーティの場合、親は彼を施設に預けてしまったら、その後まったく出てきませんね。そのあたりのシステムがどうなっているのか知りたいと思いました。身近に友だちの弟がいた私ですが、ピーティの顔のねじれているぐあいとか、障碍の様子が、文章からだけだとよく思い描けなかった。子どもたちもそうだろうと思うので、なにか、補足の資料があるといいと思います。「人権」ということがきびしく言われている時代なので、表立っては言わないけれど、学校で先生とうまくいかない児童が、陰でその先生のことを「障碍者」と呼んでいることがあります。この本で、子どもたちにとっての「障碍者」へのまなざしが変わるといいなと思います。

酉三:この作品は好感がもてました。冒頭のところで、1920年代を象徴するように車が登場して、その疾走が近現代の疾走を暗示し、そういう新しい時代がやってきたところで、障碍者切り捨てということが行われる。うまいと思いました。ちょっと気になったのは、わが子を施設に入れたにせよ、その後にピーティの親たちがまったく見舞いにもこない、というのには疑問を感じました。

ハリネズミ:私もそこは気になったんです。あれだけピーティに心をくだき、お金もかけて世話をしてきたお母さんが、それっきりになってしまうのが不思議でした。それで関係者にきいてみたんですが、当時は、もうきっぱりと縁を切ってしまうのが普通だったみたいです。

酉三:障碍者の状況ということを考えると、アメリカは日本なんかよりもずっとがんばっていると思っていたが、それでもかつてはこんなことがあったんですね。ということは、逆に言うと、日本だっていずれは展望が開ける可能性があるな、と思いました。

ajian:今朝電車のなかで読み終わって、やはり涙を止めるのに苦労しました。いい本でした。脳性まひの人が身近にいないと、その人がどんなことを感じることが出来るのか、どれぐらいコミュニケーションできるのか、全然知らずに過ぎてしまうと思う。この本は、ピーティの内面をつぶさに描いているのがとてもいい。それから、釣りの場面や、外を歩く場面では、ピーティの感動を、ピーティの身になって味わえます。ああ、こんなふうに感じているかも知れないんだ、と思いました。ただ風を感じるだけのことが、本来はどれほど豊かな体験なのだろうと。また、ショッピングモールの場面は、そもそも「買い物」という行為を知らずに生きてしまう現実がある、ということに、改めて気づかされました。同じ社会に生きていても、同じ場所にいても、全く違うことを感じている人たちがいて、『ピーティ』はそんな一人の人間に焦点をあてていて、とてもいいと思います。

ダンテス:とてもいい本でした。少人数だけどその時代その時代にピーティのことを理解してくれる人が登場してきます。後になってまた出てくるのかなと思っていたら、全員ではなくてオーエンさんが、後で出てきました。後半、引っ越しばかりしている少年が孤独を背負っていて、ピーティのお世話をしながら孤独感からも抜けられ、またそのおかげで女の子と出会うというのもいいのではないかと思いました。1990年代、アメリカで新聞記事に訴えて寄付を募るということもよく目にしました。後半は少年の成長物語として読んでもいいのでしょう。それにしてもピーティという人物を魅力的に描いています。

プルメリア:ピーティの様子がきちんとえがかれている。カルビンとの仲のいい様子もとてもいい。2部ではトレバーによって、再会の機会が作られたり、新しい体験もたくさんできる。終わり方もいいですね。ピーティの家族については、話を聞いてわかりました。今は障碍者という言葉は使わず、「体の不自由な人」といいます。学校では交流する機会もつくっています。子どもたちは最初は「こわい」という印象なんですが、慣れてくると一緒に楽しく遊べます。いろいろな人がいる社会。こういう作品は映画になると広く知られるようになって、いいのでは。周りが受け入れてくれないととても狭い世界にとじこめられるようになるので、たくさんの人に理解してもらうことが大切だと思います。

ハリネズミ:この作品では、『殺人者の涙』のパオロと同じような役割をピーティが果たしているんですね。いるだけで、まわりの人たちに何かプラスの作用を起こすことができる存在。それに、今回の課題本は3作とも、血のつながった家族より血のつながらない家族が重要な意味をもってますね。この著者には「かわいそう」という視点がまったくないので、そのおかげで、ピーティやカルビンの心の機微が読者にもストレートに伝わってきます。最初は、キャシーがピーティに「ハンサムだ」と言ったりする場面に残酷な感じも持ったのですが、よく読んでみたら、キャシーが本当にピーティを愛していたことがわかりました。またピーティとカルビンの友情にしても、図式的ではなく、時にはピーティがうんざりしたり、カルビンにマッシュポテトを顔にぬりたくられてピーティが悔しがったりする場面もちゃんと書かれています。著者のホームページを見ると、ピーティのモデルになった人と親密なつき合いをしていたということなので、実体験から来る重みのあるリアリティなんだなと納得しました。同じ著者の『スピリットベアにふれた島』(原田勝訳 鈴木出版)にも、クマと暮らしていた著者ならではのリアルな描写があります。去年読んだ翻訳作品のなかでは、これがいちばんおもしろかった本です。

ボー:非常におもしろく読んで、感動的しました。前半と後半での落差がとても大きかったです。前半は、後半をより説得力もって伝えるためにあるように感じました。物語は、後半になって動き始め、おもしろくなります。前半を読みはじめたときに、障碍者の話なので子どもにはとっつきにくいかなと思ったり、これだと子どもは最後まで読み続けられるかなと、ちょっと心配しました。読んでほしい子どもたちは、小学校4年生くらいから上でしょうか? 文体を考えても、読者対象は、そのくらいかと思いますが、その年齢の子たちに読んでもらうことを考えると、この前半は、もっと短くするとか、構成を変えるとか、工夫が必要だと思いました。

ハリネズミ:ネズミが食べこぼしを目がけてやってくるところとか、ネズミを殺させないためにピーティががんばるところなんかは、子どもが読んでもじゅうぶんおもしろいと思うけど。

ボー:でも、全体にもう少し短いといいなと思います。子どもの読解力や、読者対象を考えると、小学校高学年くらいを考えて書いていると思うんですね。YAといっても、高校生には、文体がちょっと幼いと思うんです。

ハリネズミ:私は、前半も長いとは思わず、はらはらドキドキしながら読みました。ピーティに一体化して読めば、中学生ならだいじょうぶなんじゃないかな。文字の大きさや長さからして小学生向きに作られた本ではないでしょう。プロットだけじゃなくて、ディテールでも読ませて、しかも読者の世界を広げることができる作家って、なかなか日本にはいませんね。

ハマグリ:私もネズミのところは目に見えるように書かれていて、ユーモアもあって楽しいところだなと思いました。みなさんが言ってないことを言うとすると、ピーティと関わる人がたくさん出てくるんだけど、その人たちもみんな貧しかったり移民だったり、過酷な状況を懸命に生きている人ばかり。そういう人たちが、自分よりもっと過酷な状況下にあって、自分が世話をしなければ生きることができない無力なピーティから、逆に生きる力や愛情を受け取るというところに感動しました。ピーティの境遇は悲惨なんだけれど、冒頭で両親がこの子をとても愛していたということが書かれている。愛しているけれど財力もなく仕方なく手放すわけですが、無償の愛情をそそいでいた。だからピーティが洗礼のときにもらったことばを額にいれて、手放すときにずっとこの子を守ってくれるようにと祈りをこめて持たせるわけですね。もちろんピーティはそのことを知る由もないけれど、読者はそれを知っていることで気持ちが救われるんです。みなさんが言ったように、ボーズマンに戻ったところで、私もまた両親との接点があるのかな、と思いました。ピーティが男の子と女の子と遊んでいる夢を見る場面がありますが、私はこれはお兄さんとお姉さんなのかな、と思いました。だからボーズマンにもどったとき、両親はもういないかもしれないけど、お兄さんとお姉さんが出てくるかと期待してしまった。トレバーの登場では、この子はお兄さんかお姉さんの孫なんじゃないか、なんて考えちゃった。何の関係もなかったのはちょっと残念。トレバーの両親が急にいい人になってしまうっていうところ、私はちょっとホッとしました。子どものことを理解できなかったのは生活が忙しかったからであって、子どもの姿をまのあたりにするとちゃんとわかる人たちだったんだな、って思えたのはうれしかったです。

みっけ:とてもおもしろい本でしたし、つくづくじょうずな人だなあと思いました。私は、前半の長さはやはり必要だったと思います。ピーティにとって、いい人が現れては、自分が好きになる頃にはまたいなくなってしまうということが延々と繰り返される。そのつらさや、それによっていっそもうこの先は心を閉ざそうという気持ちになるあたりがきちんとこちらに伝わっているからこそ、後半のトレバーとの出会いやそこに賭けたピーティの気持ちが重みを持って心に迫ってくるんだと思います。しかもこの作者は、エピソードを上手に選んで、読者が繰り返しに飽きないように、工夫して読ませている。だから前半を読み終わった段階で、自分からはほとんどアクションを起こせずに、ただ去っていく人たちを見送るしかないというピーティの不自由さ、不自由な体に閉じ込められた人のじれったさが、読者にも共有できる。それと、刈り込み方が上手な作家ですね。伝えたいことをきちんと伝えるために、自分が選んだ題材のどこにどういうふうに刈り込んでいけばいいのかをちゃんと把握していて、それに沿ったエピソードを選び、物語を構成している。作者自身も言っておられるようだけれど、これがフィクションだというのは、そういう意味なのだと思います。それに、これだけ強烈な題材だと、ついつい対象の心の動きなども、あれこれ想像をふくらませて書き込みたくなるけれど、この人はいっさいよけいなことを書いてない。その点では非常にストイックだなあと思いました。だからこそ、読む人にも脳性まひの人はきっとこう感じているに違いないと思え、物語にリアリティがある。この本を読み終わると、ここにいるのは、体が不自由なだけでなく、おもちゃの拳銃で遊んだり、映画は西部劇だ大好きだったり、ときにはいたずらをすることもある、いろんな面を持っていて、いろいろなことを感じているひとりの人間なんだなあ、とつくづく感じる。それがこの物語の力なんでしょうね。トレバーの親のことがあまり書かれていないのは、後半でトレバーとピーティの関係にぐっと焦点を絞った結果、この程度の書き方になったのかな、と思うし、それでいいような気がします。

すあま:この本は人から紹介されて読んで、こういう人生ってどういう感じなんだろうってずっと考えていました。生まれたときからこの状態だったわけで、彼にとってはそれが普通であり、まわりの人が思うのと本人の感じは違うのではないかと。それから、この物語は1部と2部に分かれているのがいいなと思いました。子どもが読むとしても、1部はピーティに、2部はトレバーに気持ちをおいて読めるので、共感できるのではないかと思います。1部が読みにくいというなら、2部を先に読んでみてもいいかな、とも思いました。まあ、最初から読んだ方がよいわけですけどね。ピーティは最後に亡くなってしまい、読んでいる方もつらい気持ちになるけれども、読み終わったときに温かい気持ちになれるいい本だと思います。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年2月の記録)


ニック・シャドウの真夜中の図書館

ニック・シャドウ『ニック・シャドウの真夜中の図書館』
『ニック・シャドウの真夜中の図書館』
ニック・シャドウ/著 堂田和美/訳
ゴマブックス
2008.04

サンザシ:忙しいなかで読んでいたので、読み始めてすぐに時間の無駄だなと思いました。今回のテーマとも違うし、深みもないので、この会で討論するような本じゃないと思ったんです。書名に図書館と書いてあるけど、図書館とは関係ない。暇つぶしに怖いものを読みたいならいいですけど…。翻訳も何カ所かわかりにくいところがあります。たとえばp176ですけど、3行目の「いうって、だれがいうんだよ!」がしっくりこないし、最後の行に「ずたずたになったプライドをなぐさめたかった」とありますけど、これくらいでずたずたになる? ティムたちがリンゴの木になってしまう、というアイデアはおもしろいと思うんですが、ティムは最初のほうでビル・コールをひどく怖がっているのに、後半は、これでもかこれでもかとビルに対して嫌がらせをしている。これでは、読者がティムの心理に同化できないので、怖いポイントを怖がるだけの本でしかない。キャラクターの心理の動きを読者の想像に任せる漫画なら、いいと思うんですけど、物語の本である以上、キャラクター設定くらいはちゃんとしてほしかったですね。

ハマグリ:子どもが手に取りやすい装丁で、図書館でもかなり借りられている様子。期待して読んだけれど、一話目の最後であれ、何これ?と思いました。真剣に読んで損したなという感じ。こんな終わりでいいのでしょうか? 衝撃的な結末が売りの話で、そこがおもしろいと思う人もいると思うけれど、私には読後感が悪かったです。

優李:出てすぐに、題名に惹かれて読みましたが、いただけないと思いました。もともとホラーは苦手なので、こういう安手のものだと全然ダメ。「無理!」です。登場人物が、あまりに簡単に無残な死を迎えることになるのが、非常に後味悪いし、うちの図書室には入れていません。ただ、中学生には人気があり、一時、兄弟関係のある小学校高学年からのリクエストが多くありました。地域図書館でもよく借りられているようです。

メリーさん:この本は相当売れて話題になったことを覚えています。続巻もたくさん出ていますよね。子どもたちは本当に怖い話が好きなのはわかるのですが……。これは後味が悪く、ただ怖いところが強調されているだけで、あまり残るものがありませんでした。オチもあるような、ないような……。

チェーホフ:最初図書館で借りようと思ったけど、4人待ちでした。サスペンスホラーなのかなと思って登場人物を書き出していったのですが、意味なく登場人物が多かっただけだったらしく無駄に終わりました。誕生日の祝いという理由でひとりで墓参りに行かせるというところの意味が分からないし、父親がいるのに女の子一人だけで行かせるのは現実感がない。ほおにキスをするとうつる、というところも疑問だし、設定があまり練られてない。全体的に救いようがない話。こういうものを子どもに読ませたいとは思いません。

あかざ:私はホラーが大好きなので、はりきって2冊借りてきました。でも、1冊目を読んだら後味が悪くて、2冊目は読む気がしません。1話目は怪しい声が聞こえる話、2話目は「赤い靴」のように物がたたる話、3話目は異物に変えられてしまう話と、いままでによくあるさまざまのホラーのパターンを使ったホラー入門書のようですが、主人公が最後に必ず死んでしまうというところが、このシリーズのミソというか売りのようですね。でも、だいたい物語というのは、読者が主人公の気持ちに寄り添って読むものなので、最後でショックを受けるでしょうが、はぐらかされたような気もするのでは? 大人も子どもも、怖いもの見たさというか、どんどん残酷なもの、刺激の強いものを求めるようなところがあるから、そういうものは売れるでしょうけれど、出版社は本当に子どもに読ませたいと思ってこのシリーズを作ったのかなあ? それに1話目のように、特別な才能があるゆえに魔女とされてきたような人たちの子孫が、その才能のために抹殺されてしまうような話の運びは不愉快で、作者がそんな発想をすること自体がホラーだと思いました。ホラーにも作者の人間性というか、そういうものは現れると思うんですよね。スティーヴン・キングはもちろん、鈴木光司の作品や、映画の「オーメン」などにもそういうヒューマンなものを感じるんだけど、この本は、ただ怖がらせようとしているだけの、悪趣味な作品に思えます。ラヴクラフトやダンセイニのように、独自な世界を創りだしているわけでもないし。

プルメリア:昨年担任した6年生の女の子が2人、はまっていました。本を購入しシリーズで読んでいました。表紙の絵がいい、持ちやすい、内容が3つにわかれていて読みやすい、というのが理由のようです。今年度、赴任した小学校にはシリーズで入っていました。担任している4年生の子どもたちに薦めましたが、自分で読んでみて難しかったので、ちょっとよくなかったかなと反省しています。6年生ならわかることでも、4年生には場面設定が難しいし、アメリカの風景も想像することができない。作品を読んでみて話の先が見えづらい。リンゴの話は、過激な話ですね。おばあさんが、おじいさんの死んでしまった理由がわからないのは不思議です。これでいいんでしょうか? 怖い話は子どもたちに大人気で、いろいろな本があります。

うさこ:この本のどこが読者をひきつけて、書店でよく売れているのかを探ってみようと思って読んだのですが、読んだ印象は、スピードを出した車に乗ってあるスリルを味わったり途中どきどきするけど、あとは何も残らないなあ。実際の読者の子どもたちは怖いね、こんなことが身近にあったらどうしよう、というように現実には起こらないということを前提にしながら、単純に楽しんでいるのかなと思いました。大人には、読後の後味の悪さだけが残るんだけど。

サンザシ:怖いものを読みたいという子どもの心理につけこんで儲けようとする意識が、嫌だなと私は思うんです。

プルメリア:この物語を実際の事件と重ねてしまうといけないなと思いました。『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ著 あかね書房)が怖いという子もいるんですよ。

コーネリア:6年生で、表紙の絵がいいといったのは男の子ですか?

プルメリア:女の子です。男の子は、本が薄いということと、内容が怖いということで、手に取るのでは。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年1月の記録)


つづきの図書館

柏葉幸子『つづきの図書館』
『つづきの図書館』
柏葉幸子/著 山本容子/挿絵
講談社
2010.01

ハマグリ:まず発想がおもしろいですよね。子どもは小さいころ1冊の本を繰返し読んで、自分も主人公と一緒に物語の世界に入り込むということがあるけれど、それとは逆に本の中の主人公が、それを読んでくれた読者のその後を知りたいと思う、というところが斬新で、いいなと思います。桃さんの人生という枠の中に他の人の人生がからめてあるので、構成は複雑だけれど、おもしろく読めると思います。ただ、本の主人公が知りたがった読者のその後の姿に、少し違和感がありました。継母が、実子ではない子に対する気持ちや本当の親への微妙な対抗心など、大人でなければわからない感情が多々出てくるんですね。子どもの読者にとって、どうなんでしょう? わからないことはないけど、おもしろくはないのでは? よく知られた絵本が出てくるし、物語の設定も子どもには入りやすいのに、気持ちの描写のところは急に大人っぽくなる。そんなに大人になったところまでたどらなくても、もう少し子ども時代に近い、中学生くらいの将来の姿のほうが子どもにはおもしろいと思います。山本容子さんの絵もよかったので、それが残念。

コーネリア:子どもの本なんですが、主人公がおばさんというのがユニーク。設定が面白いですね。本の続きを読むのではなく、本を読んでいた読者の続きが知りたい、というちょっとひねった発想はとてもいいのですが、物語があまりおもしろくない。はじめの方は、設定がおもしろいので、どうなるのかなあと読み進められますが、設定が発展しなくて、後半はパターンにはめようとしているゆえに、物語がおもしろくなくなっているきらいがあると思いました。家庭環境については、大人目線ではないかという意見がありましたが、子どもは意外とわかるんじゃないかと思いますう。でも、それがおもしろいかどうかは、疑問を感じるところ。山本容子さんの絵は、すてきでしたが、この絵も、大人好みなのかしら?

プルメリア:物語の主人公が出てくるのがおもしろいと思いました。主人公たちが会いたがった子どもが成長してからの大人の生活や大人の女性の感情は、子どもにはわかりにくいでしょうが、子どもはドロドロした大人の世界を取り入れたドラマも好きなので、本やテレビを通して、子どもがそういう感情も学んでいくのでは? 各章の冒頭にある手紙が、だんだんと明るい文章になっていくのがいいです。主人公桃さんの挿絵も最後になるにつれて明るい表情になっていく。登場してくる主人公に重ねて子どものときに読んだ本を思い出しました。

サンザシ:私も発想はおもしろいなと思ました。はだかの王様やオオカミや幽霊が本から出て来てうろうろしてるところを想像すると笑っちゃいますよね。ただ、主人公が読んでくれた人を探すという要素と、その後のいろいろな家庭の問題が、ややちぐはぐになっている印象を受けました。主人公が読者だった子どもを捜す、という点に集中すれば、中学年向きのもっとおもしろい作品ができあがったような気がするんだけどな。

あかざ:みなさんがおっしゃるように、本の登場人物が読者を探したいと思うというアイデアは、とてもおもしろいと思いました。私も子どものとき、本を閉じているときは、本の中の人たちは何をしているのだろうと真剣に考えていました。本を閉じているときは別の物語が進行していて、開いたときに初めて、よく知っている物語がまた始まると思ってたわけね。そういう発想を逆転させたというところが、すばらしいと思いました。ただ、そういう子どもが喜びそうなアイデアで始まった話がたどりついた先は、大人の人間関係のごたごたやらなんやらで、子どもは退屈してしまうのでは? それに登場人物が探したい子どもがその本を読んだのは何年も何年も前だから、探しあてた、大人になった子どもたちの話は、アクションではなくて説明になっている。だから、よけいに退屈なんじゃないかしら。アイデアはおもしろいけれど、構成に大きな問題のある作品だと思います。小学生向けのようでもあるし、『食堂かたつむり』(小川糸著 ポプラ社)のように、癒されたい願望の大人が読む本のようでもある。どんな読者に向けて書いた本なのかしら? もしかして、子どもが本を読んだときからさほどたたない時点で、登場人物が読者探しを始めれば、もっと子どもたちにも楽しめる本になったのでは? きわめて個人的な感想ですけれど、本のなかからメタボのはだかの王さまが出てくるというの、感覚的にノーでした! なんで『はだかの王さま』なの?

ハマグリ:絵柄としておもしろいんじゃないですか?

みっけ:p49ページに、父がはだかの王様に見えて……という言葉があるから、とってつけたみたいだとしても、一応理由はあるんだと思いますけど。

ハマグリ:作者は、本の中の主人公のことを書きたかったというより、大人の後日談を書きたかったのではないでしょうか。

コーネリア:どちらも書きたかったのでは?

みっけ:発想がいいという皆さんの意見には大賛成です。すごくおもしろい。それに、はだかの王様やオオカミが出てきてと、ちょっとはちゃめちゃな予感がしてわくわくしたんだけれど、それが尻すぼみになってる。発想の勢いそのままにぐいぐいと話を転がしていけばよかったんじゃないかと思います。それが、実は大人になってから振り返るとこうなっていて、みたいなことを後半で説明してしまう。理に落ちるというか、2時間ドラマの最後の断崖絶壁場面みたいな説明になっていて、がっかりでした。もっとユーモラスなお話にできたはずなのに、なんかウェットなんですよね。子どもってこんなにウェットじゃないですよ。それがとってもいや。やっぱりみなさんがおっしゃるみたいに、最初は子どもに寄り添っていた目線が、後半で大人目線になってしまっているんでしょうね。

コーネリア:そういうアイデアをもう少しいかすと、もっとよかったですね。

サンザシ:これはYAではないんですよね? YAなら、はだかの王様じゃなくて、もっと違う本が取り上げられるんでしょうね。

みっけ:最初のお話だったと思うんだけれど、王様が探している子どもだけでなく、お母さんも出てきたりして、ちゃんとつじつまを合わせてある。それに、最後のお話では図書館員の桃さんの息子まで出てくるじゃないですか。全体がウェットなものだから、そういう工夫もわざとらしく感じられてしまいました。

チェーホフ:愛にあふれた作品だと思います。『牡丹さんの不思議な毎日』(あかね書房)など今までの作品の中では、牡丹さんという大人ではなく「牡丹さんの子ども」の視点で描かれていたりしましたが、本作は大人の視点で描かれていて、新しい試みだと感じました。全体としてはよかった。とても面白かったです。

メリーさん:物語の登場人物のキャラクターと、現実のキャラクターがとてもよく描かれているなと思いました。本の世界と現実の世界をうまくリンクさせていて、おもしろく読みました。人が本を選ぶように、本も人を選ぶ……本との出会いは、人と人との出会いに似ているなと改めて感じました。物語が進むにつれて、桃さんも次第に元気になっていく。それが各章の冒頭の手紙に現れていて、だんだん長くなっていくという設定もいいなと思いました。ただ、これを子どもが読んでわかるかというと、この本も人を選ぶのではないかと思います。本がある程度好きな大人である自分がこれを読むと、本との出会いの不思議さ、大切さがよくわかります。けれど、子どもはどこまで共感できるのか。個人的には「本の話が出てくる」本は大好きですが、子どもたちに読書の楽しみを伝えるには、「本がいいよ」と本の中で言うのではなく、物語そのもののおもしろさで伝えるのがいいのではないかと思いました。

優李:本の主人公が「読んでくれた人を探す」というのは、ミステリー仕立てでおもしろいと思いました。本が好きな高学年の女子何人かに「モニター」になってもらっての感想は、「表紙の絵がいい」「色も楽しそう」「ロボのキャラクターが好き」「桃さんがもう少し若くてお姉さんでもよかった」「最後の章のところは、わかりづらかった」などなど。絵本や物語を題材にした設定なので、中学年の子にも広げていけるものになっていればもっとよかったなあ、と残念です。

コーネリア:文字の大きさは小さい?

優李:文字の大きさは、ものすごく小さくなければ、みなあまり気にしませんが、3,4年生以降に習う字については全部「ルビ」がほしいですね。高学年でも本がそんなに得意じゃない子にとっては「ルビなし漢字の本」は苦手ですし、高学年向きのよい本も「ルビあり」なら中学年以下の児童にも薦められます。

うさこ:本や図書館が大好きな人だからこそ、この発想がでてきたのかなというのが第一印象です。桃さんや出てくる大人がどことなく不器用なところがとてもよかったな。現実は、子どもだけでなく、大人も迷いながら生きていてうまくいかないことが多い。子どもの読者にそういうところはちゃんと伝わったのではないかと思います。絵本の主人公が捜している子たちがみな、家庭に事情があったという設定だけど、その「事情」がもう少しバラエティに富んでいてもよかったのかなと思いました。山本容子さんの表紙、挿し絵は悪くないけど、読者の子どもにどれだけ受け入れられるのでしょうか。

優李:本好きの6年女子は「かわいい」と言ってました。

あかざ:子どもって、小さい物がたくさん描かれてる絵が好きですよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年1月の記録)


本だらけの家でくらしたら

N.E. ボード『本だらけの家でくらしたら』
『本だらけの家でくらしたら』
N.E.ボード/著 柳井薫/訳 ひらいたかこ/挿絵
徳間書店
2009.12

プルメリア:この本を手にするのは今回で2回目です。生まれたときから一緒に暮らしていたとってもまじめな家族が変わってしまい、おとなしかった男の子が元気になる展開がおもしろい。ときどき魔法が出てくるのも、おもしろさにつながってます。おばあちゃんに会いたい女の子が、自分の居場所を見つけるのがテーマの、成長文学なのかな。明るい挿絵がいい。最後に紹介されている作品にでてきたリストから、本を読みたくなるのではないでしょうか。

コーネリア:表紙も楽しそうだし、おもしろそうな気がするなと思って読み進めていたのですが、どうもお話の世界に入り込めなかった。このハチャメチャな感じ、荒唐無稽な感じについて行けないのかな……ファンタジーが苦手だったのか……。つかみ所のないお話でした。

ハマグリ:本を開くとコオロギが出てくるというように、冒頭から突拍子もない出来事が描かれているし、挿絵もファンキーだし、これは奇天烈な話だな、と覚悟して読んだので結構楽しめました。でも全体の雰囲気と違って、テーマはお母さんを探す、自分の居場所を見つけるという王道なんですね。中でも本だらけの家のおばあちゃんがおもしろくて、本好きかどうかのテストだといって、その本を読んでいないとわからない質問をする。本の中で本のおもしろさを伝えているのが楽しかったです。挿絵はアニメーションを見ているようなテンポの速いものだと感じました。

優李:かなりめちゃくちゃな設定と思って読み始めたので、わりと楽しく読めました。魔法の秘密の書や、自分の居場所探しなど、テーマが多すぎる感じがします。ただ、何度も出てくる「何ごともありのままではないのでは」の『ありのまま』にひっかかりました。この場合は「見た目」ということなのでしょうが、「ありのまま」と「見た目」は違うので、日本語としてはヘンです。最初、主人公の養親(?)の会計士夫婦が、あまりにも現実離れした無機質な書かれ方で、こんなので子どもはついてこれるのか?と心配になりましたが、子どもたちは意外に平気で気にしないようでした。それより「本のテスト」のところ、女子はなんとも言わなかったけれど、男子の中には「なんかいやだ」といった子が何人かいました。作者の言葉が作中何度も出てくるところは、ちょっとおせっかい過ぎの印象です。私は苦手です。

メリーさん:主人公が魔法を使えるようになるまでの前半はちょっとまどろっこしいのですが、後半、話が回り出してからおもしろくなりました。(「ここからが話が急展開します」というところあたりから)。なので、主人公にいろいろな目的はあれど、実際に魔法を使って何かするというところをもっと読みたかったなと思いました。そして、作者のコメント、ト書きのような部分ですが、先に種明かしをしてしまっているところが何か所かあって、もう少し効果的に使ったらいいのになと感じました。

チェーホフ:地の文は読みやすいのですが、途中で出てくる作者の言葉が嫌でした。物語の世界に入り込めても、作者の言葉に邪魔されて冷めてしまう。おもしろい雰囲気があるけど、最後まで読んでやっぱりつまらないかもと思ってしまいました。話が盛り上がるシーンが遅いのかもしれません。絵が可愛いなと思いました。

みっけ:とにかく、作者のセリフがうるさくて! どこかでちょっとだけ出てくるくらいならいいんだけれど、あれこれ物事を説明しすぎ。こんなふうに作者がしゃしゃり出てきてあれこれ説明するくらいだったら、地の文とか台詞とかに織り込むくらいの工夫をしろよ!と思いますね。それに、まるで物語とは関係のない、自分の大学時代の教授の話が出てくるでしょう? せっかくこっちが物語世界に浸れそう、と思ったところで、そのたびに腰を折られるものだから、ひどくイライラしました。魔法があってぶっ飛んでいる話はけっして嫌いではないけれど、この話は物語としてきっちり固まっていない感じで、おもしろそうなことがあれこれ寄せ集めてあるだけという印象。これだけいろいろなことが起こっているのに、勢いよく読み進めるという感じじゃなかったです。

あかざ:「とっちらかった本だな」というのが、まず第一に感じたことです。本当はおもしろい本なのに、自分の頭がとっちらかっているからそう思うのかと不安になりました。最初の部分の、退屈きわまる夫婦に育てられている子どもの様子を見に、魔法の世界の者たちが姿を変えてやってくるというところはハリポタとそっくりで、すでにこういう書き方がひとつのスタイルになっているのかと、ちょっとショックを受けました。語り手がときどき姿をあらわす手法は、児童劇などによくあるのでさほど気にならなかったけれど、ストーリーがとっちらかっているのを、これで立て直しているのかなと、ちょっと意地悪な見方もしてみたくなりました。とにかく、あれやこれや盛りこみすぎていて、はたしてクライマックスはどこなのかなと思いました。それから「ダレデニアン」は、誰にでもなれる術ってことですよね。それだったら、マイザーもある程度できているので、必死になって秘密の書を探さなくてもいいし、主人公たちも、世界がひっくりかえる一大事のように騒がなくてもいいのでは? 「ダレデニアン」と出てくるたびに、「なんでやねん!」と、思わずつぶやいていました。私も、この物語のキーワードのように出てくる「なにごともありのままでではないのでは……」という言葉には首をかしげました。「ありのまま」というと、「ありのままの自分でありたい」というように、いいイメージで使うのでは?これは、なにごとも見た目とは違うという意味なのでしょうか? また、訳者あとがきに、終わりの部分でドラジャー夫妻も別の顔を見せるとあったので、もう一度読みかえしましたが、結局サルになったというだけですよね?

サンザシ:あまり出来のよくない本だな、と思いました。リアルなキャラクターはひとりも出てこないわりに、筋書きがばかまじめなので、私は楽しめませんでした。はちゃめちゃなキャラならば、そういうふうに物語も進めばいいのに、そうではない。作者がたえず顔を出して何か言うのも、やたらうるさくて私は嫌でした。ハマグリさんは、本好きかどうかのテストが楽しいとおっしゃってましたが、単なる知識テストに過ぎないでしょ。知ってる子には優越感、知らない子には劣等感をあたえるだけなんじゃないかな。主人公が窮地に立ったときに、何かの本の中身を思い出して切り抜けていくという設定ならまだしもですが…。

(「子どもの本で言いたい放題」2011年1月の記録)


ステップファザー・ステップ〜屋根から落ちてきたお父さん

宮部みゆき『ステップファザー・ステップ』
『ステップファザー・ステップ〜屋根から落ちてきたお父さん』
宮部みゆき/著 千野えなが/挿絵
講談社(青い鳥文庫)
2005.10

プルメリア:宮部みゆきさんは好きな作家さんの一人です。以前、講談社文庫で読んだときはおもしろいなと思ったんですけど、その後、小学校の学校図書館に購入した今回の本(講談社青い鳥文庫)を手にしたところ、以前の本と比べてしまい、挿絵がないほうがいいかなと思いました。小学校では高学年の女子に人気がありよく読まれています。今回あらためて読みましたが、あまりおもしろくなかったんです。双子の会話が作った感じで、自然体ではないように思えました。私の学級の子どもたち(小学4年生)に出だしを紹介したところ、男子から「『お父さんとお母さんが出てった』って、そんなことしていいのかな」という声が出ました。本を読んだ男子は「字が細かいし、書いてある内容がわからない」と言っていました。男子に比べて女子は「おもしろい。絵も好き」と人気でした。「ワープロって知っている?」と聞くと「国語に出ていたよ」との返事。国語の教科書に点字ワープロが出ていたので、パソコンとワープロの違いを言わなくても抵抗はないようです。私は最初のお話の鏡の世界がまあまあかなと思いました。挿絵では主人公が中1には見えない。中学生が読むには間延びしちゃうかな。

クモッチ:宮部みゆきさんは大好きなので、この本も普通の文庫で読みました。他の作品と違って軽く読めるので、読んでいるときはすごく楽しくて、読み終わるとすっかり忘れてしまう、という感じ。それはそれで、読書の楽しみ方の一つですよね。だけど、今回課題本になったのでもう一度読み返したのですが、あまり覚えていなくてあせってしまいました。このシリーズのものであれば、もうちょっと短くてコンパクトにしたほうが、よかったのでは、とも思いました。赤川次郎さんの作品を読んでいる感じでしたね。決して大人も完璧な存在ではなくって、しかも殺人みたいな事件がちゃんと起こっているところなどが、そんな印象でした。

アカザ:私も、たしか前に読んだと思うのですが、すっかり忘れていました。宮部さんの作品は、どれもくっきりと覚えているのに。この作品は、もともと子ども向けのものではなくて、普通の軽いエンターテインメントとして書いたものを青い鳥文庫に入れたのではないかしら。使っている言葉もそうですが、設定も子ども向けにはどうかなと思うようなところがありますから。双子の子ども自体に作者の思い入れがあるわけでもなく、かといって語り手の「おれ」に思い入れがあるわけでもなく、ただ面白いものを軽く書いたって感じ。文章はさすがに上手いなって思いますけど。

ハマグリ:主人公の一人称で書いている饒舌な感じがとってもおもしろくて、最初は楽しく読んでいたんですけど、同じようなパターンの章が続くので半分くらいで飽きてしまって、ちょっと退屈になりました。お父さんっていうには若すぎる主人公が、最初はちょっと閉口していた双子にだんだん情が移ってくる感じがおもしろかったです。でも全体に設定が絵空事っぽいのは否めない。子どもの読者は、全く子どもだけで暮らすなんてことができるといいなと思って楽しく読むだろうけど、偽札のところとか、ちょっとありえない設定も多かったと思います。絵に描いたお札が偽札だとわからないなんて……。最後は、実は主人公は双子にだまされていたというどんでん返しがきっとあると期待して読んでいたら、違ったので残念。そう思ったのは著者がミステリーだって言っているからなんですが、これではあまりミステリーの楽しさはないと思いました。5,6年生が気軽に楽しく読めて、このくらいの分量のものをとにかく1冊読み通したって思えるところはいいかな、と思います。子どもが使わないような四文字熟語とか言い回しとかが出てくるのも、大人っぽいものを読んだなって気持ちになるんじゃないかと思います。

ひいらぎ:宮部さんはけっこう好きなんですが、これはあんまり。すべてが絵空事という感じが最初からしてしまって。双子の子どもは、会話も絵も中学生には思えないし、どうも落ち着かないんですよね。さっき青い鳥文庫版は大人版のをベースに加筆したんじゃないかっていう話がありましたけど、逆に大人向けに出ているものから、6話だけをとったんじゃないの? 大人向けはもっと長くて、そっちを読んだら、物語としても腑に落ちるのかな、と思いました。中途半端感が少なくてね。プロットはそれなりにおもしろそうなんですけど、この版で読むせいか、キャラがどうもペープサートの紙人形が動いているみたいで。それから、双子が台詞を立て続けに言うところは、カギ括弧の前に句点がどれも入っているせいで、勢いがそがれちゃってますね。

アカザ:本好きの子どもって、とにかくなにからなにまで手当り次第にどっさり読むってことがあるでしょう? 私自身も子どもの時そうだったし、子どもたちにもそうしてもらいたいから、そういうときに読むにはいいのかなと思います。

ハマグリ:これって雑誌連載だったのかな? 章の頭に状況説明が同じように繰り返されるでしょ? 雑誌で毎回読んでいったらおもしろいのかもね。

クモッチ:宮部みゆきさんの作品への入口、って感じになったらいいですね。これ読んでから次は『龍は眠る』(新潮社)とかね。青い鳥文庫を書かれている作家の方で、作品中にミステリーの古典についての話をちょくちょく入れる方がいますが、宮部みゆきさんもそうで、『Yの悲劇』(エラリー・クイーン著 早川書房)とか、「87分署」(シリーズ。エド・マクベイン著 早川書房)とかいった言葉を意図的に入れていて、そういうところに、これからの読者への思いを感じますね。

アカザ:今月のキーワード「お父さん」だったんですよね。お父さんの部分はどうですか?

ひいらぎ:独身の主人公が最初は双子が迷惑なんだけど、だんだん情が移っていくってだけで、お父さんについて深く書いてるわけじゃないですよね。

すあま:以前大人の本として読んでいたので、子どもの本で出ているのに違和感がありました。双子が登場するので子ども向けでもよい、ということなのかもしれないけれど、それにしてはあまり活躍しない。あくまで主人公は急にお父さんになってしまった大人の男の人なので、どう捉えてどういう感想を言えばいいのかわかりませんでした。

キノコ:楽しく読んだんですけど、やっぱり子どものための作品とは違う感じですね。青い鳥文庫に収録して、主に小学生向けというのはちょっと疑問でした。中学生くらいだと、この作品も普通の文庫で読めるだろうし。父親となることに関していえば、主人公の心境の変化も、浪花節的な、ある種の型どおりの描き方で、児童書に出てくる「義理の父親」にはあまりない軽さがありますね。

すあま:別に子ども向けで出さなくてよかったのにね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年12月の記録)


父さんと、キャッチボール?

ジャック・ギャントス『父さんと、キャッチボール?』
『父さんと、キャッチボール?』 (もう、ジョーイったら2)

ジャック・ギャントス/著 前沢明枝/訳
徳間書店
2009.09

レン:おもしろく読みました。どうしようもない強烈なお父さんで、こんなお父さんいたらどうしよう、うちのお父さんのほうがまだましだ、と子どもは思うんじゃないかな。この子がこのお父さんと最後どうなっちゃうんだろうというのが知りたくて、読んでしまいました。物語の力でしょうか。翻訳も軽やかで、文字がつまっているのにすらすら読めました。ただ、最初の本を読まずにこれだけ読んだら、ちょっとわかりにくいんじゃないかと思うところがありました。例えば、この子が貼ってる薬のところ。薬がないとどうなっちゃうんだろう、とこの子はすごく心配するんだけれど、この本から読んだ人にはわかるかなあ。また、大人が読めば、あとがきもあるし、この子は発達障がいだろうかとなんとなく勘づきそうですが、子どもが読んだらどんな印象になるのかは想像がつきませんでした。親子のあり方として、こういう生き方もあるのかと思うのかな。

クモッチ:「ジョーイ」の話は、今回1巻目から読ませてもらいました。1巻は自分に対して不安を持っていて、薬などにより自信を取り戻していく話。それに対して、2巻はジョーイがいちばん真っ当なくらい。ここまで周りの大人がはちゃめちゃな作品って、あまりないのでは。2巻では、お父さんやお母さんに愛してほしいと思うジョーイの気持ちが切ないですね。普通の子よりもいろいろ考える子になっている印象ですが、本当のところ、薬によって、こんな風になるのかな、と不思議に感じました。ADHDに対して正しく理解できているか、不安なところもありました。最近、よく話題に上ることだけに、正しい理解につながっていくといいんだろうな、と思いました。ストーリーについては、スピーディーだし、おばあちゃんも強烈だし、はらはらして一気に読ませるところがあります。深刻なんだけど、笑えるところもあるし。ただ、おばあちゃんの肺の調子が悪くて酸素を引いてゴルフに出かけて大変なことになるくだりは、病気について笑うような感じになるので、後味が悪いですね。病気がらみの笑いは、デリケートに扱いたいと思いました。

アカザ:物語はとてもおもしろくて、お父さんに薬を捨てられちゃった主人公がどうなっていくのか、はらはらしながら読みました。おばあちゃんもお父さんも強烈なキャラクターで、最後まで一気に読め、訳もうまく、主人公がいじらしくて……けれど、とにかく読んでいてつらい! 1巻目を読んだときには、薬ですべてが解決する……みたいに読めるのではと、その点が心配になりました。日本では、程度の問題はありますが、ADHDの子どもに薬を投与することの是非について、いろいろな考え方があると聞いたことがありますし。また、この2巻目では、おばあちゃんとお父さんが強烈なキャラクターであるために、もしかしてADHDというのは遺伝的な障害ではないかと読者が受け取るのではと、その点も心配になりました。障がいや病気を扱った本って、とても難しいと思います。巻末に、専門家の見解を載せておいても良かったのかも。

ひいらぎ:1巻目を読んだときは、ジョーイが女の子の鼻を切った事件が解決されていなくて落ち着かない気持ちになったんですけど、2巻目も落ち着かない気持ちになってしまいました。それは、ジョーイが他の子とはちょっと違うわけなんだけど、薬も飲んでいるせいか微妙な違いなので、たとえば誤訳の文章を読んだときみたいに、すっきりと寄り添えない。もっと飛び抜けて違っていれば、たとえば『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン/著 早川書房)みたいに別の視点から世界をながめることができるんでしょうけど。それに、まわりの人物もみんな世間の普通からはズレているので、自分をどこに置いて物語を読めばいいのかわからない。著者が「変わった子のことも理解をしてほしい」という視点なのか、それとも、読者に敢えてズレ感をつきつけようとしているのかも、わからない。だから、読んでいて落ち着かないのかな、と思いました。私は主人公に自分を重ねて読むのが難しかった。
ユーモアについても、おばあちゃんがタバコ吸いながら、酸素ボンベを吸ってて具合が悪そうというのは、笑えないですよね。お父さんのズレっぷりも、怖くて笑えない。ユーモアって、どこか安定したところがないと、無理なのかもしれないですね。この本には、安定した部分がない。お母さんがこの子を愛しているのはちゃんと伝わってくるけれど、ちょっとおかしいですよね。お父さんは明らかにおかしい。同じであることが長所でないアメリカでは、これくらいへんてこな人もいるのかもしれないけどね。いろいろ考えて読んでいて最後まで苦しくて、おもしろくは読めませんでした。

プルメリア:ADHDの子を担任したことがあります。以前は保護者の方は隠しがちでしたが、今は、「薬を飲んでいます。」と話してくれます。また、「物を片付けられない、興奮して騒ぎまくる、うちの子はADHD」という方もいます。専門のお医者も判断できないのが現状かなとも聞いています。病院の先生は「かもしれない」としか言わないようです。この本の主人公は、私の知っている子どもたちに比べて、考えて行動ができるし、分別があるし、野球ができる技能をもっている子です。お父さんはADHDだと思う。遺伝だと考えることができるのかな? ふつうは、子どものときは目立つけど大人になって落ち着き、子どものころのような行動はしなくなります。でも、この本の主人公は違います。この少年はしっかりしているし、薬を飲んで落ちつけば、それでいい。周りの子も「そうなんだ」と受け入れています。その子をまわりが受け入れることで、その子も過ごしやすくなります。この少年はまだ軽い感じがします。おばあちゃんもおもしろくて変わっているけど、少しずつ少年を受け入れています。主人公はもうすぐ5年生になるんだけど、現実の5年生には読みにくい作品じゃないかな。こういう子は増えてきていて、保護者も隠さずにそのことを言えるようになってきています。受け入れられる社会ができてきているのかな、とも思います。以前は、子どもが変わった行動をしても「普通です」と言い切る保護者が多かったのですが、広くものを考えられる人が増えてきたのかなと思います。

ひいらぎ:病名がつくから増えるだけじゃなくて、実際にもそういう子どもは増えているらしいですね。

プルメリア:接し方で子どもは変わります。ちゃんと接していれば子どもはたいてい大丈夫。

すあま:ADHDのことをまだあまり知らなかったころに1巻を読み、こういう本が出たんだ、と興味深く読みました。この2巻目は、いろんな社会問題を詰め込んだ印象があります。リアルに描いているとは思うけど、ジョーイの不安な気持ちがどんどん大きくなっていくので、読んでいる私もだんだんつらくなってきて、楽しく読めませんでした。最後もお父さんとは会わずにお母さんと帰ってしまうし、決着がついていない。子どもの本は、やはり読後感がいいということが大切ではないでしょうか。

キノコ:今回初めて読みました。前半はすこし退屈でしたが、お父さんに薬を捨てられてしまうところから、おもしろくなりました。薬を飲む前の自分が追いかけてきた、という表現が印象的。薬を飲んでいる自分と、そうでない自分と、どちらが本当なのか、そんな問いも思いうかべました。日本では薬を使うことに抵抗感もあり、作品中のお父さんのように「気合で治せ!」という人もいそうですね。それから、結末にはびっくりしました。お父さんとは話し合いもせず、逃げ帰るみたいで読後感がよくなかったです。薬を飲む前のジョーイとお父さんは振る舞いなどがよく似ていて、ある意味、お父さんは治療せずに大人になった場合のジョーイの未来なのかも。お父さんは強烈なキャラクターで、恵まれた人生ではないかもしれないけど、不思議なポジティブさがありますね。読者対象は中学生くらいでしょうか。ジョーイのような子もいるんだと理解を深めるにはいいけど、実際問題を抱えている子は読めるかな?

ひいらぎ:こういう子を知るために読みなさいというのは、嫌らしいですよね。だったら、どんな子が読むんでしょう?

クモッチ:1巻では、あとがきに、身近な子でADHDの子がいるので、そんな子の気持ちが理解できて、読んでよかったという読者の感想が紹介されていましたね。

アカザ:1巻目には、重度の障がいの子どもも出てきて、そこがとても良く書けていて、感動的だったけど。

キノコ:ところで、この話は続きはあるのでしょうか? すわりの悪い終わり方なので、この先が気になります。特に、お父さんが心配。これから先、おばあちゃんが亡くなったらこの人はどうなってしまうのか。

すあま:お父さんはモテる人なんじゃないかな。女の人に、私がついていなくっちゃと思わせるような。(笑)

レン:すごくかっこいいのかも。(笑)

ひいらぎ:変だけどとびきりすてきなところがあるという魅力を書いておいてくれるとよかったですね。おばあちゃんも。

アカザ:お父さんもおばあちゃんも変な方が、リアルな感じはするかもね。

うさこ:本のカバーに「この本はこういう病気の子を知るのに手掛かりになる本として賞賛をうけている」と書いてあったので、そういう目線で読み進めたけど、お母さんとの約束を守ろう、お父さんの期待に応えようと、がんばっているジョーイがとても健気で切なくなっちゃった。1巻目は途中までしか読んでいないんですが、貼り薬などのおかげで、ジョーイは自分自身をずいぶん客観的に見られるようになってきたのかなと思ったな。お父さんは多少大袈裟に書いているんだろうけど、アメリカだったらこんな人いっぱいいるのかなと、変なリアル感もあった。けれど、お父さん、お母さん、おばあちゃんと出てくる大人がみんな激しくって、読んでいてへとへとになってしまう。気になったのは、248pのショッピングセンターについたとき、状況的にはパニック状態だと思うけど、泉のお金をとるところはきちんと筋道だてて冷静に考えて行動している、こういう病気の子の行動としてはこうなんだろうか、と納得していいものかどうかわからなかったですね。258ページの7行目、「父さんとぼくはぜんぜん違う」とジョーイ自身が断言していて、ここが読者に向けての救いかなと感じた。でも、この本、どういう読者が手にとるのかな? 先生が教室で、毎日数ページずつ読み聞かせとか?

アカザ:主人公のモノローグで書き進めていくと、どうしても論理的になっちゃうでしょ? かといって、はちゃめちゃな書き方をしたら、読者がついていけなくなる。そこがすごく難しいわよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年12月の記録)


きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは…

市川宣子『きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは…』
『きのうの夜、おとうさんがおそく帰った、そのわけは…』
市川宣子/著 はたこうしろう/挿絵 
ひさかたチャイルド
2010.04

ハマグリ:お父さんが苦し紛れにいろいろ言うところがおもしろくて、ユーモアを感じました。はたさんのイラストは、この絵があるから楽しく読めるといってもいいくらい。自分で読めるようになった子にとっては、書名もおもしろそうだし、手に取りやすい装丁だし、とても読みやすくて楽しい本だと思います。野間児童文芸賞を取るほどの作品ではないのでは、という意見も聞きましたが、このくらいの年齢の対象のものが受賞するのはいいことだと思います。

ひいらぎ:市川さんは、『ケイゾウさんは四月がきらいです』(福音館書店)もおもしろかったですよね。この年齢の子を対象に書けるすぐれた作家だと思います。同じような物語に瀬田貞二さんの『お父さんのラッパばなし』(福音館書店)がありますが、あっちはちょっと古い。これは、現代の子どもが読んでもすっと入り込めますね。まず、お父さんが言い訳のためにほら話をするという設定がいい。四季折々の話になっているところもいい。このお父さんはふだんは夜子どもにお話を聞かせてやったりしているわけですよね。最後に「あっくん、おやすみ」と言っていることから、子ども思いのお父さん像が伝わってきます。お父さんのキャラも、「こんなことができるか」と言われるとムキになるという設定で、そこもおもしろい。春夏秋冬の4話になっていますね。お話をしている夜はおとうさんは家にいる。たまたまこういうことができない日があって、その日に言い訳をしている。最後の作品は安房直子みたいですね。(そうそうとみんな)

プルメリア:子どもたちは、男の子も女の子もおもしろいと言って読んでいました。発想がユニークだし、挿絵がとてもいいです。特に1話が終わったあとの挿絵がとってもいい。作品を読んだ子どもたちの感想は、「雷の子をのせたボートが空に上がっていくシーンがいい」、「お父さんが星をバットで打つ場面や「メタボ」といわれて頑張るところがおもしろい」、「モップで星を落とす場面の絵を見たかった」、などでした。私が残念だと思ったところは、目次がないこと。目次があるともっとわかりやすかったと思います。この本を読むと自然にお父さんに関心が湧いてくるのではないでしょうか。子どもには受ける話です。

キノコ:読んでいて幸せになるような話でした。お父さんが読み聞かせするにもぴったり。すごくよくできていて、お父さんがちょっと子どもっぽく、はりきっていろいろするところも、いまどきのパパらしくておもしろい。子どもも楽しく読めると思います。それぞれのお話の最後に対応して、お父さんと出かけている見開きの絵があるのもすてき。表紙の絵にある、お父さんが飛ぶシーンが出てくるのかな、と思いました。(お父さんが飛ぶのを引きとめているのかも、という表紙についてのみんなの意見)

うさこ:帰りの遅いお父さんから息子への「深夜帰宅」のわけを綴った物語のプレゼント、といった作りで、その構成のアイデアがおもしろいと思ったな。どれも動物と体を動かすことと、何かの目的のために手伝うお父さん、というシチュエーション。短い1話の中にそれぞれ小さな夢と想像力豊かな展開があって、作者の力量を感じる1冊でした。気になったのは、空想の質が、ちょっと女の子っぽいかな?と思った点。野球やボートなどが男の子の遊びっぽいから、男の子にも受けるのかも。1話の長さもいい。1話が終わって、その続きを連想させる絵があるところもいい。こういうところは文章にしたらおもしろくないけど、絵で余韻を広げるという意味で、とても楽しい構成。

レン:楽しく読みました。もうみなさんから出尽くしていますが、うまいなと思った点は、今の子に身近なものをうまくとりいれているところ。2つめの雷の話で、ケータイで5656に電話をかけるとか、3つめの話でアライグマが、お父さんが打ちそこなうと「うわ、だっせー」「だめじゃん〜」と言ったり、メタボとからかったり。その頃合いが、とてもいいと思いました。すぐそこに、本当にこういう世界がありそうな感じがしてきます。会話もうまいですね。こういうリズムや口調、ぜひ勉強したいです。

クモッチ:最初の話の「穴を掘ってたんだよ」でつかみがグッとくるって感じだったですね。そういう手があったか、というような。発想の勝利。『ケイゾウさんは四月がきらいです』も、おもしろいと思って読みましたが、今回『ケイゾウさん〜』を読み返してみると、低学年向けの本だと思うのに、字が小さくてルビも少ないんですね。笑いのツボも大人向けのような。もしかして大人向けだったか、という印象です。そういう意味でいうと、この本は、読み手のことも考えていて、親子でおもしろく読める本じゃないかと思いました。

ひいらぎ:最初は、お父さんが酔っぱらったかなんかで、服をどろだらけにして帰ってくるんですよね。文章にはないけど、挿絵がそう語っています。あっくんも、怒った顔をしています。

クモッチ:絵に、お母さんが出てこないんですね。最後のほうに、やれやれ、って感じでお母さんがいそうですが、夢を壊さないんですね。はたこうしろうさんだからですかね。

アカザ:それぞれのお話の終わりに見開きの絵を載せているところといい、編集者がとても力を入れて、丁寧に作っている本だと思いました。みなさんがおっしゃるように、幼年童話が賞を受けるというのはいいですね。でも、でも……『園芸少年』(魚住直子著 講談社)が受賞するとよかったのに!

(「子どもの本で言いたい放題」2010年12月の記録)


アナザー修学旅行

有沢佳映『アナザー修学旅行』
『アナザー修学旅行』
有沢佳映/著 
講談社(青い鳥文庫もあり)
2010.06

あかざ:かぎかっこの中だけではなくて、地の分もイマドキの口調で書いてあるので、正直言って、80ページくらいまで読むのが苦痛でした。それを過ぎると、あとはすらすら読めて、けっこうおもしろかった。修学旅行に行けない生徒たちが、学校に来て授業を受けるという設定は、新鮮でした。ただ、それからの展開が、あまりスリルもなく終わってしまって、リアルなんでしょうけれど、なんだか物足りない。登場人物も個性の違う人たちがいろいろ出てくるのだけれど、掘り下げ方が足りないというか……。児童養護施設で育ったふたりも、ジャックリーン・ウィルソンの「トレイシー・ビーカー」と読みくらべると、表面的な気がしました。

ハマグリ:3日間の出来事ですよね。1日目はおもしろいシチュエーションだなと思ってひきこまれて読みました。なかなか他人と積極的に交わらないといわれている今の子が、一緒にいなければならない状況に置かれて、さぐりながら交わっていくというのがおもしろかったです。会話も、こんなふうにしゃべるんだろうなと思いながら読みました。でも、2日目、3日目と読んでいっても、状況が変わらないんですよね、何も起こらない。会話部分をとても丁寧に書いているけれど、同じ場面が続くので退屈してしまうところもありました。ドキュメンタリー番組を見るような興味で読むのはいいんだけど、小説としては物足りなさを感じました。

ひいらぎ:私はすごくおもしろかったのね。というのは、今の子は自分と同質の子としかつきあわないんですよ。この作品では、ホームで暮らす子同士だけは旧知の間柄だけど、あとの子たちは、こういう状況でなければ付き合おうとしない子たちですよね。それがこういう場で出会って、だんだんに認め合っていくのがうまく書かれています。表面的には何も起こらないようだけれど、内面のドラマはいろいろある。例年の講談社新人賞受賞作品よりはずっとおもしろいと思いました。

ダンテス:まあ、今どきの子に読ませることをねらって、こういう口調で書いてるんでしょうね。そういうふうに書かないと売れないのかな。迎合しているように思えてくる。「そうゆうことは」とか「じゃねえよ」とか。これでは文章としての日本語はおしまいかなという 気になりますね。お話の設定としては、修学旅行に行けない子どもたちが集まるっていうのはおもしろいし、一応登場人物それぞれの描き分けはできている。でも、これを関係している子どもたちに読ませようとは思わないな。

三酉:作家は36歳。でも青春時代を卒業しておられないのかな。思春期の夢、という印象でした。危ないところにはさわらず、仲良しになれたらうれしいね、みたいな。ただ、最後のところで「友だちじゃないし」っていうあたりからが雰囲気が変わっていますけどね。言葉の話でいうと、この口調が中学3年のものなんだろうか。高校3年というのなら分かるけれど。そうではなくて中3だというのは、高3だとセックスとかがからむから、淡淡というか、ほわほわという物語にならないからでしょう。

メリーさん:今回の3冊は、いずれも女の子の独白で成り立っている作品です。その中で、これは絶対、賛否両論になるだろうなと思っていました。私自身はとても好きな1冊です。新人としては読ませるほうだな、と。もちろん、キャラクターは、型にはまっていて、できすぎ。どちらかというと、ライトノベルに近いようなつくりです。でも、何も起こらない3日間をここまで読ませるというのは、とても力があるのではないかなと思いました。アクションを起こす時間と、皆の会話で成り立っている時間が交互にあって、読み終わると本当にいろいろなことがあったと思わせる。野宮さんが、いい子になるために「努力している」なんて言ってしまうところ、一見おどけもの小田が「他人のことなどわからない」と言い切るあたりは、どきっとしました。ひと時の出会いを経て、また離れ離れになっていくのはさびしい気もしますが、今の子はそうやって現実との折り合いをつけているのではないかなと思いました。あえて友情を深めるわけではないけれど、着実に前に進んではいる。一点、主人公のキャラクターがもっとはっきり出ていればなと思いました。

レン:最初はすいすい読み始めたのですが、途中で退屈になって投げそうになりました。私は修学旅行のような行事が好きではなかったので、修学旅行に行けないからといって腐るというのに、共感できないというのもあったのかもしれませんが、あまりおもしろいとは思えませんでした。たとえば部活の上級生と下級生の間のいじめは、今もこんなのがあるのでしょうか? こういう書き方で出てくることが、少し古い感じがします。それに、修学旅行に携帯電話を持っていけるというのは、高校生ならいいけれど、公立の中学校ならありえないはず。ちょっと作られた感じがしました。タイトルにひかれて中学生が手にとったら、共感して読み進めるかもしれませんけど。

みっけ:最初の3,40ページは、次から次へと新しい名前が出てきて、しかも最小限の説明だけでずんずん運んでいくという感じだったので、キャラクターと名前が一致しなくてきつかったです。でも、互いに同質な者同士で固まろうとする傾向が非常に強くなっている今の学校生活で、絶対に接点を持とうとしないだろう子どもたちが、そろりそろりと触角をのばして互いを確かめ合い、それなりの理解をするという感じはよく書けていると思いました。アメリカのちょっと古い青春映画で、学校で罰の作文を書くために集まった多種多様でふだんは接点を持たない高校生たちが、互いを知るようになり、深くものを考えるようになり、結局は学校(教師)に対して異議申し立てをする、という作品がありましたが、それと思わせるうまい設定だな、と思いました。ただ、学校に異議申し立てとか、そこまでアクティブにならないところが、今の日本の学校の状況を反映しているんでしょうね。物足りなさを感じないわけではありませんが、これがリアルさを失わない精一杯なのかな、という気もしました。前にこの読書会で取り上げた『スリースターズ』(梨屋アリエ著 講談社)も、やはり特殊な状況に置かれた異質な子どもがお互いを発見する物語でしたが、あれにに比べておとなしい感じがしたのも、学校の中の授業時間内だけで進む話なのでやむを得ないのでしょうね。というわけで、文体についていけなかったりして、ちょっとしんどいなというところもあったけれど、途中からはそれほどいやではありませんでした。それと、主人公の一人称でずっと書かれていて、主人公がせっせと人を観察し、あれこれ注釈を加えるから、下手をすると「自分のことは棚上げで、人のことを観察してあれこれいっている。いったいこいつは何者だ?」という感じになりかねないけれど、最後の方で、女優をやっている岸本という子が、演技するときは、主人公をイメージしてるんだと言い、それに対して主人公が、不意を突かれて「え?」と思う場面を入れることで、この子自身も「全知全能の神様」でない普通の女の子だという感じになっているのは、うまいな、と思いました。全体として、きらいな本ではなかったです。いじわるさもないし、陰々滅々とした現状をただ上手に書くだけの本でもなかったし。

三酉:施設の子とか保健室登校の子とかを登場させる以上、そういう子が抱えるであろう屈折を押さえたうえで、一味違うキャラクターとして描く、ということが必要だと思いますが。

プルメリア:私は中学時代を思い出し、ジャイアントコーンを食べながら読みました(笑い)。修学旅行は子どもたちにとってわくわくドキドキする特別行事。参加できない子どもたちの複雑な心情がうまく伝わってこなかった。登場人物はさわやかだけど、ドラマを見ているようで現実感が希薄かな。不登校の生徒が加わると、ますます作られたストーリーに思えました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年11月の記録)


おとぎ話はだいきらい〜トレイシー・ビーカー物語1

ジャクリーン・ウィルソン『おとぎ話はだいきらい』表紙
『おとぎ話はだいきらい〜トレイシー・ビーカー物語1』 (トレイシー・ビーカー物語〈1〉)

ジャクリーン・ウィルソン/作 ニック・シャラット/絵 稲岡和美/訳 *改訳新装版
偕成社
2010

メリーさん:文句なくおもしろいと思います。すべて独白というのもあって、3冊の中では一番元気で、しゃべってしゃべって突っ走る感じが痛快でした。まさにトレイシー・ビーカー劇場。でも、それだけではないところがまたいい。友だちが離れていったといって悲しんだり、逆に突然立ち止まってひとり考えたり。元気の中にさびしいという気持ちが垣間見えるところ。それから、マクドナルドで若い作家と会う約束をする場面。自分を理解してくれる人に会いに行きたいけれど、母親からその時に電話がかかってきたらどうしようと悩むところは、とても上手だなと思いました。日本での対象は高学年くらいでしょうか? ぜひ読んでほしい1冊です。

三酉:施設の内と外、ということがお話のダイナミズムを支えていて、まことに見事。これと『アナザー修学旅行』を比べると、『アナザー〜』はコップの中の嵐、という印象ですね。これだけ突っ張っていて、実はまだおねしょしている、という、ひとつのエピソードで主人公をくっきりと描き出す。作者はほんとに力あるなと感心しました。もうひとつ『アナザー〜』との対比で言うと、トレイシーの世界には、ちゃんと大人をやっている大人が登場するのに対して、『アナザー〜』にはゆるい先生しか出てこない。この対比はつらい。

ダンテス:里親の話って、すぐ思いうかんだのはキャサリン・パターソンの『ガラスの家族』(岡本浜江訳 偕成社)です。文化的には同じかな。現実には、この子は親から捨てられた子なんですね。日本では里親制度ってあんまり広がりませんよね、巻末の解説を読むと、そんなことへのいらだちが書かれている。『ガラスの家族』もそうですけど、日本でこういうお話を翻訳で出すことになると、なんか里親制度を広げようという方向に持っていってしまうというのが興味深い。でも、翻訳の言葉も含めて、いい作品だと思います。テンポよく読めました。

メリーさん:物語を読んだ読者の中で、里親制度に興味を持った人が、解説を見て連絡をとるということもあるみたいですね。

プルメリア:私は主人公のお母さんがどういう人なのか知りたかったので、全3巻を全部読みました。子どもに親しみやすい形になっていて、子どもには手にとりやすい本だなと思いました。主人公はたくましいけれど、ある意味弱いところがあり、お客さんの来るときお化粧しちゃったり、友だちとの賭でミミズを食べたり、友だちの大切にしている時計を壊しちゃったり、そういう心情がよくわかります。イギリスではテレビ番組にもなっていて、それも人気があるそうです。

ひいらぎ:このシリーズは3巻まで読みましたが、すごくうまい作家だなって思いました。ウィルソンは労働者階級の出身なんですよ。イギリスの児童文学の中で画期的なことです。イギリスのほとんどの児童文学作家は、ある時期までみんな上流、中流出身で、中流以上の子どもたちに向けて書いてましたからね。ウィルソンが書く10歳くらいの子は、家庭の愛に恵まれず社会的の中心にもいられない子どもたちなんだけど、そういう子たちを書いたのにイギリスではみんなベストセラーになっている。その理由のひとつは、やっぱりユーモアでしょうね。シリアスな状況を書きながら、笑える部分が随所に用意されている。ちょっと間違えると嫌らしくなると思いますが、そのぎりぎり一歩手前で笑わせる。だから大人が読んでもおもしろいし、子どもが読んでもつぼにはまるっていうのか。ほんとにこの人はうまいですね。

ハマグリ:私もジャクリーン・ウィルソンの作品はすごく好きで、子どもたちにすすめたい本が多いです。この本の良さは、子どもたちが読んでいて、作者が絶対的に子どもの味方であるっていう安心感が伝わるところです。日本の児童文学では、大人が敵みたいに描かれたり、子どもをわかってくれない存在として描かれることが多いけれど、ジャクリーン・ウィルソンが描く大人は、子どもを1人の人間として扱ってくれる。子どもである自分を対等な存在としてきちんと認めてくれるということがはっきりわかる。子どもたちにはそれがうれしいと思います。日本の子どもたちにとっては、なじみの薄いシチュエーションもあるんだけど、リアルな挿絵ではなく、漫画っぽい挿絵だから逆に読みやすいかなと思います。

ひいらぎ:挿絵を書いているニック・シャラットって、ウィルソンが最初に出会ったときはダークスーツを着込んでてまじめな堅物って印象だったんですって。でも、ウィルソンが落としたペンかなんかを拾おうとしてテーブルの下にかがんだときに、黄色い靴下をはいてるのがわかって、ああ、この人ならおもしろい絵が描けそうって思ったんですって。ほんとにニック・シャラットの挿絵は、物語を重苦しくしないという大きな役割を果たしてますよね。

あかざ:私もジャクリーン・ウィルソンの作品は大好きですし、邦訳が出版されるとすぐに買いに行くという子どもの話もよく聞きます。この人は、本当に貧しい子どもたちや、不幸な環境にいる子どもたちの守護神みたいな作家ですね。現実の子どもたちと接する機会もとても多いとか。この作品も、物語の中の作家のように、何度も施設に足を運んでから書いたのではないかしら。読書会のたびに、いつもしつこく言っているのですが、日本の作家さんたち、とくに若い方たちは、自分の身の回りを書くのは上手いけれど、社会につながっていくようなところが足りないんじゃないかな。現場に何度も足を運んでいれば、大上段にかまえなくても自然に作品のなかに社会につながっていくところが出てくるんじゃないかと、またまた思いました。ウィルソンのほかの作品もそうですが、この話って考えてみると、すごく悲しい物語ですよね。それをこんなふうに軽やかに、ユーモアたっぷりに書ける才能ってすごい!

みっけ:出だしが上手だなあと、まずそれに感心しました。「私のノート」とあって、この子の望みや何かがばんばん打ち出され、気がつくと読者は完全にこの作品世界に入っているという仕組み。しかもその出だしからすでに、強気なようでいてもろかったり、突っ張ったりしているこの子の有り様がみごとに表現されている。もう一つ、この本を象徴しているのが、最後に出てくる「おとぎ話はだいきらい」っていう言葉。これはいいなあと思いました。この子は、お母さんのことや、作家のお姉さんのことなど、自分でいろいろなお話を作り上げることによって、厳しい状況を乗り切ってきている。つまりその意味では、お話を必要としている。でも、安手のおとぎ話なんかいらない!と突っ張ってみせる。これがいいんですよね。人の作ったおとぎ話に自分を合わせるんじゃなくて、自分でお話を作る姿勢、と言ってもいいかもしれない。といっても、おそらく本人は自分でお話を作っているということを明確に意識してはいないのでしょうが……。英米の児童文学を読むといつも感じることですが、主人公の能動性が読者を強烈に引きつける。ただ座って嘆いていてもしかたないじゃない、というパワフルさ。それでこそ、子どもたちへのエールになるし、その意味で、この本は児童文学のお手本みたい。がんばれ、お互いがんばろうよ、そしたら何かが開けてくるかもしれないよ!という作者の姿勢が感じられる。それと、この子の表に出ている部分と、人には絶対言わずにノートに書く部分と、ノートにも書かない部分と、そのすべてが表現されている点も、すごいなあと思いました。もうひとつ、施設の子も含めた子どもたちみんなと自分とが同じ地平にいる、という作者の視線が伝わってきて、ほんとうに感心しました。

レン:テーマの扱い方がうまいですね。ひとつは、子どもの引きつけ方。主人公と一緒になって読んでいけます。それから、大人がきっちり書けている部分。若い作家のカムも、子どもの前で無理していいかっこうをしなくて、「わたしはそのときは寝てるわ…」などと、はっきり自分の都合を言うんですね。そういうところが痛快。この間、清水眞砂子さんが講演で、最近の日本の作家の書く児童文学は、いい子ばかりが出てくる、大人の描けていないものが多いと指摘なさっていましたが、この本は、それとは正反対。お説教くさくなく、施設を舞台にしながらとんでもないことをやらかす主人公が登場して、一見軽そうだけれど、人物が多面的に描かれていると思いました。日本の作品で比べられる作品ってあるでしょうか? 日本の児童文学に登場する大人がおもしろくないのは、平板な社会の反映なのかしら。少し前なら佐野洋子さんとか、型にはまらない大人をうまく書いていますよね。真面目に、直球ばかりではなく、ふっとはずす感じで。

ひいらぎ:子どもの時に子どもらしく遊んだ経験があれば、そこを卒業して大人の目をもてると思うんだけど、今は子どもがなかなかそういう経験ができないみたい。幼稚園なんかでも、子どもをのびのびと遊ばせていると、親から「学校に入ったときのことが心配だから、勉強を教えてくれ」とか「整列の仕方を教えておいてくれ」とか、言われるそうですよ。

ハマグリ:新版になって、翻訳も手直ししたようです。主人公の口調がずいぶん変わっているんですよ。前より女の子っぽくなくなってますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年11月の記録)


小さな可能性

マルヨライン ホフ『小さな可能性』
『小さな可能性』
マルヨライン・ホフ/著 野坂悦子/訳
小学館
2010

ハマグリ:主人公の気持ちをすごくていねいに書いていると思います。小さい子がいかにも考えそうなことをね。理不尽だけれど、せっぱつまって子どもらしい論理をつくってしまう。子どもの不安を文章にするのはむずかしいと思うんですけど、うまく表現してあり、共感をおぼえました。お母さんと犬の存在も子どもの目からうまく書けているし、好感をもって読みました。

ひいらぎ:私はちょっと違和感がありました。この子が、弱ったネズミをもらってきて世話するでもなく死なせたり、歩道橋から飼っていた犬をつきおとそうとするのは、どうなんだろうと思って。弱った生き物を救えれば、お父さんも生きて帰れるんじゃないかって、普通の子どもだと思うんじゃないかな。動物の命を人間の命より下に見る西洋的価値観があらわれているのかもしれませんね。それから、この本は日本で読むと、マイホーム主義を主張しているように読めますね。この子のお父さんは、「国境なき医師団」のような団体に所属して戦闘地域で医療活動をしてるんでしょうけど、そういう人がまわりにいない子ども読むと、自己満足のために家族を心配させる身勝手なお父さんとしか思えない。地雷も出てきますが、お父さんが被害者になっただけじゃなくて、現地の人はいつも被害にあっているっていう視点も、この作家にはありませんね。この本を読んだ子は、危ない所には行くなっていうメッセージだけを受け取ってしまうのでは? 最後に、車椅子になったお父さんが娘に、次からは一緒に行こうって言うんですけど、そこもリアリティがなくて、頭の中で考えた作り話なのかと思いました。

プルメリア:題名がいいなって思いました。夏に読みましたが、もう1回読んでみて、主人公の心情がよくわかりました。お父さんが死ぬ可能性を小さくするためにネズミや犬を殺そうとするなど、主人公が抱いている不安がよく書かれていると思いました。かかわっている登場人物、歩道橋で出てくる男の人や友だちもあたたかい。最後のお父さんのせりふも、前向きな気持ち。女の子の心情とともに戦争がテーマにはいっている。重い内容が描かれているけれど、読んだ後がさわやか、心があたたまりました。

ダンテス:ちょっとドライすぎるかなって印象を持って読みました。全体的に冷たいって印象があるのは、ひいらぎさんが言ってたようなことのせいかな。

三酉:「これを書く」みたいなことが、はっきり見えすぎている印象。お父さんは、オランダにいれば安全なのに、安全でないところに出ていく。そこである意味、話が成り立ってしまう。ここにも内部と外部の緊張というのが、お話の骨格として出てくる。それにしても、この奥さん、あんまり幸せじゃないんでしょう。子どもをまったく支えることができていない。

メリーさん:地元の国の文学賞を受賞したというので、興味をもって手にとりました。主人公の「可能性を小さくする」という考えがとてもおもしろいなと思いました。どうしようもない困難にぶつかったとき、子どもも、彼らなりに何か自分にできることはないかと考えると思います。考えたすえに思いついたのがこのアイデア。家族の助けになりたいために、また自分の不安の解消するために。本当は進むべき方向が間違っているのだけれど、なるほどなと思ってしまいました。こういう子どもたちのしぐさ、動物のお墓を作るようなことやったなあと、自分自身の子どもの頃を思い出しました。

レン:とらえどころがない印象を受けました。お父さんが「国境なき医師団」で外国に行っているのがポイントだと思うのですが、別の理由でお父さんが海外に出ていても、大差ないかな。どんな子だったらこの本をすすめたくなるのか、対象となる読者が想像つきませんでした。

みっけ:読み始めてしばらくして、あ、これって「禁じられた遊び」だな、と思いました。なにかのトラウマやストレスが原因で、ある種儀式のように死と生をいじって、自分の心のバランスを取ろうとする。そのために、命を命として見る視点が消えていく。作家が、大きな不安にさらされた無力な子どもを書きたいと思うのは、とてもよくわかる。題材としてとても魅力的だから。でも、そうやって書いた本が子どもに向けたエールになっているかというと、この本に関しては疑問だと思いました。なんだかトーンが弱い。主人公がこの年齢の子だから成り立つ話だという気がするんですが、児童文学の読者である子どもたちが、この年齢の子のこういう行動を読んで、どう感じるんだろう、どうなるんだろう、という疑問があって。禁じられた遊びと同じで、大人向けならわかるんですけれど。それにしても、なんか淡くて線が細い感じで、リアルさが感じられなかったです。

あかざ:書き方を変えれば、ホラーにもなりうる話ですよね。子どもはこんな風な考え方をするかもしれないけれど、そこに共感するかどうかが、この本を好きになるかどうかの分かれ目ですね。ただ、考えるかもしれないけれど、実行にうつすかな?「考えと行動は別々のもの」と、お母さんが言うでしょう? 考えるだけならいいけれど、実行してはいけないということかな? 人間の命がなにより大事で、ほかの動物の命はそれ以下という考え方がキリスト教的な社会にはあると聞くけれど、輪廻転生といった日本人の感性とは相いれないところがあるのでは? この本が賞を受けたのは、国境なき医師団にお父さんが入っているからかもしれませんね。

ひいらぎ:「国境なき医師団」ではなくて、「赤十字」や「赤新月社」かもしれませんよ。それにしても、そういう団体が何をやろうとしているのかは、きちんと伝わってはきませんね。

あかざ:国境なき医師団の医師だけでなく、家族も大変だけれど頑張っているとか……。銃後の妻のような。

ひいらぎ:この家族は、お父さんを理解して支えているというより、困っている面が強調されています。だから、そんな危ないことをしてないで家庭を大事にしろ、というメッセージばかりが強くなってしまう。

みっけ:どれくらいの年齢の子が読んでるんですかね。

あかざ:YAでしょうね。でも、口からもおしりからもパフッと息をする犬の話は好き!

みっけ:ちょっと悲しめの話が好きな、若い女の人向けの本なのかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年11月の記録)


まよわずいらっしゃい〜七つの怪談

斉藤洋『まよわずいらっしゃい』
『まよわずいらっしゃい〜七つの怪談』
斉藤洋/著 奥江幸子/絵
偕成社
2010.07

ハマグリ:これは怪談シリーズ3冊目で、前の2冊と同じく、主人公が西戸先生の研究室に招かれ、順番に披露される怪談を聞くという形になっています。ただの短編集じゃなくて、こういう枠にしたのは読みやすいんじゃないかと思いました。たかしくんっていうのが進行役になっているのも、子どもにとっては読みやすいと思います。怪談自体はそんなに怖いわけではなく、まあまあの話が多いです。各巻で怪談のテーマが変わり、今回は乗り物で統一されているのがおもしろいですね。一つ怪談を聞いたあとで、いろいろ疑問点があると思うんですが、聞き終わった大学生たちが、みんなでああだこうだ言う場面があるので、読者もそこで納得がいったりいかなかったりする。そういうシチュエーションをつくっているのも、子どもにとって読みやすい工夫だと思います。文章が読みやすく、すらすらと読めました。

メリーさん:すらすら読めました。この著者は本当にページをめくらせるのがうまい。ただ、話の内容に関しては、とりたてて目新しいものはなく、どこかで聞いたようなものが多い気がしました。斉藤洋さんに書いてもらうなら、もうちょっと別の切り口の話が読みたいなと思いました。それでも、子どもたちは怖い話が大好きなので、この本は手にとられるのではないでしょうか。

レン:さらさらと読めました。ハマグリさんと同じように、構成が上手だなと思いました。小学生は怖い話がとても好きですよね。「怪談レストラン」シリーズ(松谷みよ子/責任編集 たかいよしかず/絵 童心社)や「学校の怪談」(常光徹/著 楢喜八/絵 講談社)など、怪談は読書の入口として間口が広い。ただ、それよりももうちょっと書き方が練られているというところで、この本は図書館の先生が手渡しやすいものだと思いました。うちの市の図書館でも、よく借りられていて、人気があるようでした。やはり斉藤さんは文章がうまいですね。すぐに読者がこの世界に入っていける。短い言葉でさっと、それぞれの場面がたちあがってくるのがすごいと思いました。

ゆーご:このくらいの怖さなら、怖がりだった子どもの頃の自分でも読めたかな。怪談クラブのような秘密結社的なものも子どもの頃って好きですよね。単に肝試しという形をとるのではないところがおもしろいと思いました。最後にクラブ自体が最大の怖い話、というふうに終わるのもうまい。ただ、“ポマード”のような、子どもの知らない単語は入れなくてもよかった気がします。大学生の描写もけっこうあるけどイメージできるのかな。語る人によって話のテイストが工夫されているのが面白いけれど、彼女との遊園地の話がほとんどホラーでなくなっちゃったのは、少し残念。ひとつの話に対するやりとりをもう少し広げて書いてみてほしい。シリーズの他の作品も気になります。

ひいらぎ:この作品は、入れ子になっているっていうのか、構造がまずおもしろかったですね。外側に西戸先生の研究室のできごとがあって、それ自体が不思議で、先生からの手紙も回数券も、いつのまにか消えてしまったりする。そしてその枠の中にまた参加者が語る一つ一つの怪談があるんですね。やっぱり斉藤さんはうまい。怖さから言っても、私はいろいろ想像するとこの作品がいちばん怖かった。この手の作品をたくさん読んでれば新味はないかもしれないけれど、知っているものやなじみのシチュエーションが出てくるので、子どもには読みやすいんじゃないかな。“ポマード”ですけど、今の子は存在そのものを知らないでしょうから、何だろうと逆に興味を持つかもしれませんね。

レン:わざと時々、難しい言葉を使っているのかなと思いました。「肥後の守」なんて、今の子はぜったいに知らなさそうなものを出してきているから。

ひいらぎ:わざとかもしれませんね。全体が読みやすいから、あっても気にならないし、ほかの二作と比べると文章もプロの作家の文章ですよね。

サンシャイン:『さとるくんの怪物』を読んでからこちらに行ったので、読んでいてぞーっとする所もあって、古典的な話ではありますが、読ませる力がある作品だと思いました。遊園地で写真を撮ったら、1人だけ写っていたっていうのも、話としてはおもしろいです。それからトンネルの中での幽霊話は、私の子どもの時によく聞かされた話です。鎌倉と逗子の間にトンネルがあって山の上には焼き場があるので、トンネルの中に幽霊が出るという話です。久しぶりに聞く話だと、変に懐かしく思いましたが、文章はうまく表現されていると思います。主人公の男の子は年下なのに、大学生からいろいろと期待されちゃっていて、ちょっと出来すぎという感じもしましたが、語り手役・話の進行役としては子どもの方がいいのかもしれません。

ハマグリ:そんなに怖くはないけど、ちょっとぞっとする話っていうのは、子どもたちが楽しめるんじゃないかしら。

ひいらぎ:『さとるくんの怪物』は、説明しすぎていて怖くないんだけど、こっちは、そういう現象があったという記述にとどめているので、いくらでもその先を想像できる。だから逆に怖い。

シア:斎藤洋さんの大ファンなので、今回とても楽しみにしていたんですけど、この著者は、作品によって作風がガラリと変わってきますね。この作品は、私としてはあんまりピンとこなかった。話の一つ一つは興味深いんですけど、それぞれに明確なオチがないっていうのがすっきりしなくって。都市伝説的なものはこんなのが多かったと思うんですけど。エピローグがいちばんおもしろかったんですが、他は頑張って読むような感じで。今回テーマがホラーとなっていたので、かまえて読んでしまったのもいけなかったのかもしれません。というのも、ホラーというと最近どぎつくなってきてしまっているので。「ニック・シャドウの真夜中の図書館」シリーズ(ニック・シャドウ/著 野村有美子/訳 ゴマブックス)とか、「怪談レストラン」シリーズなどですね。でも、今回のようなホラー本も、味があっていいし、センセーショナルすぎる内容というのはよくないんだなというのがわかりました。「真夜中の図書館」は教訓的な部分も多いんですけど、これはさらっと事実のみを描いていますね。斉藤洋ファンとして言えば、いい意味でまわりくどい言い回しなんかもないし、章ごとの題名も短いし、いかにも斉藤洋節、炸裂じゃなかったのが残念です。

レン:中高校生の女子もホラーは読みますか?

シア:好きですね。山田悠介とか、ダレン・シャン。少し上になると、小泉八雲、「雨月物語」も。血が出たり、ビジュアル的にきついほうが人気がありますね。困りものですが。

メリーさん:『トワイライト』(ステファニー・メイヤー/作 小原亜美/訳 ヴィレッジブックス)はどうですか?

シア:好きな人は好きだけど、あんまり騒がれていないですね。外国のものはそんなに好まれないかな。名前が覚えられないと言っているのをよく聞きます。文化の違いにも違和感を感じるようです。それよりも、日本の都市伝説系の方が断然好きですね。それから、映画からだと入っていきやすいのか、『リング』(鈴木光司/著 角川書店)とか、『着信アリ』(秋元康/著 角川書店)なんかも好きですね。

メリーさん:女の子のほうがホラー好きなのかな。男の子は大きくなると読まなくなる気がします。

プルメリア:私は斉藤洋さんの作品は大好きで、最初から全部読んでいるんですけど、この作品は都市伝説っぽい感じがします。表紙に、ここに書かれている7つの話の挿絵が全部出ていますね。クラス(小学生4年生)の子どもに紹介したところ、子どもたちは、「エレベータが怖い」っていうんです。「どうして怖いの」と聞くと「幽霊が出てくるから」。みんなが知っている「口裂け女」の話は、クラスで読み聞かせをしました。ここに出てくる人物6人(教授と学生)はどこか謎めいており、また不思議なことに、大学でみんなと話をし、話が終わり、家に帰っても時間がたっていない。「怪談レストラン」より1つ上の段階の読書として紹介しています。冷やし中華が毎回出てくるんですよね(笑)。私がこの作品でいちばん怖かったのは、位牌を売りにくる話でした。このシリーズの最初に出てくる紫ばばあは「怪談レストラン」にもあります。

優李:これは、シリーズ3作目ですが、どれも、「怪談レストラン」よりはもう少し上の年齢の子どもたちによく読まれてます。斉藤洋さんは本当に上手で、どの話もレベルが変わらず怖いし、読ませますが、話の「オチ」がなくて並んでいるのが、どうしても物足りない。そのせいで、突き抜けて良いという感じにならないのではないかなあ。「ホラー」というと、この頃「血みどろ」「どぎつさ」度が高いのが人気ですが、私はそれが苦手なので、このシリーズは好きです。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年10月の記録)


さとるくんの怪物

たからしげる『さとるくんの怪物』
『さとるくんの怪物』
たからしげる/著 東逸子/絵
小峰書店
2010.07

シア:今日の3冊の中で一番最後に読みました。やっぱり新しい本なので人気があるせいか、図書館で手に入りにくかったですね。公衆電話を使って儀式を行うんですが、昔は普通にあった公衆電話が、すでにこっくりさんレベルのアイテムに使われてしまうところに寂しさを感じてしまいました。設定にいろいろなものを盛り込みすぎな気もします。自分の携帯番号に電話するとどこかにつながるという話もどこかで聞いたし、ちょっと「学校の怪談」の「メリーさん」っぽい展開になったり、お父さんがさとりって妖怪だったり、いろんなものがチャンポンになりすぎてないかなと。ごっちゃになりそう。さとりだけで面白い妖怪なのでもったいないですね。ホラーというテーマなので、これも先入観を持って読んでしまったせいもあるけど、話が平板だなと。主人公がさとるくんに電話をしなきゃいけないラストシーンも、盛り上がりに欠けるし、最後もありがちなところにおさまってしまった。今の時代に出版されたわりには、古いものが継ぎ合わされて出てくるみたいで、古臭さを感じました。いつまでもいつまでも教室にいたり、一つの場面が長いんですよね。肩すかしをくらったような作品でした。私自身が小学生の時くらいに読んだような本ですね。今この本を出版する意味がよくわからないです。

ゆーご:映画「学校の怪談2」に出てくるメリーさんの話がトラウマになってるんです。だから、よく似ているこの出だしはとても怖かったです。でも怖かったのは最初だけで、ホラーっていうより未知の生物と友情を深めていく……ETみたいな印象の話でした。ほっとした反面、少し拍子ぬけ。ホラーを読みたいと思って読まない方がいいかも。でも子どもなのに大人、みたいなさとる君のアンバランスさは好きです。

メリーさん:とりたててっておもしろいという本ではありませんでした。さとるくんというのが、妖怪の「サトリ」からきているというのが途中からわかって、人の心を読む能力を持つ子の物語なんだなと思いながら読んだのですが、新しい点がなかなかなくて。文中の言葉遣いも古い感じがしてしまいました。物語の前半で、主人公と、もうひとりの子が携帯を壊してしまい、妖怪におそわれるのはどちらかとドキドキしたのですが、すぐあとにその仕掛けの説明がきてしまい、拍子抜けでした。目をぱちぱちしていたら嘘などと、細かい設定におもしろくなる要素がけっこうあるとは思うのですが……。

ハマグリ:表紙はおもしろそうで期待したんですけど、最初のところが何度も何度も読んでもわからなくって。ナレーターが語る部分なんですけど、誰かが語っているみたいで混乱してしまいました。留守電の声が聞こえてくるので、だれかが電話を持っているのだと思ったけど、それが誰かわからない。「人間そっくりの顔にあてはまる目となった」って、意味もわからなかった。9ページの最後でさとるくんが歩きはじめ、「儀式をやって、自分のことを呼び出した少年のもとに向かっているのだ」って書いてあるので、さとるくんが儀式をするのかと読めてしまいました。あとからわかるけれど、この冒頭部分は本当に情景がすっと頭に思い描けず、混乱しました。全体的に納得できないところが多々ありましたが、一番説得力がないと思ったのは、航大と七海が、さとるくんが異界の人間だとわかったらすごくびっくりするはずなのに、全然怖がらなくて、その理由が「けど、こわいって気はしないよ、友達だから」っていうところです。今まで友達だった子が急に異界に入ったのなら「友達だから」というのもわかるけど、これでは友達って言葉を安易に使いすぎていると思います。そんなところが嘘っぽくて、中に入れませんでした。言葉づかいが古いという意見ですが、私もそう思います。「びっくり仰天ね」とか、「アホな冗談おとといとばしてきやがれ」とか、「おいしすぎてほっぺたが落ちても知らないよ」なんて、子どもが言うでしょうか。あまりにも新鮮味のない表現です。30ページ、「憎々しさをめいっぱい袋づめにしたような声でどなった」という表現も、どういうことかよくわかりませんでした。とにかく、つっかえてしまうところが多かったです。挿絵はこの本にあっていてよかったです。

ひいらぎ:物語世界の中のリアリティが、ぐずぐずですね。36〜37ページでさとると航大が初めて言葉をかわす場面ですけど、年上の少年が年下の少年にこんな話し方するんでしょうか? それに、さとるはあたりに散らばっている記憶粒子を集めてこれだけうまく人間に変身しているんだけど、それだったら航大がケータイを壊してしまった本人だということくらい、すぐにわかるはずなんじゃないかな。またお父さんのさとりが人間の魂を吸い取りたくなって息子を送ってきたんだけど、途中で姿を現すくらいなら自分で犠牲者をあの世に連れていけばいいのに。あとは、50ページのお母さんの台詞とか、79ページの「お互いに〜」からの台詞など、一息では言えないくらい長い台詞で状況を説明しているのも気になりました。

プルメリア:この作者の作品はほとんど読んでいます。この作品は2回、3回と読んだら、すごく間延びした印象になりました。携帯電話は、メリーさんの電話の雰囲気で迫ってきて怖かったのですが、お父さんの場面は怖いというよりも不思議な出現。携帯電話を図書館のトイレに流しちゃうことも、ありえないですね。さとるくんの出現もすごくあいまい。とってつけたようなものがたくさん入っている感じです。航太くんの嘘がばれて迫ってくる場面はドキドキしますが、実はさとるくんはみな知っていたのも、おもしろさに欠けるかな。読んだ子どもに聞いたところ、さとるくんのことを「幽霊」だっていうんですね、「なぜなの?」と聞き返すと、「遠いところからくるから」。とってつけたように出てくる「猫のすずってなあに?」と聞くと、「いったん死んだのが戻ってきたのかな」って。携帯電話を持っている子どもたちは、携帯電話で遊ぶと怖いと思うかも。表紙のさとるくんと航太くん、似てませんか?

サンシャイン:厳しく言うと、一つ一つの場面場面がご都合主義で書かれているという気がします。結局自分が電話をかけた本人なのに、そしてそれがばれたら向こうの世界に連れていかれるというのは相当な恐怖だと思うんですが、例えば教室にお父さんが出てきてもあまり動揺していないこととか。最後の方で、電話したのはぼくなんだと告白するところが作品のクライマックスなのかと思ったら、それも違ったようで、最後は猫に化けて終わっちゃいました。こういうのを子どもたちは喜んで読むんでしょうか?

メリーさん:この本って、もともと毎日小学生新聞の連載と書いてありますよね。1冊にまとめるときに、物語をつなぐために、けっこう加筆して説明的になったのかも知れないですね。

三酉:携帯の留守電で始まって、おもしろいところでスタートしたんだけれど、あとの展開がどうも。恐縮ながらまったく評価できませんでした。もう少し気を入れて考え、書いてほしい。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年10月の記録)


八月の暑さのなかで〜ホラー短編集

金原瑞人編訳『八月の暑さのなかで』
『八月の暑さのなかで〜ホラー短編集』
エドガー・アラン・ポーほか/著 金原瑞人/編訳 佐竹美保/挿画
岩波書店
2010.07

メリーさん:新刊として出たときに読みました。どの短編もけっこうおもしろかったです。ただどちらかというと、玄人好みというか、大人向けかなと。これは、今の大人としての自分の感覚なのですが、「後ろから声が」と「十三階」「お願い」「ハリー」なんかがとくに印象に残っています。ホラーでロアルド・ダール(「お願い」)が入っているなんてびっくりしましたけれど、路上の白線を踏んで家まで帰るっていう絵本がありましたよね。(「ぼくのかえりみち」ひがしちから/作・絵 BL出版)それよりずっと前に同じことをダールが書いてたんだなと思いました。「ハリー」などもそうですが、日常の延長線上に怖さがあって、どれも語り口がうまい。どこにでもあるような設定ですが、読者をひきこむ力がありますよね。

レン:私はあまりぴんときませんでした。ホラーというテーマになれていないからかもしれませんけど、子どもの本というよりは大人の話だなと思いました。怪奇小説や、複雑な語りといった、大人の本への入口にはなるかな。私自身は、久しぶりにこういう世界に入ったので、迷子になった感じでした。ときどき引っかかる表現がありました。160ページ「顔は細かい部分まで彫りが深く」はどういう意味?

ひいらぎ:金原さん名前の訳は金原印のブランドになっている観がありますが、これはご自分で訳してるのかしら?

優李:私はこの本が一番好きでした。高校生の頃サキが好きだったのを思い出しました。だけど「こまっちゃった」はこんなにしていいのかな? もとのものをずっと昔読んだと思うけど、全く違う雰囲気で、翻案といってもここまでやるか、という感じ。最初にこれを持ってきたことで、子どもたちに、とっつきやすい、と思ってもらおうとしたのかもしれないけど……。この本は「岩波少年文庫」じゃなくて、大人向けの本にすればよかったのでは? と思いました。そうすれば、「こまっちゃった」の、あの無理な若者語モドキみたいな言い回しを使わなくてもよかったのに。それにしても「八月の暑さの中で」は、かなりドキドキしてこわかった。ダールは好きなんですが、「お願い」は、子どもたちが好きな「ピータイルねこ」(『ふしぎの時間割』岡田淳/作・絵 偕成社所収)に設定が似ているところがあって、これは本好きの高学年にすすめてみようかな、と思いました。でもやっぱり小学校では少し無理があるかなあ。

ゆーご:児童書としての善し悪しはさておき、今の私が読んでおもしろかったです。各短編の最初に作家情報が載っているので、「こういう作家だからこういう作品なのか」みたいな読み方ができました。また作家情報を見比べるとかなりバラエティーがあり、編集者の意図が感じられます。得体の知れない怖さが残る作品が多い所も私好み。短編はずっと怖いのでなく、最後が大事で、「ポドロ島」の不気味さとか、「こまっちゃった」とか、「八月の暑さの中で」のように、語られていないこの先はどうなっちゃうんだろう……って想像するのがおもしろい。映画のように突然わっと驚かされるのではなく、よりじんわりとしみこんでくるのが小説の怖さ。それが存分に出ている作品ばかりでした。

シア:3冊の中で一番最初に読みました。金原さんの訳で短編集だというので期待して読んだんです。たしかに大人が読むとおもしろいんだろうけど、子どもが読んだらどうなんでしょう? いかんせんすべてにおいて古いんですよね。これを読んだ子は、八月は暑いまま終わってしまうんじゃないかと。全然ホラーという感じがしない。「ホラー短編集」っていう副題よりは、「恐怖幻想短編集」になったかもしれないってあとがきにありましたけど、そうしたらよかったのに。作家の解説があるので、子どもにとっての文学の導入としてはとてもいいと思いますが。それに、金原さんの訳にしては、気持ちが悪いんですよ。一編ごとに訳の雰囲気が全然違っていて、ぎこちなさを感じました。とくに、「こまっちゃった」の、「ア・ブ・ナ・イ」なんて表現、やめてほしい。子どもたちも嫌だと思うんじゃないかな。

ひいらぎ:今の子はこう言うだろうと思ったおじさんが書いてるって感じですか?

シア:それにしても感覚が違いすぎていますよ。訳も(短編の)選択も、なんかちょっとなあって。子どもがこの本を読んでも、「ふーん」ってなるでしょうね。ロアルド・ダールなら、もっと怖いのがあると思います。あとがきにもあったブラッドベリを入れたらよかったのに。これを喜んで読むような子は、優等生的な子だと思いますね。「八月の暑さの中で」と、「だれかが呼んだ」はおもしろかったけど。でも、オチがついているっていう意味では3冊の中で一番よかったです。今は時代が不安定だからホラーは人気があるけれど、読者が受け入れられる怖さというのを、出版する側が模索している部分があるんじゃないかと感じます。教室で安心して薦められるホラーっていうのが、あまりないですね。むしろ、クリスティーなんかの方が薦めやすいかも。ホラーっていうものの定義について考えさせられる作品でした。

プルメリア:私がこの作品の中でおもしろかったのは「八月の暑さの中で」「開け放たれた窓」「十三階」。先ほどもお話に出ていたように、扉に佐竹さんの絵があり、題名があり、作家の紹介がある本のつくりが目を引き、気に入りました。学級の子どもたちに「どの話が心に残ったか」と聞くと、「最初の『こまっちゃった』がおもしろかった」という声が多く「どこがおもしろかったの」と聞き返すと「目玉がとびだしたり、首をもってかえるところがおもしろかった」。子どもたちが日常生活で読んでいるマンガやゲームの世界の影響か、怖いというよりおもしろいととらえる子どもたちの心情を考えさせられました。

ひいらぎ:私はどの短篇も怖くなかった。ホラーというより幻想短編集。そういう味わいはあると思いましたが、読むのは大人なんじゃないかな。編集者の目で見ると、訳で気になるところがいくつかありました。24ページで「その表情から伝わってくるのは恐怖で、いまにも気を失って倒れそう」なのに、「呆然としている」のはよくわからない。26ページの「イングリッシュ・イタリアン・マーブルズで働く」もわからない。原文を見てないから何とも言えないですが、ひょっとするとイギリス産とイタリア産の大理石を使ってますってことなのかな、といろいろ考えてしまいました。「開け放たれた窓」の窓は「床まである大きな窓」とあってフランス窓でしょうが、日本語ではこういうのは窓じゃなくてガラス戸というのでは? 41ページには「赤の他人や、たまたま出会った人は、相手の病気や体の不調や、その原因や治療法の話をすれば喜んで耳をかたむけると思っていた」とありますが、ここでは相手ではなく自分の体の不調のことしか話していないので、変です。「ブライトンへいく途中で」では、49ページの「それも、はずれ」もしっくりこないし、52ページの「大釘でなぐった」も、普通は釘でなぐったりしないので、別の訳語がなかったのかな、と。

三酉:この「大釘」というのは、かつて鉄道を枕木に打ち付けていた「犬釘」のことじゃないかな。あれなら頭が大きいから凶器になりうる。

ひいらぎ:120ページの「そうしたら、ふり返ることができる」も、その後でトレーラーカーのドアの所まで行くのだから、「ふり返る」のは位置的におかしい気がします。そんなふうに、どうも私にはしっくりこないところがあちこちにあって、読み心地が悪かったですね。

三酉:翻訳のこととか、ご指摘を受けると「そういえばそうか!」と思いますが、読んでいる最中は、ちょっと気になりながらもおもしろく読みました。みなさんからあがった以外では「もどってきたソフィ・メイソン」。そうそう、最初の「こまっちゃった」のは、落語で同じ話があるんですよ。居合抜きで首を切られた男が、自分の首をとって提灯がわりにして「はい、ごめんなさい」って。

ひいらぎ:落語だけじゃなくて、イギリスにも落ちた頭を抱えて出てくる幽霊や妖怪がいますよ。

三酉:全体として、このセレクトは大人向けでしょう。少年文庫に入ってしまってはもったいない。大人が読むチャンスが減ってしまう。

ハマグリ:少年文庫は小学校中学年向きから中学生以上向きまであり、昔からの少年文庫らしい作品だけでなく、新しい企画を入れて進化発展しているので、こういうものが入ってきてもいいと思います。

三酉:今の子どもは、古い作品だとだめですか?

シア:タイトルと、ホラーっていうのと、佐竹さんの表紙絵で手に取るでしょうけど。「こまっちゃった」はまあ読んでも、「八月の暑さの中で」で挫折しますね。

ハマグリ:私は企画としておもしろいと思うんですね。YA読者に人気のある金原さんが、自分の好きな話の中から一体どれを選んだのか、って読者にとってとても興味があるし、金原さんも読者の期待をよくわかった上で、「こんなのどうよ」っていうのもとりまぜて、読者に投げかけてるように思うんですね。この中でどれが好きかを挙げると、人それぞれ好みが違うと思います。そういうこともわかっていて、いろんなタイプの話を選んだのかなと思うので、そういう意味でおもしろいなと。私自身は、「八月の暑さの中で」みたいに、どうなったかわからない、最後にすとんと落としてくれないで、読者の想像に任せるようなのは、好みではありません。「開けはなたれた窓」は、中学の授業で英語で読んで、すごくおもしろかったのをよく覚えています。その後愛読したサキの短編集でも「開いた窓」はとても好きな一編でした。でも今回読んだらそんなにおもしろくなかった。少女の語り口調が、今の子に合うようにくだいて書かれているんですが、それが逆に作用して軽く感じられたのかもしれません。

シア:私も教科書的なものを感じていて、「八月の暑さの中で」は、そのまま教科書に載りそうですよね。「さあ、この後はどうなったでしょう? 続きを書いてみましょう」みたいな。

サン シャイン:サキの「開いた窓」は高校の時に読みました。最後の一文は今でも覚えています。「即座に話を作り出すのは、彼女の得意とするところであった」というんです。どうしても古い訳のほうがよかったと思ってしまいます。金原さんのお名前で広く読んでもらいたいと思ったのでしょうか?「こまっちゃった」の文体も、気軽に読んでもらおうと思ってこういう調子のものを最初に持ってきたのでしょうか? こんな作家がいるんだよという紹介の意図もあるんでしょうね。それはいいことだと思います。ただもう少しこなれた訳になっていると、読者層が広がるかなと正直思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年10月の記録)


れいぞうこのなつやすみ

『れいぞうこのなつやすみ』
村上しいこ/著 長谷川義史/絵
PHP研究所
2006.06

オカリナ:この本は図書館でずっと貸し出されていて、子どもたちに大人気なのだとわかりました。おとなの私も、とてもおもしろく読みました。まず会話が関西弁なので、リズムがあるし、とぼけた感じがいいですね。たとえば「ほな、なんですの? いいたいことがあったら、ちゃっちゃと、いうてください」なんていうところ、標準語の「だったら、なんなんですか? 言いたいことがあったら、さっさといってください」だと、きつすぎておもしろくないと思います。冷蔵庫がプールに行くという設定もずいぶん突飛だし、普通なら沈んじゃうだろうと思いますが、「ありえなさ」の段階が徐々にエスカレートしていくので、このあたりまで来ると、「それもありかな」と思えてきます。その後で、冷蔵庫が「日焼けが痛いからあと三日くらい待ってくれ」というのにも、笑ってしまいます。それから、長谷川さんの絵がいいですねえ。表紙は本文とは関係ないようですが、入道雲、麦わら帽子、スイカ、アイスキャンデー、かき氷で「まさに夏」を表現しているし、プールだけでなく今後はこんなこともありそうだと思わせています。文章は「通信販売のカタログの派手なパンツ」とあるだけのp.6の挿絵も、「わかがえる」「みわくのへんしん!」なんて書き文字を入れたうえで、スイカパンツ、サボテンパンツ、おさかなパンツまで描いています。楽しいですね。またp.12は、文章でお母ちゃんが冷蔵庫に宝くじやストッキングを入れているとありますが、絵ではおまけに、シャンプー、リンス、「かあちゃんのパンツ」まで入っています。どのページでも、人物や冷蔵庫の表情がその時々の気持ちをあらわすように描かれているのも、すてきです。

三酉:冷蔵庫がしゃべるのが驚きですね。だからここまでやるのなら、もう少しとんでもない展開があるのかなと思いました。が、プールでいじめっこをいじめて……ここで終わり。ちょっと期待はずれかな。始まりにしても、子どもが冷蔵庫に顔をいたずら書きしたら動き出した、というようなものだったら説得力あるかな、などとも。作者には失礼ながら、まあそれほどリキを入れずに書いた作品かな、という印象でした。絵については、長谷川さん、さすがですね。

ゆーご:読み聞かせにぴったりの作品だと感じます。笑いのポイントが随所にあるので、子どもたちがテンポよく笑えそう。長谷川さんの絵は昔から好きなんですが、今回も物語とマッチしていて、改めていいなと。冷蔵庫に突然顔が現れた部分は、笑いでなくまさに「大笑い」で、私までもらい笑いしそう。冷蔵庫が夏休みをとるという発想は、「冷蔵庫も大変だなあ」という作者の思考を感じます。今年は暑かったから、共感できますね。

優李:村上さんの作品は、『かめきちのおまかせ自由研究』(長谷川義史/絵 岩崎書店)が子どもたちに人気でした。この作品も人気です。冷蔵庫が急に変わるというところは、大人の私にはちょっと唐突で安易かなと思いましたが、その後のテンポがとてもいいですね。後半に行くにしたがって、じりじりよくなっていく感じ。進め方がうまいなと思いました。子どもたちからすぐに感想、質問が出そうなのが、長谷川さんの絵。特にp.6の絵、文中にない細かい点は、画家さんの想像力で描くのかな。すごい!と思いました。読み聞かせ中に、子どもたちがいろいろな発見ができる絵だと思います。お父さんとお母さんのキャラクターの感じもとてもいい。言葉もそうですが、関西の文化は奥深いなあと思わせられる楽しい本でした。

ジラフ:関西弁のことに、みなさん触れられていますが、私は三重県の出身で、京都でも長く暮らしたので、ここに出てくる関西弁のやりとりを、すごく心地よく感じました。関西で暮していると、商店街でおつりを手渡されるとき、「はい、百万円」なんて、冗談みたいなやりとりが実際にあったり(笑)、上方落語や漫才、人形浄瑠璃など、物語る文化、語りの文化が、日常のなかに息づいているのを感じます。この作品には、そんな関西弁の持ち味、可笑しみとか、深刻なことを軽みに変えてしまうユーモアが、うまく生かされていると思いました。暑い真夏に、冷蔵庫が動かなくなったりしたら、ほんとに困ると思いますが、それが、ごく自然にファンタジーの入口になっていて、元に戻るところでも、一日たつと、二日目には、三日目には……と余韻をもたせて、最後にすとん、と腑に落ちます。日常とファンタジーの行き来が、とても自然に感じられました。

メリーさん:関西弁のテンポのよさと、いわゆる「関西人」のノリでしゃべる家族の会話が生きていて、とてもおもしろかったです。冷蔵庫がしゃべり出したときに、「わたしらを たべんといてください。たべるんなら、この人だけにして」とお母さんがお父さんを前に押し出すところとか、冷蔵庫に手足だけでなく、しっぽも出ると、「おいおい。しっぽまで いらんがな」とか。お母さんの水着を何とか着ることができてしまうと、「なんか むかつく」。クスッと笑わせる家族の会話がとてもよかったです。ほかにも、れいぞう「子」だから、冷蔵庫が女の子だという設定や、町の人々もなんだかんだいいながら、冷蔵庫にきちんと対応しているところ、プールから戻ってきて日焼けをして、痛がっている冷蔵庫をきちんと待ってあげるところなどは家族の一員みたいでおもしろかったです。よくよく考えるとおかしいことなのだけれど、不思議と納得してしまったのは、やはり関西弁の力なのかなと思いました。

ダンテス:おもしろかった。関西のノリですね。関西弁を作品に入れるのはむずかしいんでしょうけど。作者と長谷川さんが、文と絵を相談しながら作っていったのではないかなと感じました。おひさまの絵、とてもいいですね。

タビラコ:幼年童話は絵と文章が50%ずつなので、おそらくこの本は文章の方が先にできたのでしょうが、文章の持つエネルギーが絵に注ぎこまれて、ますます生き生きとした絵になったのではないかと思います。おひさまの絵、わたしもすごいなあと思いました。子どものころって、鉛筆や消しゴムなどの文房具が使っているうちに小さくなってかわいそうというように、道具を擬人化して思いやるということがよくありますが(私は、どういうわけか、なかったけど!)、この本はそういう、ちまちました道具ではなくて、ドーンとした冷蔵庫を対象として思いついたところがおもしろい。ナンセンスというのは、幼年童話になくてはならない大切なジャンルですが、この作品は、見事なナンセンス童話だと思いました。

プルメリア:この作品が出た時にすぐ読んでおもしろいと思いましたが、まわりの先生たちからは「ふざけている」といわれた1冊です。今回、もう一度読んでみて、子どもたち(小学校4年生)に1、2、3の場面に分けて読み聞かせしました。プールが嫌いで、泳げない子どもがクラスに一人います。その子も、ほっとした様子で聞いていました。子どもにとって身近な日常生活が取り上げられていますが(泳げない、いじめなど)、子供の心情をわかって書いているんでしょうね。最後の場面、冷蔵庫の「しっぽ」の部分では、余韻を残す印象なので、次作につながるのかなと思いました。見返しの夏に関係する挿絵を見せながら、子どもたちに夏休みの生活についていろいろ質問しました。「大人の飲み物のビール、飲んだことのある人いますか?」と問いかけたら、手を挙げる子どもがたくさんいて みんなで大笑いをしました。

たんぽぽ:ふざけている話だけれど、おもしろかったと思いました。『すいはんきのあきやすみ』(同コンビによる、PHP研究所)が出て四季がそろいましたね。

プルメリア:近くの図書館には『ストーブのふゆやすみ』(同コンビによる、PHP研究所)は入っていませんでした。

タビラコ:「ナンセンス」と「ふざけている」というのは、違うと思うけれど。小学校の図書館には入れられないけれど、家で読むのはいいっていうのかしら? それとも、そう言っている先生たちは、こういうものは子どもに読ませたくないのかしら?

三酉:やっぱり関西弁の軽さがいい。標準語ではホラーになってしまうもの。

タビラコ:翻訳絵本でも、『ぼちぼちいこか』(マイク・セイラー/作 ロバート・グロスマン/絵 偕成社)は今江祥智さんが関西弁で訳されてますね。

シア:今回の本の中では、子どもに一番人気のありそうな本だと思いました。テンポがいい文体に加え関西弁でノリがよく、楽しく読めました。公共図書館では夏の間に地域のこの本が全て貸出中になったので、子どもたちは読書感想文を書くのでしょうが、何を書くのか気になります。楽しいけれど、書くのはむずかしそう。ラストに冷蔵庫のしっぽが出てきて終わるのが、余韻のある締め方でいいなと思いました。子どもらしいハッピーエンドで、寂しくならないですね。冷蔵庫って浮くのか? とも思いましたが、全てが子どもらしくていい話です。冷蔵庫は最後に「こ」がつくので女の子なんだというところで気が付きましたが、今の女の子の名前には「子」があまりつかないですね。変わった名前が多い気がします。

すあま:私はこの本を知らなかったし、四季でシリーズになっているのも初めて知りました。絵と文のコンビがいい。絵はにぎやかだがドタバタではなく、物語もくすっと笑える。これが関西弁ではなく、標準語だったらおもしろくないかも。関西弁のパワーに助けられてますね。家族たちのあたたかい感じもあって、おもしろかったです。

タビラコ:『特急おべんとう号』(岡田よしたか/作・絵 福音館書店)も同じような雰囲気だけれど、あっちは、この本の持っているような幼い子が感じる情緒というか、あたたかさのようなものが欠けているように思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年9月の記録)


なんでももってる(?)男の子

『なんでももってる(?)男の子』
イアン・ホワイブラウ/著 石垣賀子/訳 すぎはらともこ/絵
徳間書店
2010.04

たんぽぽ:教訓的かなと思いました。男の子ふたりのシチュエーションを逆にして書いたら、おもしろいのではないかと思いました。

オカリナ:『れいぞうこのなつやすみ』を「ふざけている」と評する先生方は、こういう本ならいいとおっしゃるのでしょうか。「物質的に豊かなことが幸せではない」ということを、子どもに教えようとしている本ですよね。意図も見え見えだし、筋の先も見えていて、私は文学とはいえないと思いました。犬のピュンピュンは、ターザンごっこをするフライに抱えられたり、高い木の枝にのせられたりしても楽しんでいるとありますが、ぬいぐるみならともかく、生きた犬ならありえない。ビリーもいい子すぎて、フライみたいな嫌な子に会っても、最初から全面的に受け入れる。人生のある一面だけを強調してご都合主義的にお話をつくっているので、こういう作品を読んでも、子どもが将来豊かな人生を送れるようにはならないと思います。まるで道徳の教科書みたいです。

プルメリア:道徳的といえば道徳的ですが、道徳の教科書はもっとおもしろくないので、子どもたちにはこういう本を読んでほしいと思います。わがままで自己中心的な人が多い世の中でもあるので、この本を読んで人との出会いを感じてほしい。主人公をはじめとして、登場人物の名前がおもしろい。場面ごとに出てくる犬のしぐさもかわいいので、ほのぼのとした雰囲気を味わってもらいたいです。クラスにおいたら、男の子たちが読んでいました。子どもたちが大好きなお菓子の描写などは、わくわくしながら読み進めると思います。

ダンテス:何ごとも大げさに書いてあるということだと思います。ちょっと先が見えてしまいますね。楽しめたかどうかというと……極端に、大げさに書いて、教訓的なことも入れようとしたということでしょう。おとなは、先が見えてしまっておもしろくないけど、子どもはそんなことはないのかな。

三酉:道徳の教科書はもっとひどいと聞くと、そうなのかとも思いますが、翻訳までしなくてもいいのではないかと。何ともストレート過ぎる。もうひとひねり欲しいです。

ゆーご:『れいぞうこのなつやすみ』のあとに読んだので、おとなしめの挿絵に物足りなさを感じてしまって。描写のわりに、絵にお菓子が足りないかも。『チョコレート工場の秘密』(ロアルド・ダール/著 評論社)くらいのインパクトがあればいいのに。どこかで読んだことがありそうな話だけど、子どもは物につられやすいし、まして物があふれている時代だから、このような話は必要なんだと思います。

優李:大人の本読みにはつまらないと感じるのかもしれないですが、子どもはお菓子やロボットが大好きなので、そういうところにひかれると思います。ただ、ストーリーがあまりに類型的なので……。絵もクラシックをねらっているのかもしれないけど、あまり魅力的でないように思います。お金持ちの子どもも、あれでは、ちっともうらやましくない。もう少しかっこよく描いてほしかったです。

三酉:子どもは、お菓子の絵と、ストーリーを切り離して受け止めているのかな。

オカリナ:C.S.ルイスは「子どもの本の書き方三つ」(『オンリー・コネクト2所収 岩波書店』の中で、子どもが好きなものを持ち出せばいいというものではないと述べています。私も「お菓子を出せばいい」というもんじゃないと思うけど。

ジラフ:この本のおもしろさ、おもしろくなさ、ということもありますが、イギリスやヨーロッパにでかけると、若い人が、とてもつつましい生活をしているのを目の当たりにします。日本人がどれほど豊かで、ものにあふれた生活をしているかを、つくづく思い知らされます。その意味で、イギリスにはそうした価値観というか、伝統的に古いものを大事にすることを尊ぶ素地があるからこそ、逆に、こういうお話が書けるのかな、と思いました。ただ、この本そのものは、正直、それほど楽しめませんでしたけど。

メリーさん:物より友情の方が大切だという、よくあるストーリーで、物語自体に目新しさはありませんでした。彼らの名前の訳語も、「ナンデモモッテルさん」でおもしろいことはおもしろいのですが、もうひとひねりしてあったらいいのになと思いました。

タビラコ:子どもが好きで読むというのは、わかるような気がしますけれど、作者の意図は違うところにあるような気がしますね。結局、作者は何を書きたかったのかな? 私は、子どものうちはどんな本でも、ともかく大量に読んでほしいと思っているほうだけれど、その場その場のおもしろさだけで、口あたりのいいものばかり読んでいる子どもは、もうひとつレベルが上の本は読めなくなって、結局本嫌いになってしまうと、ずいぶん昔、ムーシカ文庫をやっていらした、いぬいとみこさんに聞いたことがあります。

シア:夏休みのせいか、いつもと違って図書館で手に入りにくかったのですが、読みやすい本でした。この本は外国のものでありながら、やけに親近感を持てるなと思ったら、やはり画家は日本人でした。イラストの芸がこまかいので、しかけ探しなどが楽しめるのではないかと思いました。ストーリーはいい意味でのマンネリで、子どもにはいいのではないでしょうか。作者は『チョコレート工場の秘密』が好きだったのかなと思うような展開です。わがままなフライにもずっと優しく接していたビリーが、飼い犬のピュンピュンを売ってほしいといわれたときに初めて怒るんですが、そういうふうに、いいことと悪いことをきちんと描いているところなどもいいと思います。わがままな子どもが多い中、我慢ということを教えるためにこういう本はオススメなのではないかと思いました。こちらが驚くほどのわかりやすさがないと、通じない子もいますので……。

オカリナ:どうやら教育関係の方たちはみんな、この作品を薦めたいと思われているようですね。

すあま:王子様、王女様が主人公の、こんな話がありましたよね。何不自由ない生活だけど、友だちがいないというような。それが、現代になって、お金持ちにおきかえられたというような物語。王子様であれば、食事が豪華なくらいでもぜいたくな感じが出るかもしれないけれど、この本のように今の世の中におきかえると、あまりに多くのものがごちゃごちゃ出てくるので、読んでいてくたびれてしまいました。これでもかこれでもか、という感じですが、情報量の多い映像に慣れている今の子には、これくらいじゃないとだめなのでしょうか。「なんでももってる」描写に疲れて、おもしろくなかったです。数の大きさで表現するとか、もう少し別の描き方にした方がわかりやすいのでは? 結末もあっけない感じで、もう少し続きがあってもよかったかなと思いました。

オカリナ:道徳の教科書のかわりにこの本を小学生に読ませても、お菓子のところだけに夢中になったり、この本に出てくる大金持ちと自分は違うと思ったりするんじゃないかな。そうだとすると、教育的な効果すら期待できないのでは?

タビラコ:お菓子やロボットの描写だけおぼえているんじゃないかしら?

(「子どもの本で言いたい放題」2010年9月の記録)


空からきたひつじ

『空からきたひつじ』
フレート・ロドリアン/著 たかはしふみこ/訳 ヴェルナー・クレムケ/絵
徳間書店
2010.03

プルメリア:ストーリー全体がほのぼのとした感じ。登場人物や、子どもたちが大好きな乗り物(消防自動車など)が出てきたり、帽子をかぶせてもらうところなどは、1、2年生には楽しめる作品だと思います。金魚が物語の場面ごとに出てきて、何気ない表現ですが、ストーリーを動かしているのかなとも思いました。羊のもこもことしたやわらかい感じが、癒しになります。幼年文学として、お薦めの作品ではないでしょうか。

ダンテス:ごめんなさい。あまりピンときませんでした。ほんわかはしてますけれど。絵の色彩はきれいだと思います。

三酉:私もピンとこなかったけど、いろいろ考えました。1958年の東ドイツ。ベルリン封鎖の1960年。東西関係が緊張している中で書かれた本なので、いろいろ読み方があるのではないかと思います。だから金魚やインコは何かを意味しているのではないでしょうか。羊が突然降りてきて、生きるの死ぬのというのは、東ベルリンから西ベルリンへの救出劇を表しているのか? クリスチアーヌと主人公の名前は、ソ連を意識しつつ、キリスト教国の西側を暗示しているのか? わからないですけど。

ゆーご:対象年齢は何歳なんでしょう。読んでいる途中で意味がわからないところがあって、小学生の中学年でもむずかしいと思います。犬とザワークラウトとの関係、鳥の役割などは現在進行形で気になっています。挿絵の羊の表情が実にさびしそうですね。それもあってか、全体的にしっとりとした物語という印象です。最近の絵は細めの女の子が多いですが、主人公の女の子のふくよかさが好きです。羊のような繊細な心への理解が、この話を読むことで深まるといいと思います。

優李:さっと読んでしまいましたが、途中出てきた金魚と小鳥が活躍せず、その背景が語られないまま最後までわかりませんでした。羊は、羊雲の連想でしょうが、いいと思います。挿絵もとてもいいと思います。繊細な物語ですね。元は絵本で出ていたということですが、それをこの幼年童話の形にして、読者層に受け入れてもらえるように読んであげたり紹介したりするのは、私には大変かもしれないです。

ジラフ:純粋に、いいお話だと思いました。色や手ざわりなど、細部の“質感”がていねいに描かれていて、物語が生き生きとしています。この本がなぜ、いま出たのかと考えると(原書は1958年刊)、やっぱり、絵の魅力が大きいと思います。ヴェルナー・クレムケのリトグラフは、いま見ても非常にモダンです。ヨーロッパの言葉から日本語への翻訳は、読み物の場合、横のものを縦にすることが多いですが、挿し絵のふんだんな子どもの本では、その処理に工夫が必要です。この翻訳書は、縦書きの幼年童話のかたちになっていますが、絵の配置や、ズームと引きの緩急のつけ方なんか、絵の入れ方もとてもいいです。羊雲がモチーフということから、いつだったか、夕暮れどきに、西日を背にした雲が、クマのプーさんそっくりのかたちをしていて、金色にふちどられていて、道ゆく人がいっせいに携帯をかまえて、写真を撮っていた光景を思い出しました。雲というのは、何か連想が広がるんですよね。

メリーさん:羊を何とか助けようと、男の子たちをさっさと手配して、自分も走り回る……主人公のクリスチーネが何ともたのもしい物語でした。(対照的に、歯医者さんで歯をみがこうねと言われ、消防士の帽子をかぶってご機嫌な男の子たちは、あまり役に立っていませんが……)ヨーロッパでは、警察より消防士を信頼できる職業だと思っている人が多い、という話を聞いたことがあります。いろいろな人に出会いながらも、最後に頼りになるのは消防士さん。消防車のはしごで羊を空に返すというアイデアが、素朴だけれど味があっていいなと思いました。

すあま:幼年童話を評価するのは、むずかしくて、読み手である子どもがどう読むかを考えながら読むことが必要だと思います。私が子ども時代に好きだった幼年童話を、他の大人の人が読んで、おもしろさがわからなかったと言われたことがあり、小さい人向けの本の評価はむずかしいと実感しました。この本は、絵本だと文章が多すぎて読みにくい。だからこの形にするのはとてもいいのかなと思いました。羊を空に返すという問題を、主人公の女の子がどう解決するのか、わくわくしながら読めました。助けを求めに行った男の子が失敗したり、頼りになるかと思った羊飼いが毛を刈ることしか考えていなかったり、最後ははしご車が出てきたりと、次はどうなるのかを期待させる展開が、とてもよくできていると思います。

たんぽぽ:絵がとてもきれいだと思いました。幼稚園で男の子の一番人気の職業は消防士らしいです。安心して渡せる本かなと思いました。前は絵本の形で出ていました。これは復刊ではなく、あくまで新刊だと聞きました。最近、昔の作品を形を変えて出していることがとても多いですね。

シア:さらっと読めましたが、中身はあまり印象に残りませんでした。他の本にくらべて値段が高いですね。水の循環の話が載っており、理科的なおさえはされているので、最後には羊は消えちゃうのかと思っていたのですが、結局はしご車で解決してしまう、というファンタジーに面食らいました。それに、絵本のせいか、不自然なシーンも多く、少し落ち着きませんでした。例えば、主人公の家のインコなのだから、犬とザワークラウトの関係は知らないはずなのに「ザワークラウト!」と鳴いたり、動物と話すのが夢である主人公なのに、羊がしゃべってもとくに驚かなかったりなど。学校に通うクリスチーネですが、出てくる男の子たちは幼稚園で、年が違うんですね。とはいえ、外国の文化や風土にふれることができました。夏休みには学校に先生がいないことや、町はずれに羊飼いがいるというところ、結婚式に馬車に乗るということ(道路に馬車が走っています!)、おやつ代わりに草の茎をかじる子どもたち、消防士の服も違う、そんなところですね。それから、サーカスの車が文章には出てくるんですが、それが挿絵として出てこないなど、細かいところばかりが気になってしまいました。

オカリナ:たんぽぽさんに読んでいただければ、ゆったりとした味わいがおもしろいと思えるでしょうが、自分でさっと読んでもあまりおもしろいとは思いませんでした。絵はとてもいいのですが、物語世界の中でのリアリティが気になりました。チリは、羊は「雨になっておちてくる」と言っているのに、チリ自身は羊のまま。子どもは変だと思わないでしょうか? また消防車のはしごで空に帰るという設定は、牧歌的すぎて今の子どもには無理なのでは? 今の子どもの絵本には、たとえば「月をとりたいけどはしごでは届かない」なんていうシチュエーションが、たくさん出てきますからね。最後の、クリスチーネに対して羊がお礼を言うのではなく、金魚が「お礼をいった(かもしれない)」というのは逆に大人っぽい書き方で、この本の年齢対象の子どもたちにはわかりにくいと思います。

タビラコ:昔は、日本の絵本でも、女の子はぽちゃっとしていたんじゃないかしら。男の子も女の子も、まるまるぽちゃっとしている子どもがかわいいと思われていたのが、今ではずいぶん変わってしまいましたね。絵はとても明るくて、のんびりしていていいし、物語も「好ましい」物語なんだと思います。でも、幼年童話にしては、文章の分量が多いのでは? なんだか、内容と文章の分量のバランスが悪いなと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年9月の記録)


建具職人の千太郎

岩崎京子『建具職人の千太郎』
『建具職人の千太郎』
岩崎京子/著 田代三善/絵
くもん出版
2009.06

ジラフ:課題図書を読んだのは久しぶりだったので、自分の子どものころに比べて、ちゃんとおもしろそうな作品が選ばれているんだな、という印象を、まず3冊に共通して持ちました。『建具職人の千太郎』は、江戸後期という時代設定で、「惣領」とか「燠火」といった、すたれつつある日本語や、「仁義」の由来など、言葉がおもしろいと思いました。語り口調が藤沢周平の朗読でも聴いているようで、江戸情緒にひたりながら、気分よく読みました。テーマということでいうと、『ビーバー族のしるし』とも共通しますが、男の子のイニシエーションということになるかと思います。そのなかで、昔の日本人が持っていただろう、分をわきまえるという感覚、自分なりの居場所で、自分の生き方を貫いていく、すがすがしさが描かれている気がして、全体として肯定的に読みました。

酉三:そうか、言葉をおもしろいと。私にとってはそんなに、肯定的に読めませんでした。60過ぎの者が、50歳以上はなれた子どもに与えられたものをどんな目線で読んでいいのか。細部でつまずいたのは、建具職人の棟梁の息子が最初に出てきたときは、出てっちゃったと仕事に真摯じゃないように読める。でも、帰ってきたところは、修行から帰ってきたみたい。このへんは誤読をまねくかな? 子どもに手わたすものとして、これでいいんでしょうか。編集者が見落としたのかな? ほかの2冊と比べると、作品として弱い。なぜ課題図書に選ばれたのか、よくわかりません。じゃあ、この秋次って人の葛藤はなんなんだろうって。

ハマグリ:棟梁の息子はちょっとアクセントになる人物ですからね。もっと掘り下げてほしいなと思いました。よく調べて書いていらっしゃるというのはわかるけど、なんかあんまりおもしろくなかったですね。千太郎の造形がいまいちで共感できず、むしろ姉のおこうのほうが生き生きとしていたと思います。建具屋という狭い世界のなかでも上下関係があり、それぞれの居場所がはっきりと決められているというのはよく書かれていたけれど、建具職人の仕事をもっと詳しく書いてほしかった。こういった手作業は読者の子どもも興味をもつと思うし、ノンフィクションではないけど、職業に対する関心も深まると思うので。

プルメリア:小学校高学年の課題図書で、時代物の作品ですね。読むのが楽しみでした。職人言葉に時代が表れているので、その時代に入っていけます。手に職を持つ職人、農民から専門家が出てきた時代(p13)がよくわかりました。職人が新しい家を建てるとき、古い家を解体しないで水平に引っ張って移築する専門的な技術が書かれているし、また建具職人の道具が挿絵に出ているのもよかった。知らない子どもが多いので、組子についても文だけでなく挿絵があったほうがもっとわかりやすいんじゃないかな。のこぎりは小学校の図工で使いますが、かんなは使わないので、削り方の難しさが読みとれるか、ちょっと心配です。おこうは10(9)歳、建太郎は7歳、手に職をつけさせようと子どもを置き去りにするおこうや千太郎の父親に対して、棟梁の喜右衛門、亀吉の父親留太郎、生麦の名主の関口藤右衛門たちはおだやかで温かい人柄に描かれています。手に職をつけ生きていく時代に奉公する子どもたちの生活や徒弟制度(上下関係)、江戸の食文化や生活様式がわかりやすく書かれていました。しかし、きびしい身分社会の中で生活に苦しんでいただろう農民の暮らしや時代背景が、ややわかりにくいかな、とも思いました。

うさこ:子どもが多く、大人は日々を生きるのに精一杯だった時代に、幼い年齢の子どもが「口べらし」という形で奉公に出されます。今の若い読者は、それだけでもショックを感じるのではないかと思いました。建具や建喜の人々、当時の職人さんの仕事ぶりや子どもたちの境遇などはよく書いてあったと思うし、おもしろかったけど、タイトルに千太郎とつけられているので、この子が主人公の成長物語だろうと思って読んでいくと、なかなか千太郎の姿が見えず、読み始めてから少し悶々としました。よく調べて書いているので感心するところもありますが、この時代のことをあれこれ解説しなければいけない場面も多く、ところどころ文が説明に追われている印象も受けました。この時代の雰囲気、空気感みたいなことはすごくよく伝わってきたし、後半の子どもたちの動きやセリフも生き生きとしてきたのですが、全体的にエピソードが一つ一つ並べられているだけのような印象もぬぐえなくて、そのあたりが残念でした。p154の「弱音をあげる」は「弱音をはく」か「音を上げる」の間違いでしょう。
エーデルワイス:おもしろく読みました。落語が好きなので、「芝浜」や「薮入り」を思い出させるような江戸情緒に溢れる話でした。筆者は、かなり細かく取材なさったようで、まじめに書いていらっしゃると思います。ただ、千太郎が主人公でいいんでしょうか。おねえちゃんもかなり大事ですし。千太郎が話の中心になるのは後の方ですよね。

メリーさん:なぜ、今これを読ませるのかなと思いました。かなり昔の課題図書のような感じがして。ただ、子どもたちの人気の職業に大工があがっているということもあって、選ばれたのかなとも思いました。あとがきを読むと、著者も実際に調べて書かれているようですが、よくある設定で類型的な感じがしてしまいました。建具という特徴がもっと出るといいなと思います。主人公も千太郎か、おこうか、それとも秋次なのか……物語がどれも中途半端な気がしてしまいました。

レン:何カ月か前に、朝のニュース番組で岩崎京子さんがとりあげられて、そこで鶴見に取材に行くようすが映ったり、ご自身の家庭文庫に来る子どもたちを見ていると元気がないのが気になるとおっしゃっていたりしたので、この本が出たとき「これか」と思って読みました。学校に行かず小さな頃から奉公に出ているけれども、とても元気なこの時代の子どもたちを描きたかったのかなと。材木屋の知人の話では、木というのは、木取り一つでもわかるのに何十年もかかるらしいので、建具職人の仕事一つ一つに説明したいことはいくらでもあるのでしょうけれど、この本はあまりごちゃごちゃさせず、小学校中学年・高学年の読者にもわかるようにうまく説明していると思います。どの人物もどこかいいところがあって、悪いところは、みな承知でつきあっている、清濁併せ呑むような懐の広さを感じました。おこうが仁義を切るシーンが私もとても好きでした。確かに千太郎が出てくるまで時間がかかるので、これは千太郎の物語というより、建具や建喜の物語なのかなと思います。

すあま:最初、千太郎が出てこなくて姉のおこうさんから始まったので戸惑いました。主人公が後から出てくるというのは変わってるなと思いました。あの時代はこんな感じだったのかと興味深くは読めるけれど、登場人物一人一人のインパクトが弱い。共感しながら読むことができるほどには、登場人物の心情が深く描かれていないので、物足りない感じ。語り手が少し離れたところからながめているようで、千太郎の成長も実感できず、ちょっと残念でした。

げた:私は子ども向けの歴史物語ってあんまり読まないんですけどね、それなりにおもしろく読めました。作者の岩崎さんはお年なのにすごいな、ってことがいちばん印象に残ったことですね。この作品のために作品の舞台となった地元へも取材に行かれ、十分調べた上で書かれたんですよね。確かに筋だけがさらっと流れていて、人物描写に物足りなさがあるといえばそうですが、登場人物それぞれの成長物語としては十分楽しめると思いますよ。この時代の子どもたちは知識を詰め込むのではないけれど、知恵を蓄えて大人になっていく、いろんな人たちに揉まれながら成長していく、っていうことが当たり前に行われていたんですね。それは今の子どもたちには味わえないところですよね。子どもたちに読んでほしいと思う一冊ですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年7月の記録)


ビーバー族のしるし

エリザベス・ジョージ・スピア『ビーバー族のしるし』
『ビーバー族のしるし』
エリザベス・ジョージ・スピア/著 こだまともこ/訳
あすなろ書房
2009.02

ハマグリ:旧版は地味な本で特におもしろいと思わなかったけれど、今度は読みやすくおもしろい作品になっています。この著者や描写が具体的で、例えば木の上にリスがいた、というのでも、「木の枝に、しっぽが耳の後ろまで巻きあがったアカリスがいるのを」と、はっきり目に浮かぶように書いています。だから物語の世界に自然に入っていける。時代が古いし、ネイティブ・アメリカンとの交流という設定は日本の読者には遠いかもしれないけれど、「異文化を受け入れる」という点で、今の時代にも共通することがあるし、たくさん学ぶべきところがあると思います。特におもしろかったのは、マットがエイティアンに『ロビンソン・クルーソー』を読んであげるところ。マットはストーリーを暗記しているから、次にどんな場面がくるかよくわかっていて、エイティアンの反応をさぐりつつ読んでいく。そこがおもしろかった。原作は1983年刊ですが、当時と今とではアメリカでのネイティブ・アメリカンに対する考え方が違ってきていると思う。今、新訳になって新しい本として日本の読者に差し出されて、微妙な問題がないのかどうか、ちょっと気になりました。

酉三:開拓時代のせっぱつまった状況とはいえ、男の子が開拓地で一人で数か月も留守番をする、という設定に驚きました。作品には好感を持てました。70年代に、先住民が連邦政府に対していろんな異議申し立ての運動を始めますが、80年代に書かれたこの本は、それに対する白人作家の一つの答えなのでしょう。両親を白人に殺された孫に、部族の長として英語を学ぶように要求するじいさんというのもすごい。今は先住民の作家が書いた、『はみだしインディアンのホントにホントの物語』(シャーマン・アレクシー著 さくまゆみこ訳 小学館)なんていうのがあって、部族の状況は今も悲劇的だけれど、新しい息吹も感じます。

ジラフ:異文化との出会いについてなど、ハマグリさんが、とてもうまく言ってくださいましたが、私も『ロビンソン・クルーソー』というモチーフが、すごくうまく使われていると思いました。エイティアンとの出会いによって、「……けっきょく、ロビンソン・クルーソーは、離れ小島で王さまみたいな暮しをしていたということじゃないか!」といった気づきが、マットの側にあったり。アメリカの醍醐味は、やはり大自然にあるということも、この本を読んであらためて感じました。エイティアンが去ったあと、マットが家族の帰りを待ちながら、黙々と自分の仕事をするところは、静かな場面ながら、感情的に非常に高まりがあって、物語のクライマックスのように感じました。エイティアンとの別れや、家族との再会のようにドラマチックではありませんが、大切な場面だと思います。

レン:とてもおもしろく読みました。特に、異文化に対するマットの態度の変化が興味深かったです。最初は大人たちが言うとおりの目でインディアンを見ていたマットが、思いがけない出来事で相手の価値に気づいて、やがてわかろうとしていく。そして最後は、わかるところもあればわからないところもある、全面的にすべてで意見があうわけじゃないけれど、それでも友だちでいる、と変わっていきます。異文化交流の本質を教えてくれていると思います。『ロビンソン・クルーソー』の使い方がうまいですね。マットがすごいと思っているところで、エイティアンが、こんなのたいしたことないみたいに言うところなんか、とてもおもしろいと思いました。ぜひ子どもたちに手渡したい本です。

メリーさん:先住民の暮らしと白人の開拓民の生活が交差する場所で、ふたりの男の子が心を通わせるのはやはり人間としてなのだなと、読み終えて思いました。彼らが、食べ物や道具を自分たちの手で作り出していくところはおもしろかったです。マットがエイティアンに読んで聞かせる『ロビンソン・クルーソー』と、ようやく家族が戻ってきたときにマットが父親に語るエイティアンたちの物語が、パラレルになっている気がしました。物語中のリアリティに関して、なぜ先住民の長老が子どもに英語を学ばせようとするのかということ、最初にエイティアンが片言の英語でマットと会話するということ、『ロビンソン・クルーソー』を英語で読んでわかるところなど、本当に英語を使ってのコミュニケーションが成り立ったのか、少し疑問に思いました。

エーデルワイス:お父さんが息子一人残して戻っちゃうというのがすごい設定で、悪いやつがライフルをかっぱらっちゃって、小麦をクマに取られちゃう。次から次へと、父親に残された男の子が試練に会う、そして命が危ない所でインディアンに助けられる、ある種パターン化されているって言っちゃ悪いですかね。きっと調べた話、背景のある話だろうと思いますけど、男の子の冒険ってことでは、インディアンに助けられて、さらには嫌われていたおばあちゃんにも好かれてよかったね、となります。公民権運動の次の時代、黒人だけではない、やはり虐げられていたインディアンの人たちもいたんだよと伝える話でしょうか。もう一つはすごい初歩的な話で申し訳ないんですけど、インディアンが白人に追われていったのは、西へ西へと思っていたんですけど、北へも行ったというのを今回はじめて知りました。ニューイングランドは、かなり早い段階で白人の世界になったと思いこんでいましたが、こんなことがあったんですね。話を戻して、実はインディアンの文化が優れていたんだよと伝える点、例えば旧約聖書のノアの箱舟の話をして、インディアンにも同じような話があるというのがありましたが、キリスト教世界がベストではないという文化の相対化も含めてそんな話を入れたのでしょう。英語の原文ですが、日本語だと例えば、「インディアン、うそつかない」のようなパターン化された表現があります。最初の頃はまだ拙い英語であったのが、だんだんとうまくなっていっているんでしょうか。訳になるとその辺は分からなくなってしまいますね。

シア:私はとてもおもしろく読みました。以前出版されたのは知らないので、今回初めて読みました。中高の課題図書たくさん読まなきゃならなくて、その中でさわやかで、昔懐かしい定番感に安心しました。子どもも読めるし、読者をひきつける魅力があります。最後もハッピーエンドで楽しめました。『トム・ソーヤーの冒険』とか『ハックルベリー・フィンの冒険』とか好きなので、生きる知恵というのも楽しく感じることができました。ただ、「ビーバー族」という題なので、ビーバーがからんでくるのかと思ったら、あくまで外から来た少年の成長物語に終始していましたね。生き物についてはさらりと書かれているだけでした。出てくるインディアンは親切ではないけれど、主人公を見守ってくれていましたし、自然と生きていくことの大切さや大変さが温かく描かれていました。アメリカ人の持っている黒い歴史にも触れることができます。でも、子どもなのに銃を撃ってみたり、昔の子ってたくましいなあと。それからモカシンというのは、インディアンの靴のことだったんですね。なるほど、そういえばそんな形をしていました。モカシンなんてオシャレ靴だという感覚しかなくて。また、『ロビンソン・クルーソー』という名作を作品の中で出してもらえたので、一面的に本を読むのではなく、いい面、悪い面を読んでいけたと思います。ぜひ子ども達にすすめたい本です。でも、「インディアン」という言葉がそのまま帯にまで出てきていて、びっくりしました。最近は使わないので、いいのかなとずっとハラハラしながら読んでいました。あとがきで使用についてわかってよかったのですが、最初に書いておいてもらえればずっと安心して読めたと思うんですが。

うさこ:私もおもしろく読みました。自分の世界を広げてくれる1冊でした。18世紀半ばの先住民族の暮らしとか、自然のなかで生きるルールとか、生活の知恵とか、ああなるほどなるほどと思いながらとても興味深く読みました。マットとエイティアンは典型的な異文化交流って感じで、最初はマットもいいとこを見せようとするけれど、関わるうちにだんだんお互いを認め合い、自然体で心を通わせていく姿は、読んでいてすがすがしかった。「共生」というのもこの物語の一つのテーマだったように思いますが、最後、ビーバー族は、白人との接触をさけるために奥地へ行く。最初は、白い人にだまされないように英語を教えてほしい、とマットに近づき頼んだサクニスじいさんでしたが、長老として選んだのは「共生」のために奥地へ。マットとエイティアンの成長の物語としても読めたし、人間と自然との共生の物語としても読めました。

プルメリア:きびしい自然界のようすがよく書かれていてとてもわかりやすかったです。家族がいないきびしい自然の中で一人で生活する主人公マットがインディアンと出会い、最初は相手を受け入れない受け入れたくない民族的な壁をもち、ぎこちない態度で交流しているうちに二人の間に友情が生まれてきます。インディアンの少年エイティアンがかわいがっていた犬を助けたことからインディアン社会にうけいれられて、インディアンに支えられながらいろいろな自然界の知恵を教えてもらいたくましく成長するマット。読み終わった後、課題図書にはとってもいい作品だと思いました。小学生の頃『ロビンソン・クルーソー』を読み、無人島でたくましく生きていく主人公が大好きでしたが、この本を読んで忘れていたことがたくさんあり、もう一度内容を知りました。おじいさんがときどき話す「よろしい」という言葉に人柄があらわれており、その言葉を聞いて少年が心を開いていく過程が読み取れました。少年のリラックスする感じが出ていておもしろいなと思いました。エイティアンが大切にしている犬を残していく、マットはさりげない言葉でとっても大事にしている時計を渡す、二人の相手を思いやる心情が素敵でした。表紙を見ると、インディアンの少年が不細工に見えますが、もっとイケテル感じだとよかったのではとも思います。

げた:本にずっとカバーをかけていたんで、表紙のエイティアンが不細工に描かれていたかどうかは気がつきませんでした。エーデルワイスさんが、インディアンを持ち上げるみたいに書かれていると言ってましたけど、そこまで言わなくてもいいんじゃないかと思いますよ。白人である自分たちにも家族がいるように、インディアンのエイティアンにも、おじいちゃんがいて、お父さんがいて、同じように家族がいるんだということを表現しているにすぎないんですよ。インディアンの方が優れているとか、どっちがいいとか悪いとか書いているわけではないと思います。おたがいの生き方、文化を尊重するということの大切さを読んでほしいんじゃないのかな。私は基本的に楽しく読みました。ハマグリさんが言うように、目に見えるように具体的に書かれていますよね。読んでいると、マットやエイティアンに会ってみたくなりますよ。『とむらう女』(ロレッタ・エルスワース著 金原瑞人訳 作品社)と同じように、開拓時代の人々には、今回も生きる知恵を身につけていく力強さが感じられて、憧れちゃうなとも思いました。インディアンって、最近テレビとか子どもたちが接する場面ってあんまりないんじゃないかな。私の子どものころは西部劇やアメリカのテレビ映画で、ある意味類型的なインディアンを見せられていたけれど、類型的なインディアンのイメージすら、今の子にはあんまり浮かばないんじゃないかな。

シア:ディズニーの『ポカホンタス』とかで、知っているかも。生徒には、あれもちょっとゆがめられてるよ、って話もしましたけれど。

げた:今回のテーマは「課題図書」なんで、今の時期は図書館で借りられないんですよね。この本は買いましたけど、ちょっと時期をずらしてもらうとよかったですね。

すあま:『からすが池の魔女』(掛川恭子訳 岩波書店)の作者ということで、おもしろいのかなと思って読みました。1983年にぬぷんから出版されたときの本は読んでいなかったです。

ハマグリ:ぬぷんのは地味で、手にとりにくい本だったからね。

すあま:男の子二人が出会い、子ども同士だからといってすぐに仲良くなるわけではなく、反発しあって、簡単に仲良くならないところがおもしろかった。それから、主人子は現代の子ではなく、開拓時代の子なので今の子よりもなんでもできるのに、インディアンの子に比べるといろんなことがうまくできない。そんなところが、今の子でも共感して読めるかなと思いました。とにかくおもしろく読めました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年7月の記録)


ハサウェイ・ジョウンズの恋

カティア・ベーレンス『ハサウェイ・ジョウンズの恋』
『ハサウェイ・ジョウンズの恋』
カティア・ベーレンス/著 鈴木仁子/訳
白水社
2009.01

シア:『ビーバー族のしるし』と似たような時代ということで、時代背景としては、ディズニーランドで子どもたちも知ってるかな。なんて思って読み始めたら、びっくりの読みにくさ。文体のせいなのか、詩的すぎて読めません。ぶつ切りと言ってもいい文章。登場人物もだれがだれだかさっぱりわからなくて。読みながら、最初の登場人物一覧を何度も見ました。栞を挟んで読んでたくらいです。途中から見ちゃった昔の海外ドラマって感じ。訳のせいかなとも思うんですが、何がなんだかわからない。これで読書感想文を書くってどう書けっていうのでしょう? 高校生でもきびしいと思います。それに、中身はぜんぜん印象に残らないんですけど、殺人事件とか恋愛とかだけ妙になまなましくて。その辺が課題図書なのに嫌だなと。この作品を「ツァイト紙が絶賛」したって書いてあるんですけど、ドイツ人の感覚がわからなくなりました。頑張って読んで、何も残らない。表紙や題名は美しいけれど、これに騙されて高校生はみんな読むんじゃないかと思うと、心が痛みます。

エーデルワイス:そうか。最初のところに登場人物の一覧があったんですね。見ないで読んでたもんだから、名前が頭に入ってこなくて。だれかがだれかを殺したなっていうのが、4件くらいありましたか? 社会的には裁かれない。そういうこの場所での事件と、ハサウェイと彼女との恋愛がからんで進んでるんだなっていうのがわかるけれど、正直あんまりおもしろくなかったです。

メリーさん:高校生対象ということなので、ほとんど大人向け小説と同じだろうなと思いながら読み始めました。最後、メイシェを守るためにダッチ・ヘンリーを殺す場面はあざやかでした。ただそれにしても、文章が散漫で読みにくい。よくいえば短く区切ったハードボイルドなのですが、改ページ改ページで物語がつながらない感じがしました。子どもたちはこれを読んで、何を感じるのか? 追体験をするのか、全く違った時代と世界の物語として読むのか……? 課題図書になる前に、どの層をターゲットにして作ったのか疑問に思いました。文体がドライな一方で、中で擬音がたくさん使われていたり、装丁がヤングアダルトのようだったりと、ターゲットがはっきりしないところが難しい原因かなと思いました。

レン:私も途中で投げそうになりました。名前がいろいろ出てきて、だれのことをいっているのかわからなくなって。ハサウェイは、「歳は十四。いや十三か、もしかしたら十五」と8ページにあるのに、せりふがどことなくおやじくさくて、なかなかイメージできませんでした。『とむらう女』や『ササフラススプリングスの七不思議』(ベティ・G・バーニィ著 清水奈緒子訳 評論社)など、このところアメリカが舞台の作品が多いですね。アメリカが舞台だと、読者はずいぶん許容範囲が広いんだなと思いました。金鉱掘りの話なら、子どもの本で他に『金鉱町のルーシー』(カレン・クシュマン著 柳井薫訳 あすなろ書房)などがあるし、この本をわざわざ読ませなくてもと思いました。わからなさが残る作品でした。

ジラフ:『ビーバー族のしるし』を読んだすぐ後に、これを読みました。『ビーバー族〜』がしっかりとした、手ごたえのある作品だったせいもあって、散文詩のような『ハサウェイ・ジョウンズの恋』には、私もなかなか入りこめませんでした。この世界にどうしたらシンクロできるんだろう、何かアプローチできる手がかりはないか、自分の読み方が下手なんじゃないか、とすら思ったくらいで(笑)。ハサウェイの気持ちにうまく乗れれば、この美しい詩的な世界を感じることができるのかもしれない、と思いながら、結局乗れないまま、最後までいってしまいました。会話の文体にも違和感がありました。原語で読んだら、印象もまた変わるのかもしれませんけど。英語圏の作品とはちがう、ヨーロッパ特有の文体の問題もあるのな、と思いました。

酉三:私はめちゃくちゃおもしろく読みました。ハサウェイが不器用で、恋をしているということでばっちりはまった。カタカナでわけのわからない言葉(登場人物など)が続出することにも違和感はありませんでした。設定などは適当に流しながら読める。とにかく不器用な主人公と女の子の恋ということで楽しく読めたんです。作者は当時の記録を読んだのかもしれませんね。そこから想像を膨らませながら、ウェスタンを描いたのではないか。大自然の中で、むき出しの人間を書くのは、ここはとてもいい舞台。もっとおもろい言葉でくどかんか!と思いながら、主人公の不器用さにひかれて読みました。たしかに訳文は、やりすぎの感があるが、この3作の中で、私としては一番おすすめ。ただ、この恋愛を高校生に読ませて、どう思うか。年配の不器用な人が青春を思い出して読むにはいいけど。

レン:やはり大人の本なのでは?

ハマグリ:原題は「ハサウェイ・ジョウンズ」なのに、邦題には「恋」がつき、しかも「恋」を赤字で書いて目立たせています。装丁は初刷と2刷では全く違いますね。最初は大人向けの感じだったけど、課題図書になってから、タイトルを大きくしたのね。このタイトルや、きれいな表紙の絵から想像した物語とは全く違っていました。私も登場人物が多くて誰が誰やらわからなくなり、とても読みにくかった。途中で投げ出してしまいました。

ハリネズミ:私はけっこうおもしろく読みました。人殺しがしょっちゅうおこるような荒くれた舞台で、この若い主人公が一途に思いをよせていることは伝わってきます。文体も読みにくいとは思いませんでした。ただし、同じような名前の登場人物がたくさん出てきて、それぞれの人物がつかめるような描写はされていませんね。ハサウェイが生活必需品と同時に、物語を届けるということも、おもしろい。でも、これを課題図書にして作文を書くのは難しいのではないでしょうか。今の高校生がうぶな恋に心惹かれるとは思わないし、それ以外に何があるのかというと、ない。これがなぜ課題図書になったんでしょう? 大人の本として、文芸書として出して、何人か読む人がいるというのでいいんじゃないのかな。28ページの文字、前のページに送った方がいいのでは。

げた:19世紀半ばのゴールドラッシュ時代の一攫千金を夢見るアメリカの人々の人間模様や時代背景を読みとるにはいい本かな、と思いました。ハサウェイとフロラの恋を語る中で、「天使が心臓にしょんべんをかけた」という表現はおもしろいなと思いましたね。こういう時代だから、郵便事業もあるわけではないので、こういう仕事が歴史的事実としてあったということを高校生が読み取れればいいのかなと思います。この本はハサウェイとフロラの単なる恋物語ではないので、確かに、インターネットに出ている読後評を読んでも、どうやってこれで感想文を書けばいいのかわからないとか、読みにくいという感想が多かったようですね。何がなんでも今の高校生に読ませたいとい本ではないと思います。

プルメリア:表紙も素敵で、恋や友情があっていいなと思って読み始めましたが、文章が詩的で読みにくかった。ピアノを運ぶのに木箱に載せ、それをラバにのせて運んだというところがわかりづらく、小さいラバに乗せても大丈夫なのか、また父と子でピューマを簡単に射止めているが、実体験に基づいていないのではないかとも思いました。ハサウェイの父は字が書けるのに、少年になぜ字を教えなかったんでしょう? ハサウェイとフロラが簡単に結婚できるのも、ピンときません。『ビーバー族〜』とくらべると、次から次へと物事が解決していきますが、リアリティがないように感じました。最初に想像した物語とは違って、物足りなさが残りました。

シア:大半の高校生は、課題図書3冊のうちタイトルと装丁でこれを選ぶだろうと思います。とくに女の子は。だから本嫌いにしてしまうかもしれない本ともいえますね。恐ろしい罠とも言えます。

うさこ:タイトルに「恋」と入っているので、SLA推薦の「恋」なのかあ、と斜めな気持ちで読み始めました。厳しい自然のなかの出来事なのに、なんだかきれすぎる訳文がかみあっていない。そんななか、「天使が心臓に〜」などという表現は妙に際立って響いてきます。原題が「ハサウェイ・ジョーンズ」、でもこれをそのまま日本語のタイトルにしても内容がわからないので、日本語タイトルには「恋」を入れたのかな? そのために恋に関連する場面の表現は他のところより際立っていたのかなと、あれこれ想像しました。登場人物はたくさん出てくるけど、一人一人をあまり掘り下げて書いていないせいか、全体的に散漫な感じがしました。ハサウェイが郵便だけでなく、お話を届けるというのは、いいなと思ったけど。本や物語にふれることがそう多くない時代に、人間のなかにストーリーが生まれる、その原風景のようなものを感じました。ストーリーそのものをもっと読みたかったけど。どういうふうに感想文を書くのかな? きっと迷うと思う。自分の感じたままを書くと少し変になるのでは?

シア:SLAには選定図書や課題図書と色々あって、それぞれ選び方が違うので、何でこれが選ばれたんだかわかりません。

レン:「物語を運ぶ」主人公の「恋」と言っているけれど、でも語った物語そのものはほとんど出てこないんですね。だから、主人公がおもしろい話をしたというのが伝わってこない気がしました。

うさこ:たしかにそう。語ると、「つまらない」なんて言われたりして。『ササフラス・スプリングの七不思議』と違うのは、『ササフラス〜』の7つの物語がそれぞれおもしろかったこと。今回は3冊とも、現代と遠く離れた時代で、3人とも男の子が主人公で、学校にも行ってなくて…という共通点がありますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年7月の記録)


風の靴

『風の靴』
朽木祥/著
講談社
2009.03

げた:アーサー・ランサムのシリーズみたいにおもしろいと聞いていたので、いつおもしろくなるかなと思って読み進んでいったんですが……。わくわく、どきどき感なしで終わっちゃったってところです。おじいちゃんもかっこよすぎるし、子どもたちも表面的にしか描かれていなくて、期待はずれでしたね。ヨットの専門用語がわかりにくいところなどあったのですが、それはそれとして、もう少し読者をひきつける書き方があったのではと思いました。登場する子どもたちの気持ちが伝わってこないんです。

たんぽぽ:受験に失敗した暗い話ではなく、さわやかに描かれていたと思いますが、航海記の部分など、子どもが楽しめるかどうかなと思いました。朽木さんの作品だと『かはたれ』(福音館書店)はおもしろかったです。去年出た『とびらをあければ魔法の時間』(ポプラ社)もおもしろかったのですが、これはもうひとつ、物足りなかったです。

酉三:賞をとったり、評判がよかったりというので期待して読みましたが、ちょっと……。いろんなことが気になりましたが、たとえば風間ジョーとの出会いなど、子どもたち、こんなに無防備でいいのか? と驚きました。設定がおもしろければ、「リアリティ」とかにこだわらない、という傾向を、最近の大人の本も含めて感じていますが、これもそういう読後感でした。「リアリティ? どうして必要なんですか? 物語って、要は作り物じゃないですか。おもしろければいいんですよ」という反論が聞こえてきそうですが、私はリアリティにこだわります。ゆえにこの本は評価できませんでした。どうしてこれが賞をとったのか、それが今日のテーマである「秘密」なのだ、などと。

プルメリア:私も期待して読んだのですが、甘いなと思いました。主人公が大変恵まれた環境にいて、私が目にしている受験に失敗した少年たちとはまったく違う。現実の子どもたちのなかで、この主人公のようにヨットをあやつれる子どもがどれだけいるんでしょう? 子どもの立場に立ってみると、手に取りにくい作品だと思います。おじいさんが息子に伝えたかったことは、ひしひしと伝わってきました。ネコジャラシが食べられることを初めて知り、やってみようと思いました。(笑)

ひいらぎ:同じようなシチュエーションであっても、アーサー・ランサムの作品とは違う?

プルメリア:ランサムとは、人間関係の書き方がちがいます。挿絵は、きれいでしたが。

ダンテス:たまたま子どもがヨットに乗っている姿を見て、作品のイメージがわいたとどこかに書いてありましたね。作者はヨットを動かすということ自体を書きたかったのかなと思いました。鎌倉は詳しいので、あの辺の描写だな、などと思いながら読めました。ヨット関係の横文字が多いですね。正直言って、ていねいに読む気はあまり起きませんでした。おじいちゃんがちょっとかっこよすぎますよね。風間という青年との出会いの設定が不自然です。挿絵や装丁はきれいに出来ていると思いました。

うさこ:本のタイトル、ちょっとおかしみを含んだ章タイトル、二人の絵描きさんに描いてもらった絵、装丁、登場人物の名前、船の名前など、隅々まで、この作家さんのこだわりが感じられる作りの本だなと思いました。でも、子どもの本としてはちょっと重厚ですね。私は、船やヨットなどの経験がないので、そういう点では興味深く読めたし、おもしろかった。海の描写などもきれいだなと思ったけど、海のべたべたした塩っぽい感じは伝わってこなかったですね。物語の核となるものをきちんとすえて書き込んであるので、ある意味わかりやすい文学作品だなとも思いました。ただ、神宮先生の原稿のあとに、作者のあとがきがありますが、なにかの授賞式で語られるならいざ知らず、ここまで本を書いた背景を書いてあったら、読者はどんな感想を持つのかなと思いました。かっこいいけど、かっこよすぎる物語ですね。

タビラコ:みなさんがおっしゃったように、私もなかなか話の中に入っていけませんでした。ひとつには、主人公の少年が抱える「悩み」なるものが、少しも切実に迫ってこないので、どんどん読みたいという気持ちになれないのだと思います。それでも我慢して読んでいるうちに、キャンプファイアでネコジャラシなどを焼いて食べる場面が出てきて、ああ、こういうところは子どもが魅かれるだろうなと思いました。おじいちゃんが遺してくれたヨットをあやつることで、自分は自分なりに道を見つけて生きればいいんだと主人公が気づくというお話だと思うのですが、これって、なんだかありきたりだなあと。それに、おじいちゃんの遺言らしきものが、ビンの中から出てくるのですが、ほとんどがほかの人の詩の翻訳だったのにはがっかり。1行くらいの引用ならまだしも、こういうのは作家としてちょっとどうなの? おじいちゃん、どんなことを言い残しているのかなと、読者は期待して読むところなのに。それから、みなさんのおっしゃるように、風間の登場は「ちょっと怖い」と思いました。大人の私だって怖いのだから、子どもたちの恐怖はいかばかりか……と思うのだけれど。その辺の緊迫感がないので、絵空事だなあという感じがしてしまうのだと思います。凝った文章できれいに書かれている点(時には、子どもには難解だと思う言葉も使っているけれど)、大人の眉をひそめさせるような箇所がない点が評価されて、受賞したのかも。マイナス点がないというところで。p259の訳注で誤植があるのは、マイナスですけどね。

ひいらぎ:注目している作家ですけど、個人的には『かはたれ』(福音館書店)や『彼岸花はきつねのかんざし』(学習研究社)といった、ほかの作品のほうが好きだし、おもしろいと思います。この作品は描写はていねいなんだけど、ていねい過ぎてちょっともたつく感が。場面転換にスピード感がなくて。ご本人は、ヨットに乗った時の爽快感を書きたかったとおっしゃっているようで、それは書かれていると思いますが、おじいさんがかっこよすぎ。湘南だし、子どももいいとこの子で成績も悪くはないし、親に問題があるわけじゃない。ランサムなら、ある意味「外国」だからと了解することもできますけど、これは舞台が日本なので、普通の子どもが読んでどうなんでしょう? へたすると、異世界ファンタジーになっちゃうのでは? それと、私も風間の出し方には疑問を感じました。話の本筋に関係ないし、リアリティがない。大島の方に行くのに大人が必要なので出してきたんでしょうか? それから、後ろ見返しに地図がありますが、どうせ出すなら本文に登場する地名も書いてあるとよかったんじゃないかな。朽木さんは台詞もうまい作者だと思いますが、たとえばp258の風間のセリフはちょっとくさい気がするし、ジェンダー的にもこれでいいんでしょうか?

タビラコ:『かはたれ』なんかは、文章に叙情的な湿度があって、それが好きだったんですけど、この作品はなんだか乾いているわよね。

すあま:さわやかすぎます。悩みがあるようでまったくないし、主人公がどこで成長したのかわからない。困難なこともあまりなくて、せいぜい動揺したくらいでしょうか。家出の後にもかかわらず、親も温かく迎えてくれています。実際の家出だったらもっと大ごとになると思うので、ちょっとうまくいきすぎなのではないでしょうか。主人公たちは中学生ですが、小学生の冒険物語のような感じがします。安心して楽しく読めるということで、受賞したのかな?

タビラコ:「白いTシャツに、洗いざらしのリーバイスをはいた長い足を組み、“色つき水”を片手にデッキチェアでくつろいでいる」ヨットをあやつり、『オデュッセイア』やら『ガリア戦記』やらを読むおじいちゃんなんて、ちょっとかっこつけすぎじゃない? なんだか、リカちゃん人形の家族みたいで……。関節痛とかリューマチとかなかったのかしら? 頭がちょっと禿げてたりしなかったの? おばあちゃんと時にはすごい夫婦喧嘩をしたり、どこかに隠し子がいたりしなかったのかしら?

酉三:読んで安心、というのがこの本の受賞理由かもしれない。いや、真面目に言っているんです。登場してくる子ども、大人、みんな「よい人」ばかり。安心して子どもに薦められる本。そう考えるとちょっと納得できる。

タビラコ:本当におもしろい作品は、書いているうちに作者のコントロールがきかなくなってくるんですよね。

ひいらぎ:これは隅々までコントロールされている感じがしますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年6月の記録)


縞模様のパジャマの少年

『縞模様のパジャマの少年』
ジョン・ボイン著 千葉茂樹訳
岩波書店
2008

ダンテス:伏線がたくさんありました。マリア、お父さんの発言、おばあちゃんなど、引っ越した先で父親の仕事がいかなるものか、読む人にはわかります。あやしいな、という風にしておいて、フェンスの向こうとこっち側で、同じ誕生日の男の子との出会う。この辺でこれは作り話だなということがわかりました。お話としては、ちょっと鼻につきました。9歳の子が物事をわからなさすぎる。わからないままにフェンスの向こう側にパジャマを着て入っちゃった。ユダヤ人を殺す立場のお父さんと息子が反対の立場になってしまったんですね。後半、フィクションであるということがわかりつつも、読むのはつらかったです。アウシュヴィッツ関連の作品は読んでいてつらいです。作品として受け入れていく自分自身もつらい。そういうことも含めてこの作品だといえば、そうですが。ユダヤ人虐殺関連の作品は書き続けられていますね。これはちょっと新しいタイプのホロコースト文学と言っていいのでしょうか。

げた:あとがきから読んでしまったので、子どもが塀の外と中を出入りできるなんて、実際はありえないことだと、フィクションなんだ、ということを承知しながら読みました。それにしても、あまりにもブルーノが何も知らなくて、嘘っぽいんだけど、そこに逆にわかりやすさがあると思うんですね。今の子どもたちに読んでもらう意味では、こんな書き方もあるのかなと思います。現実にたくさんの子どもたちが収容所へ送られて、殺されたんですものね。子どもたちも現実を承知しながら、フィクションはフィクションとして読んでくれるに違いないと思います。

プルメリア:嘘っぽいけど、本の世界に入りこんで読みました。戦争に対して反対している祖父母と戦争賛成派の父、家族のなかでも賛成、反対があり、それぞれの生き方が描かれているところは、真実味がありリアリティを感じよかったです。戦争に対して悲惨な立場で書かれている作品が多い中、逆の立場で書かれている作品を読んだのは初めてかも。住んでいる家の中の様子がわかりやすく書かれていました。表紙は服と同じ縞模様でわかりやすいですが、シュムエルがグラスを磨いているのが、医師なのになんでお手伝いさん?と不思議に思いました。小学校は無理だけど、中学生だったらいろんな感想が出てきそう。

ひいらぎ:医師に医師の仕事をさせないのは、人格をおとしめるっていうのも、ナチスの意図だったからじゃないかな。それに、収容所では医者はいらないんじゃないですか。みんなガス室に送ろうとしてるんですから。

プルメリア:悲惨ですね。

ダンテス:何の作品だったか、音楽家なんかは、収容所からドイツ人の家に呼ばれていって演奏し、オレンジをもらって収容所に帰ってから仲間に分けるなんていう話もありました。

ひいらぎ:「ライフ・イズ・ビューティフル」の映画にも、収容所で音楽を演奏する場面がありましたね。現実をおおい隠すために音楽が使われていたみたいですね。

たんぽぽ:高校生の読書感想文課題図書で、感想文にしたら、とても書きやすい作品ですよね。読んでいて、つらい作品でした。

ジラフ:児童文学作品を読んだのは久しぶりで、入りこみました。先に「訳者あとがき」を読んだので、フェンス越しの友情なんて、本当はありえないシチュエーションだ、ということはわかっていましたが、そのうえで、男の子の大人を見る目や、感情がすごくリアルに立ち上がってくるのを感じました。親友と離ればなれになって、友だちのいない毎日がどんなにつまらないか、そのことが9歳の少年の人生のなかで、どれほど大きな比重を占めているかとか、お姉さんにムカつく気持ちなんかが、よく描かれていると思います。きつい結末ですが、終始、少年の目線にシンクロして、フィクションとして楽しみました。読みながら、アイルランド出身で、アイルランドで教育を受けた1971年生まれの作者が、どうして、アウシュヴィッツに題材を取ったこういう作品を書こうと思ったのか、そのことはずっと気になっていました。主人公のお祖母さんがアイルランド系だ、というくだりがありますが、アイルランドにかかわる部分はそこだけですよね。あと、「待遇のよすぎるメイド」とか「点が染みになり、染みがかたまりになり、かたまりは人影になり、人影は少年になった」とか、各章のタイトルのつけ方がうまいな、と思いました。

ひいらぎ:BBCのポッドキャストで作家の声が聞けたんですけど、この人は友情が書きたかったって言ってました。自分はユダヤ人ではないんですね。

酉三:ホロコーストというまことに大きくかつ重い史実をどう語り継いで行くか、というのは大きなテーマでしょう。そのなかで、どれほど史実を離れることができるか。それが気になりました。アウシュヴィッツの鉄条網に、くぐり抜けることが可能な場所があったことなど考えられないし、監視塔の盲点があったという設定もありえないことでしょう。そういうありえないことを組み立てて、お話を作っていいのか? もっとも、読んでるときは、完全にもってかれてましたけれど。

すあま:これは、以前ブックトークで紹介されたんですが、内容を知ってしまったためにかえって読めなくなった本です。でも課題の本だったので仕方なくこわごわ読みました。今回のテーマの「ひみつ」が生んだ悲劇の物語ですね。大人も子どももお互いに秘密にしていたために、起きてしまった出来事が描かれています。他の方と同じで、この主人公の年齢で知らないということがあり得るのか不思議に思いました。本当の話のようで現実にはあり得ないことが書かれているので、これを戦争の本として手渡すのはちょっと怖いですね。説明が必要かもしれない。書かれていないために恐ろしい場面がたくさんある。パジャマは縦縞なのに表紙のデザインはなぜ横縞なんでしょう? タイトルを入れるには横縞の方がいいのかもしれませんね。

タビラコ:この作品は、ずいぶん前に読んで、後味が悪い話だなあと思ったのですが、何週間たっても忘れられない。それだけ強い力を持っているのだと思います。たしか、作者自身が「これは寓話だ」と言っていたように思いますが、寓話として考えれば訳者が後書きで書いている、必ずしも歴史的な事実と同じではないという点や、ブルーノがピュアすぎて不自然だという点もクリアになるのでは? いろいろな見方、感じ方ができる、おもしろい作品だと思います。

ひいらぎ:著者が語っているのを聞くと、小さな子どもでも、すぐには殺されなかったというケースはあったようです。使い走りをさせられたり、ペットがわりになったりと。それから、著者は、ユダヤ人からは批判は受けていない、むしろそれ以外の人たちからの批判があるというふうに言ってました。

うさこ:フェンスの向こう側とこちら側、フェンスというのを大きなキーにしてかかれた物語だなと解釈しました。フェンスの向こう側は想像もつかない世界。こちら側はあまりにも平和で幸せボケしていて、向こう側のシュムエルに思いをいたらすことができない。ブルーノは、今の私たちの現実にも重ねあわせる要素が多い。胸がつまる思いで読みました。9歳のブルーノがあまりにも無知でシュムエルと交流が深まっていっても、フェンスの向こう側に対しての想像力が弱い人物として書かれています。この人物描写については、読み進めていくにつれ自分のなかに違和感が広がっていったんですが、作者はあえて、ブルーノに気づきや成長や変化する姿を与えず、ブルーノという「個人」を描いたようにして、実は「マス(大衆)」の姿をそこに描いていたのではないかと思えてきたとき、この物語がストンと自分のなかに落ちてきました。この作者は、この物語を一つのきっかけとして、読者が自分の力で学んだり考えたりしてほしいと望んだのかもしれないとも思いました。

ひいらぎ:入り込んで読みました。訳もいいですね。ホロコーストをめぐる、いろいろな立場が描かれています。ブルーノの祖母は、「あなたたち軍人なんてそんなものなのよ。…新しい軍服が『すてき』に見えるかどうかしか頭にないんだから。そして、きれいに着飾った姿で、世にもおぞましいことに手を染めるのよ…」と、軍に反感をもっています。ブルーノの父親は、冷血漢ではないけれど、りっぱに出世することに心を砕いています。ブルーノの母親は、最初は夫の出世を喜んでいたのが、やがて家族がおかしくなっていくことに気づきベルリンに戻ろうとします。姉のグレーテルは、ナチスの教育に洗脳されていきます。一つの家族なのに、あえてさまざまな立場に立たせているんでしょうね。ブルーノが子どもらしい無邪気さで周囲の状況に好奇心をもって迫っていくのも、私はリアルなんじゃないかと思いました。ただ最後だけひっかかりました。これでは、イスラエルがパレスチナに対してやっていることを隠蔽したり、今現在あちこちで同じような暴力的な行為が行われていることから目をそらさせる結果になると思って。BBCのWorld Book Clubでは、著者は皮肉をこめたと言ってましたが、日本語で読むと、それが十分に伝わってきませんね。


ある秘密

『ある秘密』
フィリップ・グランベール著 野崎歓訳
新潮社
2005

プルメリア:話の展開が意外でした。次が知りたくて一気に読みました。話がおもしろいというより、内面的に書かれている筋がおもしろかったです。戦争の時代に生きている人間のもろさと強さがわかりやすく書かれていました。戦争中で大変な状況でも体を鍛えているのは国民性の違いなのかなと思いました。自然描写や人物の様子がよくわかりました。短い話でしたが、人間の葛藤も描かれており3作の中で一番重みがありました。

ジラフ:この作品は、フランスの「高校生の選ぶゴンクール賞」に選ばれたものだそうですが、その賞のしくみについて、フランス語翻訳家の辻由美さんが、『読書教育 フランスの活気ある現場から』(みすず書房)という本のなかで、くわしくドキュメントしているのを読んだことがあります。選考過程がすごくエキサイティングで、おもしろかったのをおぼえています。この『ある秘密』にしてもそうですが、高校生がこういう作品を推してくるところに、フランスの十代の子どもたちの、歴史や社会とのコミットメントの深さを感じました。わたしの身近にはこの年代の子どもがいないので、フランスの高校生は、日本の高校生は、とあまりステレオタイプのイメージで語ってはいけないんですが、実際、日本の高校生だったらどうだろう、と思いました。

酉三:今回の課題の3冊のなかで、一番よかったと思います。お話の骨の部分は「事実」で、それを著者が想像力で肉付けしていった、ということでしょうが、「事実」と言われると、重いですね。お話のあまりに劇的な展開に「ひょっとすると、これは事実に基づいているのか?」と、思わず途中で「あとがき」を読んでしまいました。

すあま:最初読み始めたときに、どんな秘密なのか予想がつきませんでした。主人公が実は両親の子どもじゃないのか、などといろいろ考えたんです。主人公は、秘密を知ってしまってから、荒れたりしないで、逆にそこから成長して大人になっていく。そして秘密について話すことで親の心を開放してあげる。そこが、高校生に支持されたところではないでしょうか。元の奥さんが自殺行為をして連れて行かれるという秘密の物語よりも、主人公の成長物語として読んでおもしろかったです。上質な文学作品だと思いました。

タビラコ:読みはじめてしばらくしたら、登場人物の名前がごちゃごちゃになってわからなくなり、また最初から読み直しました。一口に言って、おもしろかった。少年が成長していく過程も念入りに書かれていますが、なによりこういう体制下にいた人々のさまざまなエピソードを知り、感じるものがありました。アンナのエピソードは、夫に対する復讐、仕返しではなく、絶望として読みました。フランスやフランス文学をよく知っているわけではありませんが、愛や恋をなにより高いところに置いているのが、フランス的だと思いました。最後の、主人公が父親を許すところも、感動的でした。ただ、どこまでがフィクションで、どこからがノンフィクションなのか曖昧で、すっきりしないところもありました。「高校生が選ぶゴンクール賞」に選ばれた作品ということで、フランスのYAの読者たちはこういう作品を読んでいるのかと、その点も興味深かったです。

ひいらぎ:フランスではYAで出てるんでしょうけど、日本では明らかに一般書として出版されているし、日本の中・高生にはわかりにくいですよね。フラッシュバックが多用されている点や、どこまでが想像で、どこまでが事実なのか、境目がはっきりしない点など、読み慣れていない読者にとってはきびしい。主人公は、秘密を知る前に家族のことを想像している、一部知ってまた別の想像をする、秘密がわかってまた新たな家族像を構築する、という風に話が進んでいきますが、日本語だとどこからどこまでが何なんだか、よくわからない。原著は時制などからわかるようになっているんでしょうか? 日本語の時制はフランス語ほどはっきりしていないので、訳は難しいですよね。日本語だと過去の話に現在形が出てきたり、現在の話に過去形が出てきたりするわけですから。それから、児童文学なら、主人公が屋根裏でぬいぐるみの熊を見つけてシムと呼ぶところから、親の奇妙な顔を察して秘密がふくらんでいく、という形にすると思うんですけど、この本では、最初から主人公は兄がいる気持ちになっています。そこも、フランス的と言えばフランス的ですが、ストーリーラインがくっきりしない感じが残ります。アンナがナチの将校につかまる場面ですけど、私は自殺しようとしたわけじゃなくて、まだホロコーストの実態がわかっていなかったんだと思うんです。じゃないと、息子は連れていかない。
私は訳はそううまいとは思わなかった。たとえば、p52には「ぼくが15歳になるまではルイーズも秘密を守りぬいた」とありますが、p53には「小学校を卒業し、地元の中学校に通った」とあって、3,4年戻った感じになる。そしてp55はまた15歳。真ん中の部分の訳をもう少し工夫すれば、流れが途切れた感じにならなかったのにな、なんて思いました。それから最後の部分がこの訳ではよくわからなかった。本がお墓になるのか、お墓に本を置くのか、どっちなんでしょう? 原文どおりに訳されているんでしょうけど、それだけではよくわからない。

ダンテス:ホロコースト文学として見事だな、と思いました。ユダヤ人が連れ去られた事実が、大人の恋愛とからめてよく書かれている、と思いました。日本語訳で、不自然なところがありましたが、おそらくフランス語の接続法で、時制がフランス語でよくかき分けているんだろうと推測しました。文体的に工夫があるのでしょう。自然な日本語にならないのはしょうがないですね。フランス文学にある、人間の赤裸々な心情がよく書かれていて怖いような印象があります。「高校生が選ぶゴンクール賞」に入るという話もすごいです。フランスの高校生はこんなに違う。

タビラコ:日本にも高校生が選ぶ賞があったらいいのに。

すあま:「高校生が選ぶ直木賞」みたいな?

ひいらぎ:『ジャック・デロシュの日記?隠されたホロコースト』(ジャン・モラ/著 横川晶子/訳 岩崎書店)も同じ賞を取ったんだじゃなったですか? あれもホロコーストものですが、日本の高校生には難しいですよね。

タビラコ:日本の高校生が選ぶと、『武士道シックスティーン』(誉田哲也/著 文藝春秋)みたいなものになるんじゃないかな。

ひいらぎ:この作品、ダンテスさんのところの生徒さんだと、どうですか?

ダンテス:人間の情念の部分などがわかるのは、もう少し年齢が上じゃないですか。中学生くらいでは「あ、不倫だ」という程度の興味で終わってしまうかも。ホロコースト文学をベースにして読むのと、それがなく読むのとではまた違いますしね。戦争や歴史関連ですと、『あのころはフリードリヒがいた』(ハンス・ペーター・リヒター/著 上田真而子/訳 岩波少年文庫)を読ませています。

げた:文章が短くて、淡々とノンフィクション的に書いてあり、読みやすいですよね。ただ、名前がいろいろでてくるので、ごちゃごちゃになっちゃうところがありますね。でも、自分の家族にあてはめて読んでみたんですよ。そうすると妙に生々しい。一つの家族の悲劇と民族としての悲劇が、それぞれ互いに作用しながら展開していく様子が比較的淡々と語られている感じがよかったですね。アンナがナチの将校につかまる場面ですけど、緊迫感があり、そういう意味ではおもしろかったな。

酉三:母親は、今の夫との結びつきに強い罪悪感を感じていて、それが虚弱な息子を生むことにつながり、卒中で美しい肉体とことばを失う結果にもなったように思います。でも親父の方は、ひたすらボディービルで、やがて己の肉体が衰え、病故に妻の肉体が衰えると、心中しちゃう。なんかアホなやつですね。そういう父をもつ息子はたいへんだと思いますが、でも、どなたかが言っておられたように、秘密が語られることが、彼をたくましくしてゆく。息子が不要にためこんでいた罪悪感が昇華されたんでしょう。ただ、両親がひたすら肉体にこだわる人たちだった、というのは、「事実」ではなく、フィクションなのかもしれないですね。この作品は、精神分析家である著者が、自分のクライアントに向けて書いた「癒しのメッセージ」という側面もあると思うのです。そういうことからすれば、「ナルシスムという迷路」への警告ということが、この両親のありようを通じて語られているようにも思えます。

ひいらぎ:私は現代のフランス文学は、あんまり好きじゃないんです。一筋縄でいかないのがいい、ストレートなのはおしゃれじゃない、みたいなスノビズムが感じられて。

タビラコ:フランスにいい児童文学が生まれないっていうのも、その辺に問題があるかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年6月の記録)


ササフラス・スプリングスの七不思議

『ササフラス・スプリングスの七不思議』
ベティ・G・バーニィ/著 清水奈緒子/訳
評論社
2009

げた:表紙はわりとシンプルで、強くひきつけられるという感じはなかったんですけど、中身は読み進むにつれておもしろくなってくる。アメリカの田舎の何もないところで暮らしている男の子が、世界の七不思議を求めて旅立とうと決心して、お父さんにそのことを打ち明ける。でも、お父さんに、もっと足元を見なさいと言われ、ササフラス・スプリングスで七不思議を探し始めるんです。男の子が聞き集めた、ササフラス・スプリングスの七不思議のお話集ってわけですが、一つ一つが結構おもしろくって、楽しめましたね。特に町長さんのお話かな、オチもあって織機が犯人の名前をあてるなんてドキドキする話。お父さんの妹プリティおばさんが最後アルフおじさんと結婚することになるっていうのも、あったかい感じがしてよかったな。すごい冒険でもないんだけれど、地元の七不思議を一つ一つ探しもとめて歩いていく男の子に共感できるお話でしたね。挿絵はかわいらしくてシンプルだけど、お話を想像する手助けになっていいかな。

メリーさん:おもしろく読みました。最近、自分の友人がまた別の知人の知り合いということが続いたので、世界は意外と狭くて皆どこかでつながっているのだなと感じたことを思い出しました。主人公は身のまわりの七不思議を探しますが、きっとどこかで世界につながっているのだろうなと。日本で「七不思議」というと、学校の怪談が真っ先に思い出されるだろうけれど、ここではいわゆる世界の大事件というのがおもしろいと思いました。七つの中ではアルフおじさんのくだりが好きです。彫像は、過去を表すとともに、現在や未来も表している。結局人間はずっと同じことを繰り返しているのかなと感じさせて。「ササフラス」がルートビアの原料ということがちょっと出てきましたが、アメリカらしくていいなと思いました。

レン:私もおもしろく読みました。冒険というとどこか遠く危険なところにのりだしていかなきゃいけないみたいだけど、何でもない日常に七つも不思議があるところがよかったです。そして不思議の発見が、さまざまな人の隠れた一面、隠れた人生を見せてくれる。自分のまわりの人たちにも、いろんな人生があることを示唆してくれるのでは? また書き方にユーモアがあるところもよかった。ユーモアの感覚がいろんなところで救いになりクッションになっていますね。ただ、装丁はちょっと残念。年齢層を考えると背の文字もおとなしすぎるし、色も地味な気がします。

たんぽぽ:私も、表紙が地味かなって思いました。もう少し違う感じだと、もっと子どもが手に取るかな。七不思議の一つ一つが、あとから振り返ってみても、おもしろかったです。トイレが飛んでいくおまけ話?も、よかった。読んだおとなも子どもも、身近なところにある七不思議を探してみたい、振り返ってみたいと思うのではないでしょうか。

ハマグリ:主人公が七不思議を探していく、という枠の中にいろいろな話が出てくるというつくりの本で、一つ一つの話がおもしろいから、それぞれ話の中にすっと入っていって楽しめました。一見ごく普通のおばさんやおじさんにも、いろんな人生、ドラマがあるんだということが、だんだん見えてくるっていうのもおもしろかったです。ただ、どんな子にも読みやすい、というのではなく、それぞれの会話の中からいろいろ読みとっていける、ある程度読書力のある子に薦めたいですね。

ひいらぎ:私も、派手ではないけれど、味わいがあっておもしろいなって思いました。ほんとになんにもない、一見つまらなそうに見える地域なんだけど、そんな場所でもよくみるといろいろなお話が存在している。そこがいいですね。ただ最初忙しいときに読んだら、人の名前がごっちゃになって混乱してしまいました。挿絵は、以前とりあげた『ラッキー・トリンブルのサバイバルな毎日』(スーザン・パトロン/著 片岡しのぶ/訳 あすなろ書房)と同じ人ですよね。もっと小さい子でも手にとりやすい雰囲気が表紙にあるといいのにね。

うさこ:おもしろく読みました。小さい頃って、根拠もなしに知らない土地や時間に憧れて、そこにワクワクやドキドキがあると思いがち。このお話は、お父さんとおばさんの上手な導きによって主人公エベンが自分の住んでいる身近なところで七不思議を探すっていう設定がとてもいいですね。案外、知ったつもりでも、自分の住んでいるところって知らないことが多い。そのくせ、よくないところばっかり目についたり。でも、エベンは遠くへは行かずに、地元で小さな目覚めの旅をする。エベンは近視眼的なものの見方や自分の狭い考えを少しだけ乗り越えたのかもしれない。乗り越えるっていうと大きなショッキングな出来事があってというのが多いけど、そうじゃないところで構成しているのがこの物語のすばらしいところ。七不思議もありきたりな話じゃなくて、一つ一つ語ってくれる人の人生が垣間見えて、しかもそれぞれにロマンがあっていいな。日本だと何か解決しようというときタテ社会、とりわけ家族間や家庭の中が多いですけど、このお話はヨコ社会のつながりのなかで解決に向かっていく展開もいい。装丁がちょっともったいないですよね。わりと地味目。読者がスムーズに手にとってくれるでしょうか? タイトルもササフラス・スプリングスというのが場所の名前だと気づきにくいし、しかも長くて覚えにくくて、ドキドキもなくて残念。

ダンテス:この本は、まあまあおもしろく読んだって感じです。描写がていねいですね。そういう意味では、ひと時代前の作品という印象です。少年の目を通して七不思議を探すというのをきっかけに、自分の町をよく知っていく。七つのそれぞれが短編というか、短いけどストーリーもあります。七つに出会うまでの困難も書いてあって、作品としてはよく書けているかなと思います。

すあま:『シカゴよりこわい町』(リチャード・ペック/著 斎藤倫子/訳 東京創元社)のような、ちょっと昔のアメリカの話が好きなので、おもしろかった。短編集のようで、最後にちゃんとオチがついていて。でも装丁が地味なので、大丈夫なのかと心配になります。題名もおぼえにくいので、本屋で店員に聞こうにもぱっと言えないですよね。

ダンテス:アメリカだと、ここの土地、我がコミュニティっていうのがあるんでしょうね。だから具体的な地名を作品の題に入れる。

ハマグリ:そういう地方色を売りにしているようなものってありますよね。『ラッキー・トリンブルのサバイバルな毎日』にも、アメリカの、その土地独特の感じがありましたよね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年5月の記録)


ひとりたりない

『ひとりたりない』
今村葦子/著
理論社
2009

たんぽぽ:とてもせつなくて、読むのがつらかったです。主人公は5年生なんですけど、この状況は子どもにとって重すぎないかと思いました。この物語の対象はだれなのか、子どもにこの物語を読ませる意味は何なのかを、考えてしまいました。子どもはそうでなくても、つらいことを抱えているのにな、と。

メリーさん:今の意見に共感です。ほかの2冊も、家族の誰かを亡くしているのだけれど、この本はとくに悲しい。主人公が、これまでお姉さんに頼りっぱなしだったということを、お姉さんが亡くなってから気づくところなどは特に。家族と話をしなくなってしまった弟に何か食べさせるためにわざと冷蔵庫にご飯を作って入れておく場面では、おばあちゃんがいい役割をしているなと思いました。だからなおさら、この家族の構造がとてももろく感じられました。今はおばあちゃんが来て何とかまとまっているけど、子どもも大人もバラバラで、ちょっとつつくと壊れてしまいそう。全体的にトーンは明るくはないですね。タイトルも喪失感が出てしまう「ひとりたりない」ではなくて、その先に何か見えてくるものだったらよかったなと思いました。

げた:5年生の女の子につきつけられた現実の重さっていうのに、すごく救いようがないような、奈落の底に落とされていくような感じを受けました。そこから彼女はSOSを出しておばあちゃんを呼ぶわけなんですね。おばあちゃんがキーマンになって家族の崩壊をくいとめ、元に戻していく。そんな役割をおばあちゃんに持たせてるわけです。なんとか家族はまとまるけど、でも現実はひとりたりない。どうしようもない現実を小学生につきつけることが必要なんですかね。そこは難しい問題ですよね。これを読んで小学生が救われるのかな? 我々大人が読むのはいいかもしれないけど、子どもが読んでどういうふうに受け止めるのかな。でもこういうことは現実にあるんでしょうし、それも児童文学の役割なのかな? どうなんだろうなって、考えてしまいました。この話の父親と母親はあまりに頼りないですよね。極端に書いてはいるんでしょうけどね。その分おばあちゃんがしっかりして際立ってくるんだけど。

ダンテス:一見感動的な話なのかなって思うんですけど、何か足りない。実は人物設定がきわめて類型的で、ただのお涙頂戴になってる。例えばお葬式の次の日におねえちゃんの名前でお母さんの誕生日の花を送ってくるんですが、確かに悲しいけど、作られたありがちは話なのでは? お母さんだってシュート君だって類型的。人間ってそんなものなんですかねえ。おばあちゃんも立派すぎます。文学は人間を描くものである、という定義で考えれば、人間が描けていない。私はこの作品は評価しません。

プルメリア:サンシャインさんの感想をお聞ききして、パチパチって火花が飛んだような気がしました。私はそんなふうに読まなかったので。今村さんはとても好きな作家さんです。『ひとりたりない』って題も、私はいいなって思いました。事故で姉を亡くした少女のやるせない心情、そのことが原因で不登校になった弟、過去の出来事から今へとストーリーが構成され家族がばらばらになりつつある苦悩な毎日…。家族全員の心情がよくわかる作品として読みました。
小学校で子ども達が身近な人の死をテーマに書いた作文を読むと、文章表現や構成が上手とかに関係なく、書いた本人の心情がひしひしと伝わり、涙が出てきます。そういう作文を書いた子に「がんばっているんだね」とか「いつも笑顔でえらい」と声をかけると、はずかしそうに微笑みます。そういう子どもたちの日常生活を考えると、これは手渡しにくい作品かもしれません。いいなと思う作品は自分で読んでから手渡しているんですけど、この作品は気軽に渡すことができないです。内容が重いから渡しにくいのかな? おすすめリストに入れて、こういう作品もあるよって知らせる作品かなとも思います。悲しいですが、子どもたちにもこういう体験や心情をわかってほしいので、読んでもらいたいとは思います。

うさこ:作品として疑問が残る点が多かったですね。身近な人の死、しかも突然の事故死っていうのは大人にもすごく衝撃的。短時間で乗り越えるなんてできない。ましてや幼い子が自分の兄弟の死を目の当たりにしたときの衝撃は計り知れない。この話は、読み進めるのが本当につらかったけど、最後どういう形で救いがあるのかと思いながら頁を繰っていきました。だけど、救いや次への希望みたいなものはなかったように思います。だから、今も悶々とした気持ちが残っています。
病死と事故死は違うし、自分の目の前で、自分の過失で姉を事故死させたというのは、中学年の読者層には設定が困難すぎる。小学校2年生と5年生では、死の受け入れ方とか、立ち直り方や乗り越え方もぜんぜん違うと思います。5年生の女の子自身が立ち直ってないのに、弟のことを救うことなんてできるんでしょうか。作家さんは、時にこういうハードルの高いテーマを設定して書くけど、作家の力量がすごく問われるのではないでしょうか。書こうとする志は強かったのでしょうが、作家さん自身が、この作品を書くことに自分で行き詰ってしまったような印象を受けます。字が大きいから3、4年生の読者向けだと思いますが、この年齢の子には、とてもとても消化できない内容です。現実のなかで、同じような状況の子に薦められるほど作品が熟成してない。ただ、何もかも家族の中で解決しようとしているところなど、現代の日本社会も映し出しているかもしれませんね。

すあま:私はまだこの作品は読んでないんですが、最近地域の小学校の先生が急に亡くなったことを思い出しました。担任していたクラスの子どもたちはどんな風に喪失感をおぼえ、乗り越えていくのかなと思い、この本が子どもたちが少し落ち着いたときに手渡せるような本だといいなと思いました。

ひいらぎ:たしかに小学校中学年だと設定はつらすぎるんですけど、実際にこういう状況になる子もいるだろうし、作者はそういう子に寄り添って書いているんじゃないかな、と私は思いました。中学生くらいを主人公にしたほうが、書きやすいのかもしれませんけどね。主人公の琴乃がその時点時点で感じていることも、うまく表現されていると思います。50pの「お坊さんがお経を読む、おどかすような声がひびきわたって」とか、「火葬場の庭のすみに、大きなサルスベリの木があって、重たいほどピンク色の花をつけていました。サルスベリの花は、クレープみたいにちぢれた、ぜんぜんふつうの花らしくない、へんな花です。それが枝々にびっしりと咲いているのは、なんだかふしぎな感じでした。私のぼんやりした頭のなかでは、なぜだか、その花とおねえちゃんが死んだこととは、なにか関係があるみたいに思われるのに、それがどんな関係なのか、いくら考えても、私にはわかりませんでした」なんていうところとか、96pの「かあさんも、私が肩をもんであげると、ときどき、べつな人のような声をだすことがあります」なんていうところは、この年齢の子どもらしい鋭い感じ方が表現されていると思いました。
今村さんの文章がいいので、私はダンテスさんのように類型的だとは思わなかったんです。英米の現代の児童文学だと、子どもが極限状態に置かれていても手をさしのべる大人が出てこなかったりするんですけど、この作品では、かなり理想的なおばあちゃんがちゃんと救い手として現れる。しかも昔風ではなくて現代風のおばあちゃんだってところがいいですね。永久に(あるいは長いあいだ)この「足りない」感じを抱いて生きていかなくてはいけないというリアリティも表現されているし、作者は子どもと一緒に考えてくれていると思うんだけど。

ハマグリ:突然娘を亡くした父母は、自分の悲しみにいっぱいいっぱいで、下の子たちの気持ちを救うことができないでいるし、弟は学校に行けなくなってしまう。自分だってどうしようもなくつらいのに、まわりがこんなふうでは本当に行き場がないですよね。そういう設定の物語を読むのは、大人でもつらい。そこへ明るいおばあちゃんがやってきて、すべてをありのままに受け入れ、日々の暮らしを大切にして、せいいっぱい前を向いて生きていくことを示してくれる。その姿勢には救われるんだけれど、あまりにもおばあちゃん一人が救世主のように現れるので、ちょっと違和感を覚えました。死っていうのは子どもにとっても身近にあるものだと思うけれど、日本では子どもには知らせないっていう文化があると思う。あえて子どもに話さない親は多いと思うんですけど、この物語のようなことが起こったり、こういう体験をした友だちがいるっていうことはあると思うから、子どもからむやみに死を遠ざけるというのではなく、本の中でそういうものを知っていくことができれば、それは本の一つの大切な役割なんじゃないかと思います。
でも、同じような体験をした子どもには、この物語はちょっとリアリティに欠ける部分があるし、体験をしていない子にはやたら不安感やこわさが増すんじゃないかと思います。じゃあこういう本の役割は何かっていうと、子どもなりに人間の複雑さを感じとるっていう点にあると思います。でもこの本にそれができるかというと、できていない。最後に家族が、やっぱりひとりたりないって思うところは、どうなのかな、と思いました。私のまわりにも子どもを亡くした人が何人かいるけれど、亡くなった子はいつも家族と共にいる。3人きょうだいが2人きょうだいになるのではなく、常に意識の中にある。他人はなるべくその子の話をしないように気を遣うけれど、家族はその子の存在を忘れてほしくない。その子のことを語って、いつまでもおぼえていてほしいと思っている。そこまで至らないと、救いにならないんじゃないかな。

メリーさん:いわゆるお涙頂戴の類型的な本がよく手にとられるという面もありますね。でもそれは、著者も読者も大切な人を失うということについて、本当に考えるところまではいっていない。登場人物に深く共感するというよりは、そのシチュエーションを楽しんでしまうという面があると思います。

たんぽぽ:これ、おばあちゃんの気持ちはよくわかります。孫を、どんなことをしても何とかしてあげたいという。でも、最後に乗り越えられるような、何かがあったらいいのになと思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年5月の記録)


とむらう女

『とむらう女』
ロレッタ・エルスワース/作 代田亜香子/訳
作品社
2009

プルメリア:『ササフラス〜』のあとに読んで長編に慣れていたせいか、もうちょっと長くてもよかったかなと思いました。淡々と書かれている感じがして、もっと深くてもいいのかなと。亡くなったお母さんへの思いとお母さんの死後にやってきたおばさんを受け入れられない少女の心情は、伝わってきます。お母さんが思いを込めて作っていた庭が変化していく様子、荒れていく様子は、少女の心理状態を象徴的に表しているのかなと思いました。妹メイはまだ5歳なんですが、そんなに早くお母さんのことを忘れちゃうんでしょうか? お母さんの思いがまったく消えちゃうかな、と疑問でした。アメリカの古い時代におこなわれていた弔いのしきたりがわかったのも、よかった。なぜ木箱はベッドの下に入れないといけないのかな?

うさこ:母の死後、おばさんがやってきていっしょに生活し、送り人の仕事を手伝ううちに、だんだんと心をほどいていくイーヴィーの姿が、よく描かれていました。母の死をしっかり受け入れて再生していく姿は、こちらも自然な気持ちで読めました。身近な人の死の描き方って難しいですね。母親と一緒にしていた庭の手入れを黙々とし、日常生活を大事に過ごしていくことが、死のいたみから徐々に解放されていくことにつながるというところも、うまく描かれていました。弔い師の仕事をしているとき聖書の一節をイーヴィーが読むシーンも印象的です。現代のお葬式や法要などのお坊さんのお経は、その意味が具体的にわかるわけではないけど、終わったあと言ってくださることばなども含め、残された者にはとても安らかに響くもの。最後の文書149から150ページ、ママは命は土から生まれると言った、おばさんは命は土にかえると言ったという一節は、説得力のあることばですね。

すあま:私がおもしろいなと思ったのは、ローラ・インガルス・ワイルダーの大草原シリーズのような生活が描かれていたところです。主人公の女の子の気持ちがよく伝わってくるし、だんだんとそれが変わっていくところがていねいに書いてあるのもいい。お母さんの死から立ち直る話としてよりも、おばさんの仕事に興味を持って、自分もやりがいのある仕事を見つけていく成長物語として読みました。周りの人にも薦めたんですけれど、不満があるとすれば題名と作りですね。見た目は大人向けの小説ですが、中学生くらいに読んでほしい。題名も表紙のイラストも、主人公の女の子がメインになっていた方が、読んでほしい人に読んでもらえたかなと思います。この本を読んだころに「おくりびと」の映画を見たのですが、この本の帯の宣伝文句も「アメリカにもおくりびとがいた」といった感じにすれば話題になって売れたかも?

ひいらぎ:出版社は、YAから大人向きにしたほうが売れると思って、こういうつくりにしたんじゃないのかな。でも、「とむらう女」よりは「おくる女」くらいのほうが、映画との関連も出たのかもしれません。主人公の女の子は、最初はおばさんを全面的に拒否しているんですが、だんだんに近づいていく。その様子はリアルで、うまく描かれていますね。私は『のっぽのサラ』(パトリシア・マクラクラン著 金原瑞人訳 徳間書店)を思い出しました。あっちの方が、心の交流はもう少し複雑で細かく描かれているように思いますけど。私は小学生のとき祖母が亡くなったんですが、その時、死んだ人って怖かったんですね。だから、おばさんの仕事の重要性を認識してイーヴィーが後を継ごうと思うのは、頭ではわかるけど、自分だったら怖くて無理だな、と個人的には思ってしまいました。日本とアメリカの死生観の違いもあるのかもしれませんが。

ハマグリ:私も『のっぽのサラ』を思い出しました。この本は、主人公がお母さんの死を乗り越える話ではあるけれど、私は11歳の女の子が一つの職業に目覚める話、という観点からも読めるんじゃないかと思うんですね。カレン・クシュマンの『アリスの見習い物語』や『金鉱町のルーシー』(どちらも柳井薫訳 あすなろ書房)みたいなおもしろさもあると思いました。お母さんが亡くなったというのは少し前のことなので、『ひとりたりない』より衝撃度が少ないですね。家族や親しい人を亡くしたあと、その喪失感を埋めていくのには長い時間がかかりますが、それをとてもていねいに描いているところに好感をもちました。無口なお父さんは、子どもには悲しむ様子を見せないけれど、夜ひとりでお母さんのブランコに乗っている姿を見て、イーヴィーにはお父さんもやはり苦しんでいることがわかるわけですね。イーヴィーはお母さんの菜園を毎日無心に手入れすることで、母の存在を忘れまいとする。たぶんそういうふうにするしかないと思うんですね。毎日毎日、目の前のことをやっていきながら、一人一人が時間をかけていかないといけない、そういったことがうまく書けているなと思います。イーヴィーは、初めて身近に見た死をまだ受け入れられないでいるのに、おばさんの仕事はおとむらい師。最初はそのことに嫌悪感を持つわけですが、その気持ちがよくわかるように書いてある。
後半になると子どもを亡くしたり、親を亡くした家族がこれでもか、これでもかって出てくるでしょう。それが、ああ自分だけじゃないんだ、そういうものなんだってこの子が受け入れていく段階として説得力があるなと思いました。亡くなった人に対して、敬意をもって、きちんと接していると、家族もそれに対してこたえてくれる。それを主人公の体験として書いているところがうまいと思います。私もこれは大人のものにしないで、11歳の少女が死とは何かを受けとめていく、そしてまた、一つの仕事に目覚めていく物語として、子どもたちに読んでもらいたい。ほかにはないタイプの本だと思うので、大人向きにしたのは残念でした。

たんぽぽ:私も『のっぽのサラ』に似ていると思いました。死を扱っていても、『ひとりたりない』と違い、最後までおもしろく読めました。中学生くらいの子がこれを読みどう感じるのか知りたいです。表紙は、大人向きなので、もっと違う感じがよかったと思います。

メリーさん:私は、ちょうどこの本が出たときに読みました。お母さんとの思い出を他人に踏みにじられたくないという、主人公の気持ち。おばさんに早くなつく妹とくらべて、少々行き過ぎではないかとも感じられる、この感情が、随所に表れていました。おばさんがお母さんの席を「のっとった」とか、「お母さんの」ロッキングチェアなのに…とか、庭を手入れしたのはお母さんなんだ、というところです。それは悲しみというよりは、いらだちのようなものかもしれません。以前ここで取り上げた『天井に星の輝く』(ヨハンナ・ティデル著 佐伯愛子訳 白水社)を思い出しました。結局主人公の気持ちは、時間が解決するしかないのだと思います。長い時間をかけてその気持ちとつきあっていく、その気持ちといっしょに生きていくしかないんだなと。ただ、それをそのまま物語にすると、読むほうは退屈だと思うので、物語ではどうやって伝えたらいいのかなということを考えました。この物語は、そういう意味ではよくも悪くも、短くコンパクトにまとめているなと思います。最後の「命は土から生まれ、土に帰っていく」という言葉はとてもいいなと思いました。

げた:私もみなさんとおんなじようなこと感じましたね。この本で一番印象に残ったのは、19世紀アメリカ開拓民の貧しいんだけど豊かな日常や、厳しい自然と戦いながら人生を神とともにまっとうしていく、そんな姿ですね。虚飾に満ちた世界で生きている私なんかには、自然に立ち返れと言われているような感じもして、憧れちゃうな。すべて手づくりの暮らしで、死も手づくりで迎えようとしている。おとむらい師はお金をとらないし、コマーシャリズムが一切関与していない。そういうのがいいなって思いました。母を失った子どもの不安な気持ちや、無邪気な妹を見ながらどう対処していいかわからない戸惑いの気持ちとかも、よく描かれていますよね。

ダンテス:文学は人間を描くものであるっていうことで言えば、いい作品だなと思いました。19世紀の終わりまで歴史的な事実としてそういう女性がいたことを作者が知って、それが作品を書く動機になっているのでしょう。だから子ども向け限定ではなく大人向けに書いたのではないかという印象です。しかもただ単に歴史的な事実を伝えようとしただけではなく、おねえちゃんの気持ちを中心に、ていねいに書かれています。おばさんも死と多く向き合ってきただけに、人間としての土台、骨格がしっかりしていて、母親を亡くした少女の気持ちに出来るだけ寄り添おうとしています。もちろんすれ違いもあるから作品になっているわけですが。下の子は母親を亡くしたあとおばさんにすぐに慣れていっちゃうけど、これもおねえちゃんから見た視点できちんと書けている。もし難点を言うとすると、後半多少急いでいますかね。次々と死者の埋葬の話になるのは、映画の「おくりびと」の後半を連想しました。最後にこの子がおばあさん不在の時に、自分なりに3歳の子の埋葬を手伝う話で、この子の未来像が暗示されています。やはり全体としては大人向けの本として私は読みました。日本ですと、字の大きさ、漢字の多さ少なさ、ルビありかなしかなどで対象年齢が決まってきますが、英語の本の場合も、やはりこれは子どもの本、大人の本ってあるんですか。語彙の選択と字の大きさでしょうかね。日本語の方が、読者対象が決まる要素が多いですね。

ひいらぎ:アメリカは、読者対象をはっきり示す場合が多いですね。アマゾンも、アメリカのサイトは対象年齢をはっきり書いています。でも、イギリスのアマゾンは、書いてないんですね。

ダンテス:今の葬式はビジネスになっていて、そういうのも必要なのかもしれませんが、やたらにお金がかかることなどを思うと、このお話の時代は素敵だなと思いました。印象に残る作品です。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年5月の記録)


愛の旅だち〜フランバーズ屋敷の人びと1

『愛の旅だち〜フランバーズ屋敷の人びと1』 (フランバーズ屋敷の人びと1)

K.M.ペイトン/著 掛川恭子/訳 *改訳で再版
岩波少年文庫
2009

タビラコ:40年近く前に読んだのですが、今でも生き生きとおぼえています。主人公がそれぞれ個性的で、特にラッセルさんが怖い夢に出てきそうなくらい強烈でした。今回、読みなおしてみても、いかにも英国文学らしい、くっきりした個性を持った登場人物たちが印象的でした。クリスチナ自身の内面の成長と、周囲の社会の変容がからみあって、ぐいぐいと読者をひっぱっていく。力強い作品だと思います。イギリスの読者が読むと、1つの「時代」を感じさせて、より感動的なのではと思いますが、日本の子どもたちも「ある家族の歴史」として、おもしろく読めるのでは?

げた:物語は1908年から始まっています。20世紀なんだけど中世の領主が支配しているようなフランバーズ家に関わる人々の人間模様が描かれているんですね。時代の境目に生きている、古い人たちと新しい人の葛藤がクリスチナの成長物語と合わせて展開していきます。ウィリアムの飛行機や自動車とラッセルの馬が象徴的なものとしてとりあげられているんだと思います。クリスチナは両親を亡くしておばさんのところを渡り歩いて、とんでもないおじさんのところに行かされちゃったんですが、それでも健気に生き抜いていくんですね。今回とりあげたのが第1巻で、新訳では5巻まで、これからどういう生き方をしていくか楽しみだなと思いますし、最後まで読んでいきたいと思わせる。屋敷で働いているディックがクリスチナに馬術を教えるんですけど、ディックは主人であるラッセルにあまりにもひどい扱いを受ける。こんなことが20世紀にもあったんですね。イギリスっていうのは、個人の力では乗り越えられない階級社会の伝統があるところなんだなと改めて感じました。

レン:私は今回はじめて読みました。昔ながらのオーソドックスな児童文学だなと。人物描写や情景描写がていねいなので、読んでいるうちにこの世界に入っているような気持ちになりました。香りや手触りまで伝わってくるような感じ。今の日本の児童文学には、こういう書き方の作品はほとんどないのではないかしら。ラッセルさんの言動や、ディックがマークをぼこぼこにするのをまわりの人々がただ見守っているような極端な場面も、今の作品だとあまり出てきそうにない部分。フィクションのおもしろさを味わわせてくれる作品だと思いますが、今の子どもたちが手にとるかどうか。

ハマグリ:この本を読んだのは、最初に出版された1973年でした。今回は読み返す時間がなかったんですけど、当時の読書メモを見ると、まず主人公が強く生きる姿勢に共感をおぼえる、ウィリアムへの気持ち、マークへの気持ち、ディックへの気持ちが細かく描かれている、馬と飛行機という対照的なものを描いているけれどどちらもスピード感が実にみごとに描かれている、映画的な手法が用いられている、と書いてありました。当時はこういう作品はとても新しい感じがしたのを覚えています。70年代は、YAという言葉が日本で使われはじめた頃なんですね。そのころ読んでいた児童文学は、動物や小さい子どもたちが主人公の話や、ファンタジーが中心でしたから、思春期から大人になっていく年代を等身大に描いた物語はあまりなかったんです。そういう意味で新鮮だったし、印象に残っているんだと思います。YA文学というのはこういうものだということを知った作品といってもいいですね。最初は3部作として出て、しばらくして4冊目が出ました。ペイトンの作品は『バラの構図』(掛川恭子訳 岩波書店)も『卒業の夏』(久保田輝男訳 学研/福武文庫)もおもしろく読み、印象に残っています。この作品も、文庫になったから今の子どもたちにも手にとってもらえるといいですね。今のYAというのは主人公のある状況を切り取ったようなのが多いので、こういう長編を読む楽しみも味わってほしいなと思います。主人公とともに一歩一歩人生を歩んでいくという長編の醍醐味を味わってもらえる作品ですよね。

プルメリア:主人公のクリスチナを囲む人間関係がとてもおもしろいなと思いました。馬に人生の喜びをかけている叔父ラッセル、相反するマークとウィリアムの兄弟関係、ディックとの関係が物語の中で動いていくのがわかりました。クリスチナと叔父ラッセル、マークの馬に対する愛情のかけかたの違い、馬と自動車、飛行機に夢をかける先駆者たちの姿、古いものから新しい時代へと歴史が動き出し急激に生活スタイルが変わって行くイギリス社会が描かれていて、私も映画の場面を思い描きながら読みました。これからディックがどんなふうに物語にかかわってくるかも次の作品を読む楽しみの1つです。今から約30年ほど前に出版されていますが、今読んでもいい作品だなと思いました。名作はいつまでたっても心に残る感動させる作品なんだなと、あらためて思いました。階級社会の構図が変わっていく時代の境目が描かれていて躍動感がありますね。

シア:はじめて読んで、1しかまだ読んでません。後の巻で、ディックと何かあるのかなんて空想してしまいます。20世紀初頭のイギリスっていうことで、身分社会とか上層の生活とかそういうものが見えるような雰囲気がいいし、情景描写がとっても生き生きとしていたと思います。古風な家族と新しい若者との対比もあるし。ただ、最近のものを読みすぎてしまっているせいか、古典的な少女マンガみたいな(いがらしゆみこさんとか)展開に少し辟易しました。ウィリアムの大事な本をよりにもよってラッセル叔父に渡してしまうような短慮な部分や、やたら惚れやすいところ、そういう主人公に呆れて。でも半分以降くらいからぐっとおもしろくなり、続きを読みたくなりました。読み終わったときいい作品だなと思ったんですけど、これを今の中学生にどうやって読ませていけばいいかというのが問題で。小学校気分が抜けない中学生くらいのほうが、逆に読むのかな。手当たり次第に読む子がまだ多いですからね。薦めるときは、半分くらいまでがまんして読めって言えばいいかしら。高校生はジャケ買い(ジャケ借り)とかになるんですよね。

レン:ちなみに女子校では、今日の3冊ではどれが好まれそうですか?

シア:表紙だと『バターサンドの夜』ですかね。パステルカラーでおしゃれ小物みたいなのが好きですね。

ひいらぎ:小学生はどうですか?

プルメリア:図書室で子どもたちを見ていると、まず本を開いてみて、字が小さいと書架に戻します。「この本は無理って感じ」ですね。『大海の光』は絵がわかりやすいので高学年の女子は手に取ると思います。『バターサンドの夜』は、手にとらないでしょうね。表紙の絵で手に取る作品とらない作品に大きく別れます。

げた:これはラジオの書評番組の中で一般向けとして薦められていたんです。大人が読んでもおもしろいですよって。

ひいらぎ:私はイギリス社会のいろいろな面がわかる本だなと思いましたね。馬とか犬を上流階級の人がどんなに大事にしているかとか、階級が違うと暮らしがぜんぜん違うとか、ダーモットさんみたいにそれからはずれている人もいるとか。最初はクリスチナがどうなるかなと思って読んだんですけど。これだけ情景描写や心理描写をていねいに描きこんだ本は、今は少ないですよね。でも、今や大学生でもよほど本好きでないかぎり、全巻続けて読んでいくのは難しいんじゃないでしょうか。「ゲド戦記」(アーシュラ・K・ル=グィン著 清水眞砂子訳 岩波書店)だってなかなか読み通せないですよ。

ハマグリ:「ゲド戦記」よりこっちのほうが読みやすいんじゃないかな。

げた:クリスチナがどんなふうに成長していくかと思って読んでいけますからね。

ひいらぎ:それにしても、ヴァイオレットの書き方はひどいですね。兄妹でもディックは馬っていう自分の専門分野を持っているけど、教育もない貧しい女性は小間使いしかなれないから、世界が広がっていかないんでしょうか。狭いところに閉じこもったきりですよね。それと、普通の上流階級の子だと、施しをすればいいという考えですけど、クリスチナは施しをするのにも良心の呵責を感じるところがあって、そういうところはペイトンがよく見てるんだなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年4月の記録)


大海の光〜ステフィとネッリの物語4

『大海の光〜ステフィとネッリの物語4』 (ステフィとネッリの物語4)

アニカ・トール/著 菱木晃子/訳
新宿書房
2009.08

ハマグリ:今回の課題本は4巻目だったんですけど、どうしても4巻だけを読むっていう気にならなくて、1巻から読んだら、読むほどにこれはやっぱり4巻だけを読んだんじゃだめでしょうという気になりました。徐々にいろいろなことが変わっていくんですよ。やっぱり1巻から読むことによって4巻につながっていく。だからぜひ1巻から読んでほしいなと思います。まず戦争中のスウェーデンの状況をスウェーデンの人の側から書いたものは読んだことがなかったので、知らなかったことが多く、とても勉強になりました。スウェーデン人、オーストリア人、ユダヤ人それぞれの立場がよくわかりました。
4巻では、章ごとにステフィとネッリを交互に描いているんですけど、1巻から3巻はステフィ中心で描かれています。大人も子どもも、いろいろな登場人物が出てくるんですけど、それぞれの立場があり、人物の造形がくっきりとよくわかるように書かれているところがとてもおもしろかったですね。人間の中には、揺らいでしまう人と揺らがない人がいるっていうのが、よくわかりました。弱さと強さって言ってしまってもいいのかもしれないけど、子どもでも置かれた状況によって自分が思っていたことと違うことをしなきゃいけない場合もあって、そのあたりの生身の人間の描写がとてもリアルだと思いました。ネッリはまだ幼くて養女になったので、疑似家族の中に自然に溶け込み、かわいがってもらうすべを知っていたんですね。でもステフィはそうでないところがあって、なじめないものはなじめない。養い親のおばさんですけど、最初はほんとに合わなかったんですね。でも厳しさとか冷たさと感じていたものが、日々の暮らしを一緒にすることによって次第にこの人は絶対信頼が置ける、と思えるようになるというところに感動しました。養父のエヴェルトが朴訥ながらも大きな愛情で包んでくれることや、若い担任の先生が力になってくれるところや、マイという親友が揺るがない気持ちでステフィと接してくれるっていうところに安心感があって、ステフィが自分では気づかないけれど、そういう人たちの信頼に支えられて強くなっていくところがとてもよかったと思います。島の様子とか、船で本土へ行ったりきたりする情景や、イェーテボリの町の描写がリアルで、行ったことのない場所が身近に感じられたというのもよかったです。

レン:私は前の3巻を読まず、この巻から読んでしまったのですが、引き込まれました。先日トールさんが来日なさったときの講演で、このシリーズを書いたきっかけや背景をうかがったので、すっと入れました。18歳のお姉さんと小学校を卒業する妹が、終戦という分岐点でそれぞれの人生の選択をせまられる。友人や、恋人、養父母など、まわりの登場人物が多面的にていねいに描かれていて、人生の複雑さがみごとに表現されていました。この作品を書くにあたって公文書館などで多くの資料を読んだとおっしゃっていましたが、記録で接した多くの人々の生き様が、さまざまな形で作品に盛り込まれているんでしょうね。今の日本では、学校図書館でも、子どもたちが自分から手にとる本に流れがちで、このようなまじめな大きなテーマの作品はますます出版がむずかしくなってきていると思うので、この4部作が刊行されたのはとても貴重ですね。

タビラコ:私もこの4巻目だけ読んだのですが、ぜひ1から3も読みたいと思いました。内容もさることながら、登場人物がどの人も奥行きがあって、生き生きと描かれていますね。主人公の姉妹にしても、いかにもお姉ちゃんらしい、しっかり者で頭の良いステフィと、あまり頭は良くないけれど、生きていく知恵にはたけていて、かわいらしいネッリの対比など、みごとだと思いました。ナチスによって悲惨な目にあわされた子どもたちのなかで、どうにか生き延びて大人になった人たちの証言を綴った本を以前に読んだのですが、誘拐されて、むりやりドイツ人にされ、養子縁組をさせられた子など、強制収容所だけでなく様々な迫害を受けた子どもたちがいたことを知りました。日本ではよくわからないけれど、ヨーロッパ全土にナチスはいまだに黒い影を落としているんですね。ステフィの友だちが精神病院に入ってしまうところなど、本当にこういう子どもたちがいたに違いないと思い、胸をつかれました。すばらしい作品ですね。子どもたちにぜひ手渡してほしい本です。

げた:いつも利用している図書館の新刊棚にあったので手にとってみました。スウェーデンにもユダヤ人の子どもたちが疎開していたというのを初めて知りました。本の中に書かれているのは世の中に翻弄されている少女2人なんですけど、時代が違ってもステフィとスヴェンとのやりとりなど、時代を超えて今の子どもたちに共感できる部分があるんだろうなと思いました。作者はいろいろよく調べて物語を作ったんだろうな。書かれていることがリアルに浮かんでくるんですよね。スウェーデンの高校ってすごくレベルの高いことをやってるんですね。大学みたいですね。ユディスがあまりにも悲惨なので、もうちょっとなんとかならないのかと思いましたけど、史実として、こんなことがあったんでしょうね。お父さんとの再会のくだりは、ちょっとあっけなく終わっちゃったかな。

プルメリア:スウェーデンにユダヤ人が送られたことを私も初めて知りました。地図や登場人物紹介があって、内容もよくわかり読みやすかったです。ステフィがスヴェンに出会うことから恋が始まり、ステフィの青春から大人に成長していく姿がわかりました。友だちと父親を探しに行く自転車での旅で出会う人々のあたたかさ、いつもステフィを見守る育て親メルタ・エヴェルトとアルマの愛情も、ちゃんと伝わってきます。文章全体に、ユダヤ人としての誇り(こそこそしない)や主張がにじみ出ているように思いました。この作品を読んだあとに、1巻目の『海の島』を読んだところ、ステフィがスウェーデンに行き学校生活でいじめをうけ葛藤しながら一生懸命島で生きていく様子、妹が養ってもらっている家で陶器の犬をポケットに入れてしまい、その陶器が見つかってしまうあたりのステフィの心情描写などが、痛々しいくらいによく描けていました。1巻には登場人物の説明も地図もありませんが、1巻から読むと4巻の読みも深まっていいと思います。読んでいて古い感じがしなくて、ぜひ紹介したい作品です。

シア:全国学校図書館協議会のイチオシだったんですけど、いまいち手がのびなかった作品です。今回初めて読みました。第2次世界大戦のユダヤ人というイメージが強くて、『アンネの日記』のような重いイメージがあったんですけど、普通の生活を送れているっていうところで、幸運な人たちだなと思いました。ユディスの考え方に、ユダヤ人の誇り高さを感じました。ユダヤ人と結婚してユダヤ人の子どもを産むべきだっていうあたりですね。途中のユディスの事件でぐっときました。アウシュビッツに送られてしまった人のことではなく、こういうところだけでも子どもたちに読んでほしいと思います。そして、移民として最後アメリカにたどりつくっていうのが、うまいラストだなと。養い親、血のつながりのない親にネッリは抵抗なくなじんでいくようなところがあって、ユダヤ人としての誇りや芯というのは、環境が育てていくものなんですね。関係ないですが、スウェーデンの移民について思い出したことがあります。数年前に私がスウェーデンに行ったとき、イラクの人たちを受け入れていたんですね。そのせいで治安の問題も出てきていたし、下層のスウェーデン人たちより保護を受けているイラクの人たちがいい生活をしているなど、軋轢があると聞きました。移民を受け入れるのも、移民になるのも大変ですね。

ひいらぎ:私はまだ3分の2くらいしか読めてないんですけど、最初すごく苦労しました。ステフィがまず男か女かわからなかったんですね、どんな人なのかなと思っていると、次にマイが出てきて、すぐにイリヤが出てきて、どれも男か女かわからない。1巻から読めば、すでに頭の中に登場人物が頭に入っているからもっとすらすら読めるんでしょうね。ロイス・ローリーの『ふたりの星』(掛川恭子・津尾美智子訳 講談社)も、デンマークからスウェーデンにユダヤ人を逃がすという話でしたね。でも、ニューベリー賞を取った作品なのにこっちは絶版ですよね。ユダヤ人狩りとか強制収容所の悲劇だけでなく、こういう作品も歴史のリアリティを感じるには大事だと思うんですけどね。

タビラコ:教科書には今でも、戦争がテーマの作品が載ってるの?

プルメリア:文学教材は、小学校3年生に『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ著 あかね書房)、4年生には『一つの花』(今西祐行著 ポプラ社)が載ってます。ただ、子どもたちには今と比較して説明しておかないと、作品からはその時代の様子が理解できないし、子どもにはわからないです。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年4月の記録)


バターサンドの夜

『バターサンドの夜』
河合二湖/著
講談社
2009

シア:「フランバーズ屋敷の人びと」を先に読んでいたので、こっちはあっという間に読めてしまいましたけど、子どもは感情移入できるんじゃないでしょうか。身近なことを扱っているので。日本のサブカルチャーを、こういう形の児童文学で扱っているのが新しいのかな。アニメ系の絵のライトノベルだと、こういう話を扱っているのはあるんだけど。でも登場人物は中1ですよね。キャラがものすごく大人っぽい。考え方も行動も、まわりの子もそうなので、最近の子と比べるとギャップを感じましたね。中3から高1にかけてだったら納得する内容です。でも、主人公は中学受験をして私学に入るんだけど、私学の女子校を受験させるようなお母さんだったら、これほど子どもに関心がないはずはない。この作家の子どもの頃の話なのかな。

タビラコ:この作品は一人称で書いてあるから、「主人公の目から見ると、お母さんが子どもに関心がないように見える/感じる」ということじゃないかしら?

シア:泊まってきたり、遅くに外出したり、公立校の子だとそんな自由もあるのかなと思いますけどね。うちは私立の学校だから、こんなの親が許すかな、と気になって。

プルメリア:私は今年の3月まで6年生を担任していたので、主人公の心理はわかりやすかったです。大人っぽい会話をする子がいたり、「ボク」って言う女子がいたり、アニメの続きをアレンジして物語を作るアニメ好きがいたり、友だちと関わることを好まない子どもがいたりしましたからね。また、別のカラーとしてコスプレはしないけど、流行のショートパンツや網タイツをはく子がいたり、すごい髪型の子もいますから。主人公のように、こういう人物になりたいっていう心理もよくわかります。最初の1行が「モデルやらない?」。子どもにとってモデルは興味あるので、この言葉からも子どもは本に入ってこられるかも。少女明音とおじいさんと智美さんの生き方の違いや、マネキンが出てくるシーンの表現がおもしろかったです。太っている子が着られない服を着たいと思う欲望もおもしろく書かれていました。読み聞かせのお母さんが出てくる場面は、身近に感じて読みました。

げた:この頃の女の子って、変わりたくないって気持ちがあるんですね。大人の女になりたくないって。13、14ぐらいの女の子の気持ちって、さすがに私にはわからないんですけどね。お母さんは図書館でお話ボランティアをやっていて、とってもいいお母さんのはずなんだけど、彼女にとってはあまり好ましくないおばさんっていう大人なんですね。偶然出会った智美との出会いがとっかかりになって、新しい世界が開けていく13歳の女の子の物語ですね。ただ、「ブランバーズ屋敷の人びと」や『大海の光』みたいな、大きな時代の流れや運命との葛藤みたいな背景が感じられないので、物語全体の底が浅いというのは否めないんですよね。軽さがいい面でもあるけれど、軽いだけで終わっているんじゃないかなという感じもしますね。「バターサンドの夜」ってタイトルなんですけど、あんまりピンとこないですね。バターサンドに対する作者の思いが読者にうまく伝わっていないんじゃないかな。

タビラコ:読み終えてから、この作品は風俗小説だなと思いました。少なくとも、私にとっては。実際に、今はこういう子どもがいるのかもしれないけれど、それ以上のものではない。結局、風俗以上の何を書きたかったのか、よくわからないんです。「バターサンド」で象徴されている(のかもしれない)家族関係の修復を書きたかったのか、それとも変身願望を書きたかったのか。どちらにせよ、もう少し掘り下げて書いてもらいたかった。変身願望にしても、十月革命をテーマにしたマンガの主人公と同じ服を着たいというのだけれど、どうしてそのマンガの主人公に魅かれたのかわからない。結局、かっこうだけ真似たいということですよね。私の読み方が浅いのかなあ? それでも、この本の主人公が、かわいいなあとか、なんかこの子好きだなあと思えれば、もっとおもしろく読めたんでしょうけど、なんだかこの子だけじゃなくて、洋裁店の女の人も、おじいちゃんも、神経にさわって、あまり好きになれませんでした。でも、子どもたちは夢中になって読むのかしら?

シア:今の子は、お弁当のところとか、すごく共感すると思いますね。その陰惨さを知っているので、読んでいると暗ーい気持ちになりますね。

タビラコ:なんかね、ユーモアっていうか、体温というか、あったかさが感じられないんですよね。このあいだ取り上げた『園芸少年』(魚住直子著 講談社)にはそれがあって、扱いようによっては暗くなるテーマがそうはならずに、おもしろく読ませていたんだけれど。

シア:この頃の子どもって、鬱とかリストカットとかに向かっちゃいそうな怖さもあるので、中学生にはあんまり読ませたくない。ピンポイントでヒットしてしまいそうで怖いです。生徒に薦める気にはならないですね。

ハマグリ:私はもともと読むのが遅いので、ステフィとネッリの物語を1巻から読んでいる途中に、これも読まなくては間に合わない、と思って読んだんですね。そのせいか、ステフィとネッリの物語は、時代も舞台も遠いけれど、本当にこんな人たちがいたんだなって身近に感じられたのに、こっちはよく知っている身近なものばかりが出てくるにもかかわらず、そこに息をしている人としての体温があまり感じられませんでした。人物造形の薄さなのでしょうか、伝わってくるものがないんですね。智美さんっていう人は、キーになる人物なのに、どういう人かなかなかイメージできなかったです。この人をもっと魅力的に描かない限り、説得力がないと思います。それから、158ページのおじいちゃんとの会話のところで、「わたしたちはお互いにとって、大事な大事な・・・お客さんだ」という文がありますが、これ、どういう意味かよくわかりませんでした。作者にとっては結構思い入れの深い一文なんでしょうけど、ストンと落ちる言葉ではありませんでしたね。確かに今のサブカルチャーをあれこれ書いていることには目を奪われるけど、「新しい!」と感じるインパクトはなかったし、肝心の人物の描き方が物足りないと思いました。才能のある人だと思うので、今後に期待したいです。

ひいらぎ:こういう子がいるかっていうと、いるだろうと思うんですけど。智美さんの厚みも魅力もないんですね。この本は、智美さんが書けてないから、ほかも紙でつくったキャラが舞台を行ったり来たり動いてるって感じになっちゃうんじゃないかな。もうちょっと智美さんをきっちり書いてもらったら、おもしろい話になったかもしれない。今のままだと、物語のはじめから終わりまで、この子が何かを体験したって感じがないんですよね。

ハマグリ:智美さんに出会ったことで、主人公が何か変わったというのが出てれば、もっとおもしろかったのにね。

タビラコ:本当は、それが書きたかったんじゃないの? 児童文学っていうのは大人が子どもに書くものだと思うのね。でも、この作品は、子どものまま書いている感じがするんですよね。

シア:当時を思い出して書いてるんだって思うんですけどね。大人っていっても智美さんは子どもみたいな人だし。

ハマグリ:題材としてはおもしろいものを集めてきてるし、設定も興味深いのよ。それがうまく使ってあればいいんだけど。

ひいらぎ:意欲は感じられるかな。

シア:でも、こういうのって、ケータイ小説にもいくらでもありますよね。

げた:ケータイ小説って、中学校や高校では今でもよく読まれてますか?

シア:うちの学校では、ちょっと落ち目ですね。

タビラコ:最後に「バターサンド」が出てくるんですけど、これはなにを表しているのでしょう? お父さんとまた仲良くしたいってことでしょうか?

げた:それもわからないですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年4月の記録)


マルベリーボーイズ

ドナ・ジョー・ナポリ『マルベリーボーイズ』
『マルベリーボーイズ』
ドナ・ジョー・ナポリ/著 相山夏奏/訳
偕成社
2009.11

シア:とてもおもしろく読めました。読書感想文が書きやすそうな本ですね。正統派。最初のうちは『黒い兄弟』(リザ・テツナー著/あすなろ書房)なんかと似たような感じだと思って読んでたんですけど、登場人物一人一人が濃いですね。読んでいて辛いところもありました。事実に即して、というところに興味をもちました。創作でありながらも、歴史の重要なところはおさえているので、すごく迫力のある情景になったのかなと。男の子にも女の子にもいい本ですね。文章力もあるので、あきずに一気に読めました。

セシ:読み始めると、どんどん読まずにはいられず一気に読みました。おもしろかった。革靴というのが、母親の思いや家族の教えを象徴していたり、隣家におすそわけするだとか、きちんとオレンジをつむだとか、人前で服を脱がないだとか、そういうさまざまな習慣も故郷とのつながりを表していて、とてもうまいなと思いました。脇役の使い方もうまく、それぞれの人物とドムがどんなふうに関係を結んでいったかが、心に残りました。最初は1セント渡してお使いを頼むところから、具体的な行為で順々にあらわされていくんですね。匂いも伝わってきそうな町の描き方にもひきつけられました。ただ、時々ちょっとわかりにくく感じるところがありました。船でニューヨークに着くところも、どんなふうにして船を降りたのか、混乱してしまいました。まあ筋がおもしろいので、そっちにつられて先を読んでしまうんですけど。

アカシア:私もとてもおもしろかった。お話の作り方がうまいです。次から次にむずかしい問題が起こっても主人公が誠実に向き合っていくところが、嫌らしくなくさわやかに描かれているのがいいなと。子どもの読者も、主人公に自分を重ね合わせてドキドキできますよね。別の観点からおもしろいなと思ったのは、ユダヤ人がもつ生活信条や価値観です。ドムが小さいときにアウレリオおじさんは「頭をつかって一生懸命働けば、できないことなどない。どんな逆境がまちうけていようと、おれたちはユダヤ人、ナポリ生まれのユダヤ人だ。けっしてくじけることはない」って教えるんですね。それでドムも、最初25セントで買ったサンドイッチを4つに切って、金持ちのいそうな場所に行ってその1つずつを25セントで売って儲ける。次はそのお金を元手にしてもっと儲けるというやりかたで、暮らしを立てていく。そのあたりも、おもしろかったですね。
最初読んだときは、母親はなぜドムを1人でアメリカに行かせたのかなと思ったんですけど、子どもを捨てるというよりも、2人でいても共倒れになるのでせめて息子だけは希望の地に送り出そうとしたんでしょうね。ドムが母親に買ってもらった靴が、1つのシンボルになっていますね。ドムは何度か危機を救ってくれた靴を大事に大事にしていたのですが、最後の場面ではもうきつくなったその靴を小さな子にあげてしまう。そこにドムの成長が象徴的にあらわれていると思いました。

ダンテス:非常に楽しく読みました。マルベリーストリートは、リトルイタリーやチャイナタウンのあたりにあって、住んでいた頃よく行きました。お話としては靴がポイントなんだなと思いました。当時一般的な子どもは裸足で歩いていて、靴をはいているのはいいうちの子なんですね。まわりからある意味良い誤解をしてもらって筋が展開していきます。ユダヤ人の教えが随所に出てきて、ある種プライドの高さ、矜持といったものがあったからこそ生き抜くことが出来たんですね。商売の原則「安く仕入れて高く売る」を地で行って儲けて成長していくというのが、わかりやすくていいです。友だちのティン・パン・アレイでしたっけ、救い出したのに結局パドローネにつかまって殴られて殺されてしまうという展開には驚きました。国を脱出したい人のため、という名目で儲けている悪いやつが今も世界中にいるような気がします。

バリケン:おもしろかったです。『ロジーナの明日』(カレン・クシュマン/著 徳間書店)と同じように、アメリカの子が読んだら、昔この場所でこういうことがあったんだなと、いっそう胸に迫るものがあるのでは……と思いましたが、日本の読者にもじゅうぶんわかるようにていねいに描かれているので、ぜひ薦めたい。死体が捨てられている下水道に修道女に頼まれて物をとりにいく場面のように、腐りかけの果物みたいに爛熟しきったナポリと、一見腐りきっているようでも新しい息吹が感じられるニューヨークの街とを対比しているところも、おもしろかった。最後に登場人物の1人が死んでしまうところはショッキングでしたが、実際にこういうこともあったんでしょうね。たとえば232ページですが、実際の場面(ガエターノとぼくが話している)のなかに、ちょっと前の出来事(ティン・パン・アレイのところに行って、オレンジをいっしょに食べたこと)が挿入されていますよね。そういう箇所は、あれ?と思って前に戻って読み返したりしましたが、こっちの読み方が悪いのかも……。

メリーさん:とてもおもしろく読みました。大きな事件は起こらないのだけれど、骨太な物語だなと思いました。日本だったら、1つのパンを4つに切って商売しようだなんて考えないだろうけれど、そこはアメリカらしいなあと。そしてユダヤというアイデンティティーも出てくる。主人公が、サンドイッチからサラミを取り出すところなどは、根本のところでは譲れない気持ちが伝わってきました。それでも最初は帰りたくてしょうがないのに、主人公はだんだん新しい土地になじんでいきます。そんな中で、靴だけは1セントかけて預けておく。これも、この靴だけは譲れないという、彼の存在証明みたいなものだと思いました。主人公やガエターノ、ティン・パン・アレイも、とにかくみんな生きよう、生きようとしていて、たくましい。だれに教わったわけではないのに、雑草のような前向きのパワーがすごいなと思いました。
とてもいい本なのだけれど、やはり今の子どもには分量があるかなと感じました。そのせいかどうか、束を出さないために紙がすごく薄いのが少し気になりました。

バリケン:日本の今の子どもたちには、こんな風に生き延びるための知恵を働かせる場面はないでしょうけれど、戦後すぐ、戦災孤児がいた時代には、こういう子どもも大勢いたんでしょうね。

プルメリア:すごく勇気づけられる本だなと思いました。まわりの人に支えられながら成長するサクセスストーリー。9歳の少年が生き伸びるのはたいへんです。移民の人々の暮らしだとか、パドローネだとか、アメリカの身分制度や人種の社会性なども出ていて、その時代の様子がよくわかりました。物の値段が、その人の言った値段になるのがアメリカ的だなと思いました。文章にのところどころにことわざが入っていて、それもおもしろかったです。性格がまったく違う3人の少年が寄り添いながら生きて友だちをふやしていく過程には、若い世代が社会を築いていくたくましさを感じました。ドムは、自分の居場所を見つけ、お母さんの気持ちを冷静に考えられるようになっていくんですが、そこからは、新しい世界・アメリカ社会で生きていく知恵を持ち力強く成長した姿が伝わってきます。

アカシア:交渉して値段を決めるのは、アメリカでなくても100年前ならどこでもそうだったんじゃないかしら。今だって、大阪のおばちゃんはデパートに行っても値切るらしいし。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年3月の記録)


オックスフォード物語〜マリアの夏の日

ジリアン・エイブリー『オックスフォード物語:マリアの夏の日』
『オックスフォード物語〜マリアの夏の日』
ジリアン・エイブリー/著 神宮輝夫/訳 杉田比呂美/挿絵
偕成社
2009-06

シア:『マルベリーボーイズ』のほうを先に読んでしまったので、派手な展開もなく、少し眠くなってしまいました。主人公には知的好奇心もあるし、当時の子がやらないことをやったような子なんでしょうけれど、時代をはるか隔てて読むとなると、大きな謎とか山がないと。ちょっと『秘密の花園』っぽくて、盛り上がりを期待してしまったんですが。外国の児童文学ってよく子どもの行動がだいぶ制限されていますよね。この作品はミステリー仕立てだし、コプルストン先生という大人を出してくることで、それを破っているのかなと思いました。女性に専門的な教育をほどこすことをあまりよしとしない時代に、大学の教授になりたいという主人公をもってきたことには、女性作家の意気込みを感じました。表紙がかわいいですけれど、ペーパーバック版原書の表紙もかわいいですね。

セシ:私は、これは苦手でした。寮を抜けだしてオックスフォードに行ってしまったり、少年の謎を追って屋敷に行ってしまったりするマリアの大胆さは、シアさんもおっしゃっていたように、この本が出た当時の子どもたちにはとても魅力があったと思うのですが、今読むと、しょっちゅう出てくる歴史的知識や難しい言葉にさえぎられて、なかなかストーリーにのっていけない気がします。マリアやスミス兄弟、家庭教師のコプルストン先生の型破りな様子は、当時のオックスフォードの様子がわからないと浮かび上がってこないし、物語のおもしろさもわかりにくいのでは? 最後の「あんなやりかたは二度とできません。そして、コプルストン先生にいろいろみつけていただくくらいなら、なにもわからないままでいます、わたし」というマリアのセリフも、ピンときませんでした。

プリメリア:出版されてすぐに読んで、すごくおもしろいと思ったんですけど、2度目に読むとそれほどでもなかったですね。最初は、マリアののびのびとした行動と利発さ、性格がそれぞれ個性的に描かれた3兄弟、コプルストン先生の型にはまらない性格などがおもしろいと思ったんです。大学に牛があらわれるようなオックスフォードのとてものどかで牧歌的な感じや風景描写もていねいで、時代背景がよくわかりました。謎の少年の絵と家にあった銅版画をキーワードとしてストーリーを組み立て、マリアが謎を解いていく展開はおもしろかったですが、子どもはどういうふうに読むのかなと思うと、なかなか難しいですね。とりまく人々はやさしくて、両親のいないマリアに寂しさを感じさせない。マリアが明るく楽しく生きていく姿は、読む子どもたちの共感を得るかもしれません。

アカシア:この時代のオックスフォードはどうだったのか、とか、先生たちはどんな暮らしをしていたのか、などに興味がある人ならおもしろいですが、今の子どもがお話として読むには難しいんじゃないかな。時代を先んじていたマリアを出してくるのは、当時のイギリスの子どもにとってはおもしろいとも思うんですが。訳者がわざとそうしていらっしゃるんでしょうが、翻訳がちょっと昔の文体ですね。それに、いちばん下の弟がお兄さんに対して、「きみたち」なんて言うんですね。名前が似ているだけに、この子はいったいだれだったかなと、とまどってしまいました。彼とか彼女という指示代名詞もたくさん出てきますが、今の子どもたちにはどうなんでしょうか?

ダンテス:訳がおかしいなと思うところが何カ所かあったんです。日本語として読みにくいです。兄弟の間のやりとりも不自然だし、敢えてそういうふうに訳したんだなと思えばいいんでしょうか。生硬な文体って感じがします。

セシ:わからない言葉、ありますよね。たとえば、182ページのパーラーメイドとか。

ダンテス:この本は、きっと調べ物の過程がおもしろいんでしょうね。この子は、相当な発見をしたんでしょう。マリアの知的好奇心の高さへの賛歌なんですね。そして最後に、講演をやっておくれという話も出てきますから、立派な学問的探求の成果として評価されるべきということなんでしょう。訳語ですが、英語の本文に出てきた単語をそのままに訳してるんでしょうか。

セシ:確かに、たとえば32ページですが、「ウォーデンは」、「大おじさんは」、「ハドン大おじさんは」と出てきて、全部同じ人なのに、迷ってしまいますよね。

ダンテス:ウォーデンは、学寮長じゃだめなんでしょうかね。

バリケン:フィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』では、学寮長になっていますね。私は、この本の原書を持っているのですが、「ウォーデンの姪」というタイトルがなんとも地味で読む気がしなかったので、今回読むことができてうれしかったです。とても厚い本ですし、読者を選ぶと思いますが、お話についていける子どもなら、主人公が研究成果を発表する喜びというのを、じゅうぶんに感じとって感動するのではないかと思いました。というのも、私自身子ども時代に『サーカスの少女』(アボット/著)というアメリカの本を読んで、その中に出てくる作家の女の人の生き方に憧れをいだいて、「ああ、こういう未来もあるんだなあ!」と子ども心に思った経験があるので。マリアのような女の子たちの願いや思いが積もり積もって、やがてオックスフォードに女子だけのカレッジができたりしていったのでしょうね。イギリスの読者が読めば、そういう感慨もあるのかと……。日本版のタイトルにも、そんな思いが感じられました。

メリーさん:原書の出版が1957年で、けっこう古いなと思いました。読んでいて、以前とりあげた『時の旅人』(アリソン・アトリー著 評論社・岩波少年文庫)を思い出しました。あの時も、外国の歴史がからんでいるような本は、今あまり読まれないという意見があったのですが、100人のうち1人くらいは、こういうものも好きなのではないかな。自分が歴史の一部分に触れていると感じる、知的好奇心をもつ子もいるでしょう。分量も多いし、物語が動き出すのは後半なのですが、その後半までくれば、あとは400年の時代を越えた謎解きにひきこまれます。題材がすごくいいし、イギリスの雰囲気が出ていて好きな本ですが、今、子どもに向けて出すということに関しては、読む子を選ぶなと思いました。

バリケン:児童書の歴史の本にはよく出てくる本なので、これまで邦訳が出なかったのは、日本の読者には難しいと思われたのかも。

アカシア:編集者はだいぶ躊躇したでしょうね。主人公が11歳でしょ。その年齢だと、こんなに小さい活字の本はむずかしいし、かといって、高校生はつまらないと思うでしょうし。

シア:中学生や高校生で世界史をやっていれば、わかるんでしょうけれど、9ページですでに注が出てきちゃうんですね。それが衝撃でした。子どもに手渡したら、フォローしていかないといけない本ですね。

プルメリア::青い鳥文庫で出ている『ご隠居さまは名探偵!』などタイムスリップ探偵団のシリーズは、聖徳太子や卑弥呼なども出てきて、歴史が苦手な子どもでも作品を読んで歴史に近づきますね。

シア:今の子はゲームが好きなので、戦国時代のことはゲームをやることでかなり詳しくなっていますね。「週刊少年ジャンプ」に載っている『銀魂』(空知英秋作)とか、『恋する新撰組』(越水利江子著 角川つばさ文庫)とか、斉藤洋さんの『白狐魔記』(偕成社)とかはよく読んでます。部分的に入って横に広がっていくんでしょうか。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年3月の記録)


ひげがあろうがなかろうが

今江祥智『ひげがあろうがなかろうが』
『ひげがあろうがなかろうが』
今江祥智/著 田島征三/挿絵
解放出版社
2008.01

プルメリア::とても厚い作品だし、ちょっとわかりにくい言葉で書かれていたので、解読しながら読んでいくみたいで疲れました。主人公が男の子か女の子かわからなかったのですが、ひげが生えてきたとあったので、後で男の子だとわかりました。主人公と父親は山の中で暮らしていて、訪れる人もわずかです。登場人物がやたらと変身し、忍者なのかな、空想なのかな、とも思ったりしました。お父さんが、いきなり小さくなったり、元にもどったりするのも、ついていけないところの1つでした。また、お父さんが、子どもにお酒を勧める場面が出てくるのが不思議でした。地震が起きたことで、山の様子や海の様子が変わりストーリーも変わるスケールの大きな展開ですが、タイトルと内容の意味が今ひとつわからなくて、絵の感じはよかったけれど、登場人物像は最後までつかめませんでした。

アカシア:この本の後ろには、絶版になった『ひげのあるおやじたち』もそのまま入っていますし、どこが問題になったかの説明もありますね。その後に書かれた『ひげがあろうがなかろうが』は、前の作品あってのタイトルなんでしょうね。毎日新聞では斎藤美奈子さんがこの作品を絶賛していました。作品に登場するのは、サンカと呼ばれていた人たちでしょうか。サンカは、マイペディアでは「少数集団で山間を漂泊して暮らした」とか「川魚をとったり、箕や箒・籠つくりなどを生業とし、人里に出て売ったり米などと交換した」とあります。肉体的に異能の持ち主だという説もあるし、原日本人だという説もある。竹細工に秀でた人たち、遊芸に秀でた人たち、占いのできる人たちもいたようですし、忍者の源流だという説もあるようです。犯罪者集団として排斥された歴史もあるらしい。そのあたりを少し知ってから読むと、この作品はとてもおもしろい。
その部分を除いてもおもしろいと思うのは、たけの育て方です。どんどん危険なこともやらされて育っていく。生きていくのが楽ではないと親も知っていて、過保護とはほど遠い育て方でたくましく生きぬく力をつけさせようとしているんでしょうね。でも突き放すというわけではなくて、p54には「お父はいろんなことをたけの前で自分がやってみせるだけで、/(こうやるんだ)/と、教えてくれている。たけは見よう見まねでやってみる。お父は見て見ぬふりの顔でいて、たけがそれなりにできるようになると、「ん」とうなずいてくれる。目が小さく笑っているのを、たけは見のがさなかった」と書かれています。本当に命が危ないような時は、大人があらわれて助けてもくれる。逆になんでもできる大人は、たけにとって尊敬の対象です。それだけの存在感を大人たちが持っているのがいいなあ、と思いました。ただ長いですよね、これ。地の文が語りの口調になっているところと、そうでないところがあって、それが意図的なのかどうかはわからないんだけど、読者を混乱させるように思いました。あと本づくりに関してですが、厚い紙を使っての無線綴なんで、壊れやすいんじゃないでしょうか。

ダンテス:本の厚さに圧倒されて、結局ぱぱっと読みとばしてしまいました。なんか、お母ちゃんが消えちゃったり、鳥になったり、ついていけない感じでした。一方、手取り足取りはしないけれど、父親から息子へ生きるすべを伝授している話と読めばおもしろいと思いました。

バリケン:なんか、よくわからなかったというご意見を聞いて、正直いってとてもショックでした。子どもが読んだらわからないのでは……とは思いましたが、ストーリーの運びや、場面の描き方に力があるので、わからないままにどんどん読んでいくのでは? 大人になって、ああ、そうだったのかと思ってもいいと思うのね。大人の読者の私としては、「どうしても書かなくては、いま書いておかなくては」という作者の思いがひしひしと伝わってきて、言葉では言い表せないほど感動しました。前作の『ひげのあるおやじたち』では書けなかった、歴史の表面にあらわれてこない人々の豊かな暮らしを書こうとしたのだと思います。『ひげのあるおやじたち』のどこが問題になって絶版になったのかは、実は今ひとつわからないのですが。『ひげのあるおやじたち』も確かにおもしろく巧みに書けていると思いますが、作者の伝えたいという思いは、こっちの作品のほうが格段に強く、深いと思います。大学で教えている人から、部落差別のことを知らない学生がいると聞いて、これもまたショックを受けたのですが(まあ、その学生自身の問題もあると思うんですけどね)、数年前に『被差別の食卓』(上原善広/著 新潮新書)という本を読んで、とても感激したんですね。自分自身が被差別部落に育った作者が、世界中の被差別の人々が食べていた、食べているものをルポしてまわった本なのです。最近では、サルまわしの村崎太郎さんの本(『ボロを着た王子様』『橋はかかる』ポプラ社)もありますよね。いつまでも『夜明け前』(島崎藤村/著)や『橋のない川』(住井すゑ/著)だけでなく、これからだんだん変わっていくと思います。それにしても、今江さんとか上野瞭さんとか、この時代の児童文学作家はすごいなと思いました。上野瞭さんの『ちょんまげ手まり歌』(理論社)などは、今でも手に入るのでしょうか。この間の読書会でも言ったように、身の回り3メートルの作品ではなく、こういう作品を書く人がもっと出てほしいなと思いますね。

アカシア:私はでもね、こういう本は、大人が読んでどうかっていうのと、子どもが読んでどうかっていうのを、両方考えないといけないと思うんですね。子どもが読むと、この書き方ではわからなくて辛いな、って。それに、中上健二が描く人物像はもっと立体的に浮かび上がってくるんですけど、今江さんが書くと、みんなヒーローみたいになってしまう。差別される側や抑圧されている側のことは、当人じゃないと書くのがむずかしい部分もあるんじゃないのかな。

バリケン:『谷間の底から』を書いた柴田道子さんは、狭山事件をはじめとして、被差別の問題をずっと考えてきた児童文学作家なのですが、自分自身がそうではないという立場から書く難しさや辛さが、いつもつきまとっていたのではないかしら。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年3月の記録)


ジェミーと走る夏

エイドリアン フォゲリン『ジェミーと走る夏』
『ジェミーと走る夏』
エイドリアン・フォゲリン/著 千葉茂樹/訳
ポプラ社
2009.07

ハマグリ:出た時から書評で見て、読みたいと思っていました。大人が持っている偏見を、高いフェンスという目に見える形で描いている。大人は、今まで生きてきた経験から、どうしてもすぐには受け入れられないけれど、子どもはそういうことを抜きにして、自分と気の合う相手を、肌の色とは関係なくすっと見分けて受け入れられる。大人と違う子どもの自由な感性が、この本のテーマだと思います。主人公のキャスが素直な子どもで、ジェミーとすぐに仲良くなるところや、ジェミーが万引きをしたのではないかとつい疑ってしまう正直な気持ちにも、好感がもてますね。同じ1冊の本を二人で読むところは、とてもおもしろかった。それが『ジェーン・エア』という今の子どもには古くさい本なのにもかかわらず、主人公になりきって、喜怒哀楽を表すところがとても興味深いですね。また、二人のおばあさんの存在が印象的でした。ミス・リズは、亡くなっているので実際には顔を出しませんが、キャスの思い出のなかでは、たとえば人形のティーパーティーなど印象的な場面が多く、おもしろい人物でした。ジェミーのおばあさんは、今までに一番人種差別に傷ついてきただろうに、その過去を乗り越えてきた強さを持っています。子どもたちの一番の理解者になってくれて、隣に住むキャスの父や、自分の娘の偏見に満ちたかたくなな心を、うまい具合にときほぐす役割で、とてもいい味を出している。主人公はそんな二人のおばあちゃんがすごく好き。その気持ちがよく伝わってきました。

トントンミー:私、本を手にしたときどこを最初に見るかというと、まず目次なんですよ。目次に並んでいる章タイトルをじーっと見つめて、どんなことが書いてあるのかを、読む前に想像してみる。で、実際に読みすすめて、想像どおりの本なのか、想像を裏切るのか、わかれていくんだけど、想像を裏切ってくれる本がやっぱりおもしろい。目次は、ワクワク感をつのらせる演出だと思うから、書籍には欠かせないと思ってるんです。ああ、それなのに! この本ね、せっかく章タイトルがついているのに、目次のページ、ないんですよ。ちぇっ。けちだなあと思って、第一印象あんまりよくなかったです。そのせいかな。最初にフェンスが出てきて、白人と黒人が登場する、というシーン。あまりにも、あからさまな象徴をつかうので、「差別もの」の教訓の匂いがして、入りにくかった。物語の仕掛けも展開も、フェンス挟んで進むわけねっ、はいはいって感じで、冷めちゃうんです。
ただ、後半の「ジェーン・エア」が登場するあたりから、意外な展開してくんですよね。ふたりの間にあったフェンスが、こんどは1冊の本になる。フェンスじゃなくて、本を介して、ふたりが成長していく。へー、そうくるか、と思いました。
 タイトルに「走る」とあるので、「競技」ランナーの話かと思ったら、そういうわけじゃないんですね。まあ、最後はマラソンのレースの話になりますけど、二人の成長を促すのは、スポーツじゃなくて、文学ですね。全体的に「ジェーン・エア」の描写の方が多い。「走る夏」というより、「駆け抜ける夏」のほうが、ニュアンスが近いかな。
 興味深いのは、物語の背景です。黒人のジェミーが母子家庭、白人のキャスは両親そろっているけど、中流以下の家庭。黒人の母子家庭のほうが、教育も受けていて、やや裕福。キャスの家庭は白人だけど、「貧困」という差別をうけている。二人が、自分たちの不遇な環境について言い合いをするシーンがありますけど、現代のアメリカ社会の、格差の複雑さが透けて見えてくる(p115)。この本は著者のデビュー作ということですが、ちょっと気になったのは、饒舌な文体のわりに、説明不足の箇所が多いということ。主人公が12歳の女の子という設定で、全体が「おしゃべり」っぽく進むのは読みやすいんだけど、場面と場面のつなぎがだらだらしていて、わかりにくい。たまには俯瞰の描写もあると、つなぎがきれいになると思うんだけど、その辺は好みの問題かも。

タンポポ:壁の向こうとこっちで、キャスのお父さんに見つかるんじゃないかと、どきどきしているところ、こっちもどきどきしてしまいました。主人公も脇役もしっかり描かれていますね。出てすぐに私が勤めている学校にも置きました。6年生に、登場人物の中で誰が好きかと聞くと、キャスのお姉さんという声が多かったんです。いろいろ面倒を引き起こしてしまうけれど、最後には自分が悪いことをしたと認めるというところがいいらしんですね。「ジェーン・エア」を読むところも、あまりむずかしいとは感じなかったようです。

メリーさん:タイトルになっている「走る」というところ、キャスとジェミーが最初に会って、お互いの限度を探るように走る場面はとてもいいなと思いました。それが、「ジェーン・エア」の読み合いをするようになって、だんだん文学少女のようになっていく。その変化もおもしろいと思います。中でも、物語の登場人物に自分たちを重ね、本の中の難しい言葉をふたりにしかわからない合言葉のように使うところ。海辺で、ジェーンがもしいっしょに来ていたら、きっとこうするだろう、とキャスが想像するところなど。二人の周辺を見てみると、キャスの父親は、白人で労働者階級。一方、ジェミーの母は、アフリカンアメリカンで、高い教育を受けている。お互いに人種や階級について心の中で偏見があるのですが、その子どもたちはそんなこと関係なしに付き合っています。子どもは相手に対してもとても残酷になると同時に、相手を認めるきっかけさえあれば、互いの違いなんて簡単に乗り越える、その両面をよく描いていると思いました。

バリケン:作者のデビュー作とのことですが、とてもよく書けた本だと思いました。一面的でないキャラクター設定、「ジェーン・エア」とからませて、主人公の少女二人の心情を語っていく手法、二人が走る場面で大団円に持っていく構成……新人の作品とは思えないほどです。個人的には、「ジェーン・エア」は、私が生まれて初めて読んだ文庫本でもあり、懐かしかったけれど、いまの日本の子どもには縁遠い本なのかしら? 「嵐が丘」などは新訳がでているけれど、「ジェーン・エア」は出てないのでしょうか? この本を主人公にくれたおばあさんは亡くなっているので出てこないけれど、こういう本をくれたということ、そのほかいろいろなエピソードで、物語の背景にくっきりと姿が浮かびあがってくる……その辺も、この作品をより奥深いものにしていると思います。大人たちが歩みよろうとしないなか、少女たちが仲良くなっていくわけですが、あらためてそのすんなりとした、やわらかい近づき方がいいなあと思いました。大人になってからこういう作品を読んでも感動するけれど、子ども時代に読んだときの感動とは、まったく違うと思うんですね。ですから、「差別」とか「偏見」とか、自分の身のまわりのことだけでなく社会に目を開かせるような作品をぜひ子ども時代に読ませてあげたいと切に思いました。
 訳もとてもいいと思いましたが、一点だけ、キャスのお父さんが「わたしの目の黒いうちは……」といっているんですが、白人だったら目は黒くないだろ!と思ってしまったんだけど、そう思う私のほうがおかしいのかしら?

くもっち:現代のアメリカの黒人差別についての状況がわからなかったので、いつの時代の話かな?と思いながら読みました。現在でも、隣人が黒人だと知ってフェンスを立てるなんてことをあからさまにやっているんだろうか、と思ったからです。こんなにあからさまな差別があるのかなと。(あるよ〜という声あり)もし、少し前の話なら、それがわかるように書いてくれるといいなと思いました。
挿入されている話としての「ジェーン・エア」は、昔の話なので、読者には場面がわかりづらいだろうなと思いました。ただ、物語中のむずかしい言葉を友だちどうしの符丁にするというのはおもしろいと思うし、とてもいいシーンだと思いました。こういうシーンのおかげで、人種差別がテーマの話でも、それだけに終始するのではない、深みが出るんですよね。名作の借り方がうまいですね。
 今回「部活」というテーマでの選書ですが、「走る」シーンがあまりないということは、読んでいるときは、それほど気にならなかったです。これはそれが中心というわけではないということですね。

ハマグリ:物語の舞台がいつかってことですけど、パソコンを使うところが出てくるので、それほど昔ではないですよね。

くもっち:それでも2000年と2010年ではけっこう差があるでしょう。

ハマグリ:年代を推理する手がかりとしては、「1939年にミス・リズが世界旅行をした〜」とあるけど、はっきり特定はできないですね。

アカシア:この作品に出てくるのは、純粋には部活じゃないんですけど、「チーム」を作って、その中で全然違うタイプの人と出会うという意味でほかの2冊と共通しています。でも、この本の本来のテーマは原題が"Crossing Jordan"とあるように、人種差別をどう乗り超えるかっていうことなので、走るシーンが中心になってないのはしょうがない。
 この作品が著者にとっての最初の作品だそうですが、人種差別を抽象的に述べるのではなく、一人一人の状況がきちんと描写されているので、読者に伝わる力がありますね。偏見に満ちたキャスの父については、寮の管理人の仕事を得ようとしても優遇政策のためか黒人に取られてしまうなど、日常的に黒人を敵視せざるを得ない立場にあることが描かれています。ジェミーの母のレオナも、学校で白人たちにいじめられた体験を持っています。黒人と白人がお互いにわだかまりをもっている背景が、具体的にきちんと書かれているんですね。そしてその一方にいるのが、"Crossing Jordan"をいつも歌っているグレースばあちゃん。この人は、さまざまな差別を体験しながらも、「あたしぐらいの年になったらね、できるのは許すことぐらいなのさ。肌の色が黒い人間も白いのも赤いのも、黄色いのもスカイブルー・ピンクのも、みんな神の子だからね」なんて言って子どもたちの応援をしてるんですね。
 確かに目次がないですね。そういえば、あとがきもない。経費を節約したんでしょうか。読んでいてちょっとわかりにくいな、と思うところがいくつかありました。たとえばp.14 に 「年に何度か、コルテスさんは動物管理局の収容所に犬をとりもどしにいく。とりもどすには大金をはらわなくちゃいけないので、コルテスさんはかんかんにおこるけど、犬たちは車のドアがあくとすぐにまた逃げだしてしまう」とありますけど、「車のドアがあくとすぐに」は、アメリカでは当然車で犬を引き取りに行くってことがわかってないと、とまどいます。それからp19にはフェンスが「ヒョウタンを植えるときの支え」になるってありますけど、だとすれば、つるをからませることができるようなものなんでしょうか? どんなフェンスなのかよくわからない。そこまでは板塀のようなものだと思っていたので。このフェンスは象徴としてとても大事な要素だと思うので、はっきりわかるように伝えてほしいな、と思いました。それからp71ーp72にはハティーという黒い肌の人形が出てくるんですけど、ジェミーが「ハティーはいまでも召使なんだね」というのがなぜなのか、日本の子どもにはわからない。ハティーの衣装が典型的な黒人メイドの衣装だってこと、日本の子どもは知らないものね。それと、全編を通じてシャーロット・ブロンテがシャーロッ「テ」になっているのは、なぜ?

ハマグリ:大人には偏見があるのに子どもはやすやすと乗り越える、というテーマの本、と単純に言ってしまうのではなく、もっと細部のおもしろさや、人間の描き方を味わってほしい作品だと思います。

トントンミー:帯のコピーがねえ、「偏見をのりこえて」ですからね。いかにもねえ、って感じで。

アカシア:最初は黒人に反感を持っていたキャスのお父さんが、やがてそれが偏見だったことを知り隣の家に招かれて行くんですけど、まだ戸惑っていて振る舞いがとてもぎこちないなんていくところ、とてもリアルによく描かれていますよね。

タンポポ:最後はフェンスを取り外すんでしょうか?

複数の人:取り払うことを示唆して、物語が終わっているのでは。

プルメリア:白人社会と黒人社会が別々だというアメリカの現実社会がよくわかりました。黒人の堂々とした生き方が力強く描かれていると思いました。小説「ジェーン・エア」の主人公に二人の少女が感情を寄り添わせながら、和気あいあいと読んでいくところがいいですね。また、本の中から出てきたむずしい言葉を日常生活にいかして使っていくところもいい。走ることに対する楽しさも書かれているし、二人で一緒にゴールしたことを伝える新聞記事はあたたかい。両家の間にあるフェンスは、大人(特にキャスの父)の心の壁を象徴しているのではないかと思いました。

アカシア:ジャクリーン・ウッドソンの『あなたはそっとやってくる』(さくまゆみこ訳 あすなろ書房)も、アフリカ系の少年とユダヤ系の少女が周囲の偏見を乗り越えようとする物語でしたね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年2月の記録)


園芸少年

魚住直子『園芸少年』
『園芸少年』
魚住直子/著
講談社
2009

くもっち:とてもおもしろく読みました。特に秀逸だったのは、ダンボールをかぶった庄司くんが、動揺して去るシーンで、いつもするりと通っていく道で頭をぶつけてダンボールが傾いてしまう。とてもよく書けていて思わず笑ってしまいました。高校一年生なのに女子が出てきても主人公たちとあまりからまないところなど、まったくリアリティがないように思えますが、それがまたとてもおもしろい。「こうあってほしい」的な、高校男子のピュアな感じというのでしょうか。庄司くんから、大和田くん、それからまた主人公と変化が連動していくあたりも、説得力があると思いました。

バリケン:私もとてもおもしろかった。ひきこもりの子どもをそのまま描写すると、話が暗くて、読むのもつらくなりますが、ダンボールをかぶせたことでユーモラスになっていて、楽な気持ちで読み進めます。とてもうまいと思いました。どこかにモデルになった少年でもいるのかしら? それに、いつ、どういうきっかけでダンボールをぬぐかという興味もわいてきます。高校の男子と園芸なんて、いちばんかけ離れている感じのものを結びつけたところが、この物語の成功のカギだと思いました。出てくる大人たちも、付かず離れずの位置にいて、過剰に善人でもなく、かといって少年たちの敵でもない点が、とてもいいと思いました。

メリーさん:冒頭から、いつ庄司がダンボールを取るのかとずっと思いながら読んでいきました。とにかく大和田の気持ちのいい性格にひっぱられて進んでいったという感じです。外見と反して、不良から花を守ろうとするところや、細かいことはあまり気にせずに、率直に相手のことを口にするところなどは、胸がすっとしました。庄司に「お前はのろまだけど、頭がいい」とまじめにいえるのは、やはり大和田ならではで、思わず笑ってしまいました。『武士道シックスティーン』と同様、キャラクターで読ませる小説だなと思いました。ただ後半、文化祭のところ、主人公がけんかする場面などはもっと描きこんでほしいなと思いました。女の子が入部してくるところも、もう少し彼らの生活に変化が出そうな気がします(まあ、こんな男子たちだから変わらないのかもしれませんが)。そして、最後の庄司がダンボールを取るきっかけ。かぶっていたものをはずす理由が、火というのは、もう少し他になかったのかな……と。個人的には大和田たちの言葉の力ではずすのかなと思っていたので。とはいえ、とてもさわやかでおもしろかったです。

タンポポ:読みやすくて、あっという間に読みました。ダンボールをかぶっている子がとても切ないですね。女の子の話が出てきませんが、逆にそれだから小学生にも手渡せます。読んだ6年生の中では、大和田が好きという声が多かったです。読み終わったあと、もう少しストーリーがあってもいいかなと思いました。同じ作者の「Two Trains とぅーとれいんず」(学習研究社)はとても心に残っています。

プルメリア:魚住さんの作品は好きで、読むといつも何か残るのですが、これはさらっと読めて、こういう作品もあるのだなと思いました。花の名前が出くくる場面では花を想像して読みました。バスケをやっていた主人公の篠崎君、不良っぽい大和田君、ダンボール箱をかぶった庄司君、性格が違う3人の関わり方がおもしろかったです。ダンボール箱をかぶることで登校できるなら幸せかも、と思いました。小学校には、相談室通いの子どもたちがたくさんいます。こだわりがあってマスクを二重にかけている子どももいます。マスクを二重にすることによって、他の人と違うキャラクターになって落ち着き、ほっとするようです。庄司君も、ダンボールをかぶることで自分にとって落ち着く世界をつくっているんでしょうね。大和田君は外見に似合わずやさしい子どもなんですね。2週間休んで、退学するのかなとひやひやしましたが、眉を太くして登校して来る。魚住さんは書き方が上手だなと思いました。

トントンミー:この本は、手にとった感じが好きです。薄さといい、こじんまりした感じといい、装丁からして「園芸少年」っぽい。本は内容だけじゃないです。見た目も大事。魚住さんの本を読んだのは初めてです。読者が頭の中で映像化しやすいように書いてくれていますね。必要なシーンに、必要なだけの会話。無駄がないんですけど、セリフとセリフの行間が豊かで、たまんないですね。キャラクターの書き分けがしっかりしていて、うまい。主役ではない庄司くんが、ちょっと目立ちすぎですけどね。
大人たちが脇にひかえているのがいいですね。それぞれの家庭事情が全面に出てこないところも。最近の小説って、問題が家庭環境にあるっていう展開、多すぎるから。主人公は父子家庭で育っただけあって、処世術にたけていて、面倒なことに巻き込まれないようにいつも立ち回って、空気読んでる少年なんです。自分の感情は隠す。それが、植物という、しち面倒くさいものを相手しているうちに、だんだん変わっていく。最後、感情を爆発させて、植物を守ろうとする場面では思わず泣いてしまいました。大和田くんの行動もわかるな。進学校に受かって、昔つきあっていた不良たちとは縁が切れたように見えたけど、気持ちが弱くて優しくて、ふんぎりがつかない。自分がもといた場所から、つぎの場所へ向かうとき、ジャンプするのって大変なんですよ。ちょっと助走がいるっていうか、構えが必要っていうか。人間の弱さ、微妙さ、危うさ。思春期の三大特徴が凝縮されていて、ぐっときました。
 女の子の存在がないことは、そんなに不自然には感じなかったですね。何かに熱中するとき、異性のことを放っておいて打ち込むことはありえるから。ペチュニアに水をやるところ(p.132)はメッセージ性がありました。時期がくれば自然に花は咲く。大人が手を貸さず、その時期がくれば子どもも自然に草のように育っていく。いい作品だと思いました。

ハマグリ:私はまず『園芸少年』という題にとてもひかれました。高1の男の子とは最も遠いところにあるような園芸を題名で結びつけているから。最初に植物に興味をもつきっかけが、何気なくコップの水を鉢に捨てたら次の日に葉っぱが上を向いている、そのわかりやすさに感動してしまう、というのがおもしろいなと思いました。出てくるのは3人3様の個性がある少年たちですけど、その関係がまたおもしろくて、ふふっと笑えるところがたくさんありました。いちばんおかしかったのは、最後のほうで園芸しりとりをするところ。はじめはバラとチューリップぐらいしか知らなかったくせに、「おれたちは園芸しりとりをすることにした」ってあたりまえのように言うところが何ともおかしかった。それから、最初はこの主人公が今どきの冷めてる男の子なのかなと思ったら、意外と素直に友だちのいいところを見つけていくので、それも気持ちがよかった。欲をいえば、それぞれもうちょっと掘り下げてくれたらというところがあって、大和田がどうして中学の友だちと離れようとしたのか、庄司がどうして箱を脱げないのかなとかね。でも、そういったさらっとしたところがむしろこの本の持ち味なのかなとも思います。深くしていくと、重苦しくなるのかも。さらっとした感じなのは、女性が書いた男の子だからかな、とも思いました。

メリーさん:そうですね。すごく上手だと思います。幼いけれどもピュアな部分っていうのを もうちょっとドロドロした部分ってあるけど、男のいい部分をすくいあげているのか。男だとここまでコミカルにならないんですよね。

ハマグリ:誤植が2つありました。 p116 メコノシプス→メコノプシス、p142 すごくてショック→すごくショック。

レン:これくらいの子どもがまわりにたくさんいるので、重ね合わせながら読みました。主人公の男の子は今風ですね。表立って自分を出さずに、波風を立てずにまわりと合わせていくタイプ。草食系男子って感じです。でも、個性の強い大和田や、わけありげな庄司とつきあううちに、あっさりとすませられなくなるんですね。女子からすると、「男子ってバカだよね」という部分が出ていて、おもしろく読めました。庄司ダンボールをとるところは、ちょっとあっさりしすぎているかなと感じましたが。あと、登場人物の語りの書き分けがうまいですね。

アカシア:みなさんが全部言ってくださったので、それ以上あまり言うことがありません。文章はすごくうまいなと思いました。翻訳もこんなふうにできるといいんですけど。22pのバスケ部の子の台詞だけ気になったんですけど。「どこに一年がいるんだよ。今年はサッカーとテニスが体験入部帰還の前から動いて、運動部に入ってもいいという貴重な男子を全員とっていったんだ。どこを探しても、もういないよ」。ここだけ説明調なんですよね。それから、私は庄司くんがあっさり段ボールをぬいだとは思いませんでした。もうやめちまえって言われて、相談室に戻って考えるところが伏線としてあるんだろうし、だんだん脱ごうかと思いだしているうちに、ここできっかけをつかんだんだなと思いました。段ボールだったら逆にとても目立つので、実際にこんなことする子はいるのかと疑問だったんですけど、そんなことは気にならないくらいお話の中のリアリティがしっかりあって、ユーモアもあちこちにちりばめられていて、しっかり入り込めました。
 あと、主人公の達也は、すごい調子いい子だったんですけど、変わっていきますよね。それを象徴的にあらわすのに、最初のほうには達也が倒した自転車を大和田が手伝って起こすシーン、最後のほうには達也のせいでかつてはいじめられていたツンパカが倒した自転車を達也が手伝って起こし「そんなキャラだったっけ」と言われるシーンを置いています。同じ場所の同じようなシーンを、立場を逆転させて使うところなんかも、うまいなって思いました。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年2月の記録)


武士道シックスティーン

誉田哲也『武士道シックスティーン』
『武士道シックスティーン』
誉田哲也/著
文藝春秋
2007

メリーさん:すごく好きなシリーズで、シックスティーンからエイティーンまで全部読んでます。とにかくキャラクターが魅力的。1回目に読んだときは、西荻のあのちょっとふわふわしているけれど芯が強いところにひかれたけれど、2回目に読んで、やっぱり磯山の不器用だけれど健気なところがいいなあと思ってしまいました。とにかく勝つことにこだわる磯山。お昼を食べるときには片手には五輪の書、もう片方には鉄アレイ……。一方の西荻は「お気楽不動心」の持ち主で、まったく無防備。そして自分のことが大好きな人間……。この鮮やかな対比が笑いを誘うし、感情移入をしやすくしている理由だと思います。皆どこかにそんな一部分を持っていると思うので。ただ、そんなふたりも、実は西荻が父との関係から勝ち負けにこだわるのを嫌だと思っていたのだとか、磯山も、剣道をする理由を見つけられずにもがいたりする。そういう描写が物語を深くしているなと思いました。著者の警察小説も好きですが、「疾風ガール」の系譜に連なる青春小説がこれからも楽しみです。

プルメリア:剣道の技や用具、衣装が詳しく書かれているのでよくわかり、剣道の試合では、糸を張ったようなすきのない緊張感を感じながら読みました。電車の中でこの作品を読んでいた時、磯山の行動や考え方がとてもおかしくて声を出して笑ってしまいました。男の子っぽいんだけど複雑な磯山、女の子の微妙に動く心情がわかりやすく伝わります。磯山と西荻、二人の少女が交互に登場しますが、よく考えないとどっちがどっちかわからないところがあって、読むのがむずかしかったです。最後に名前が変わった早苗に試合であう場面、とってもおもしろかったです。是非続きを読んでみたいです。

トントンミー:これもね、やっぱり装丁がいい。赤ですからね、本屋に並んだら目立ちます。イラストもかわいいです。いかにも手書きっぽいテイストで、防具とか竹刀の説明をはさんであります。目次もね、凝ってくださって、いやあ、つかみはOKですね。奇数は磯山。偶数は西荻。章タイトルの文体も書体もちゃんと書き分けてあって、二人の個性をすでに示唆してあるでしょ? ワクワクして、一気に読んじゃいました。二人の人物が同じ出来事を二つの視点で交互に語るっていう手法。川島誠さんの『800』(角川文庫)を思い出しました。最初から映像化を意識してるんだなって思うほど、キャラクターの個性が成立してましたね。西荻のお姉さんが、『ジェミーと走る夏』の主人公のお姉さんに似てました。世俗的なことを引き受ける役割ですね。あまりにもありえないキャラクターたちが主役ですから、読者との間をつなぐ役割が必要なんですよね。続編を読みたいという気持ちになりました。主役の二人がどう変化していくのか、気になります。

アカシア:エンターテイメントだと思うけれど、文章のテンポがよくて、中高生が考えるきっかけも含んでいます。おもしろかった。章タイトルが、太字で書いてあるのと、細字で書いてあるのと、交互に出てきますけど、細字で書いてあるのは語り手が西荻で、太い字の章は香織。最初は気付かなかったのですが、読んでるうちに「ああ」と気づきました。しおりが赤と白の2本ついているのも、剣道の試合のたすきを象徴してるんですね。いろいろ工夫された本づくり。「好きなことなら続ければいい。何か好きだと思えるモノを持っていることは、幸せなこと」というメッセージはあたりまえだけど、ほんとに読ませる力がある。だから、長くても飽きないで読めるんですね。

くもっち:とっても大好きな本の1冊で、このシリーズは『武士道エイティーン』まで全部読みました。この極端さがいいですね。磯山の。磯山香織ちゃんは、すごく強いし迷いが全然ないのだけれど、ある試合で負けてしまう。その相手が、日舞出身という設定。なんか、剣道やったことのない私のようなヒトでも、「あ〜、あるかもね〜」と思ってしまうなぜだかの説得力がおもしろいですね。自分にないものを相手が持っていることに気づき、盗もうとする。でも、そういうもんじゃない、ということも含めて、だんだんにお互いがわかってくる。香織ちゃんのゆるぎない精神がぐらぐらしちゃって、何のために剣道をやってるのか、ってとこまできちゃう。この流れがとてもおもしろく描かれていると思いました。実は、私は保土ヶ谷に住んでいるんですが、この作家がその辺にいるんじゃないかと、最近きょろきょろしてしまいます。(笑)

バリケン:私も、ときどき飛ばしながらでしたけど、おもしろく読みました。最初は、まったくこの作品のことを知らないで読んだので、二人が交互に話しているというのに気がつかず、とちゅうで「あれっ!」と思って、また最初から読みなおしました。キャラクターはみんなデフォルメされていてマンガ的だし、なかでも西荻のお姉さんと巧がリアリティに欠けていて物足りないと思ったのですが、続編で活躍するということをいま聞いて、それならこれでいいのかな……と。

レン:読み始めたら、どんどん読まずにいられない力がありますね。語り手が交互になるところは、私は読んでいるうちに、「ああ、そういうことか」と気づいて、そんなにひっかかりませんでした。そういう仕掛けの本なんだろうなと思って。これって、磯山だけじゃなくて、西荻のほうもありえないキャラクターなんですよね。今の中高校生は、みんなもっとまわりを気にかけながら暮らしていると思うんです。ところが西荻は、天然ボケというのか、そういうところがなく自分のことに集中しています。それに、高校生の女子がこれだけ集まったら、実際は人間関係で毎日いろいろありそうだけれど、そういうドロドロしたところには触れていない。フィクションというのか、現代のおとぎ話として楽しむ作品だと思いました。

アカシア:香織と早苗のキャラや家庭環境は、ある程度戯画化されてるし、だれもが持っている気持ちを肥大化させてキャラクターをつくっていますよね。

トントンミー:だから、磯山は登場からしてもう、異様なんですよね。言葉づかいも「戯れ言を」なんて。そんな高校生いないですよ。

くもっち:最近こういうデフォルメしたようなの、多いかもしれないですね。

アカシア:わかりやすすぎるとも言えるのかも。生身の人間ってわかりにくいじゃない? もう少し生身の人間を描いて、これくらいおもしろいのがあるといいんだけどな。

バリケン:そういうものをこういう作品に求めるのは、ないものねだりなのかもね。自分の半径何メートルのことを丁寧に、感受性豊かに書くだけじゃなくて、「ジェミー……」みたいに、社会とか世界につながるなにかを書いてもらいたいって気がするけど……。

アカシア:そういうの、日本の作家は弱いところかもしれないな。

バリケン:何十年も前には、もっぱら天下国家を論じるような作品がけっこう書かれたことがあったけれど、そういうものへの反発が強いのかな?

アカシア:そういう大上段にかまえた作品がつまんなかったから、逆におもしろさだけを追求する作品が多くなったのかな?

バリケン:日本の児童文学作家で、社会的なことをおもしろく書ける人ってだれかな?

一同:沈黙

(「子どもの本で言いたい放題」2010年2月の記録)


ロジーナのあした〜孤児列車に乗って

カレン・クシュマン『ロジーナのあした:孤児列車に乗って』
『ロジーナのあした〜孤児列車に乗って』
カレン・クシュマン/著 野沢佳織/訳
徳間書店
2009.04

バリケン:おもしろい物語でした。孤児列車という存在そのものも知らなかったし、孤児を養子にしたいという人々のなかに、単に重労働をさせる働き手がほしいとか、重体の奥さんに代わる、次の女性を求めているとかいう人々もいて(もちろん、子どもとして、かわいがって育てたいという人たちもいるのですが)、当時のアメリカの様子が垣間見えるような気がしました。特に、物語のなかで汽車が通った地図も出ているので、アメリカの子どもは、ここでこんなことがあったのかと、より深く読めるでしょうね。訳はとてもていねいで、訳注がこれでもか、これでもかとばかり出ていて……これくらい訳注を載せるべきなのかと、ちょっと反省しました。
 ただ、主人公が職業訓練学校に行くのがどうしてもいやで、ドクターキャットといっしょに住むことにするという結末、職業訓練学校に行って、技術を身につけて独り立ちしたほうがいいのではないかと思ったのですが、どうなんでしょう? 家族を無くしてしまった子が、人との触れあいのぬくもりを求めて……という気持ちは分かるのですが、ひとりの人間の生き方として、誰かによりかかって暮らすよりいいのでは、とも思うんだけど。

アカシア:職業訓練校っていっても、私たちが持つイメージとは違って、孤児が行く場所だって書いてありましたよね? 孤児列車ではみんな新しい家庭に引き取られていったのに、自分だけだれからもほしがられなかったのは辛いと思うな。この子はまだ12歳だから、自分を愛して世話をしてくれる人が必要なんじゃないかしら? それに、女性が職業をもつことについては、女先生を通して著者は励ましのメッセージを送っていますよ。

メリーさん:とてもおもしろく読みました。こういう列車があることはまったく知らなかったです。孤児というので『あしながおじさん』のようなストーリーを想像しながら読みはじめたのですが、列車で旅する、ロードムービーのような物語でした。みんなより少し年が上で、お話をつくるのが上手な主人公、かわいいけれどちょっと間がぬけている女の子、さわがしい男の子など……列車の中が、一種の疑似家族で、旅が進むにつれて、お互いのきずなが深まっていくのがとてもいいなと思いました。自分が誰からもほしがられていないという現実は、主人公を深く傷つけます。そういう意味で、丘をくりぬいて家にしている家族との出会いは印象的でした。あの家の母親が、父親をいさめたとき、ロジーナは母の力強さとともに、自分を大切にするということを感じたのではないかと思いました。

プルメリア:私もおもしろく読みました。1880年代のことが、この作品からよくわかりました。新しい家族との出会いでは、期待より不安のほうが伝わってきます。少女ロジーナの家族構成が少しずつ明らかになっていく中で、いろいろな場面に出てくるお父さんの言葉が作品全体を明るくしているような気がしました。孤児たちは一人一人個性があって、性格がよくわかりました。大草原の穴倉で暮らす貧しい子だくさんの家族は、住まいも生活も大変なんでしょうが、実の母親に対する子どもたちの対応が希薄すぎ悲しく思いました。作品を読んでアメリカの土地感、気候、温度の違いがよくわかり、この物語といっしょに旅をし、いろいろな人に出会う体験をしました。

アカシア:私もとてもおもしろく読みました。普通この時代だったら、子どもがいろんな暮らし方の人に出会うことはあまりないでしょうけど、列車に乗っていろいろな場所に立ち寄っていくので、様々な暮らしぶりを垣間見ることができる。まず、その設定がおもしろいなと思いました。『のっぽのサラ』(パトリシア・マクラクラン著 金原瑞人訳 徳間書店)に出てくるような花嫁募集の広告が張り出してあるなど、その頃の情景も描かれているし。それから、どの子もとても子どもらしく描かれていますね。大人については、ロジーナを妻がわりにしようとする男や、孤児列車に自分の子を乗せておいてやっぱりやめようと思う親など、ずいぶんと身勝手な大人も出てくるけど、孤児に付き添うシュプロットさんとか女先生は、多面的・立体的に造型してあります。シュプロットさんが、子どもを奴隷代わりにしようとする男を殴るところがあったり、女先生も最初はむっつりして子ども嫌いに思えるけど、実際はやさしい心も持っている。そういうところが、物語に陰影をつけています。この時代の女性については、いろいろなタイプを出してきてますね。医者の資格を取ったけど仕事にあぶれる女先生、結婚して夢を失った穴倉暮らしの奥さん、花嫁募集広告に応じて見知らぬ土地へ向かうマーリーンさんなど、人生観もそれぞれ違う。最初はとっても嫌な子に思えるロジーナが、だんだん変っていく姿もきちんと描かれていて、ほんとにおもしろい作品だなと思いました。

セシ:うまい作家だなと思いました。『アリスの見習い物語』(あすなろ書房)など、前の作品もひきこまれましたがこれもぐいぐい。ロジーナは本能的に、自分自身の人権を守る方向に動いていくんですね。子どもたちがいっぱい出てきて、ときどきどの子がどの子かわからなくなってしまうんですけど、子どもらしさがあってよかったです。翻訳はとってもていねいな感じですが、ときどきひっかかりました。たとえば冒頭の11ページの5行目。「なぜ知ってるかというと…」というところは、目的語が何か、とっさにわからず読み返しました。

バリケン:穴ぐらの家の「ダグアウト」は、ローラ・インガルス・ワイルダーの「大草原の小さな家」シリーズにも出てくるし、花嫁募集の広告は『のっぽのサラ』にも出てきますね。でも、「大草原」のダグアウトは、なんだかとっても楽しそうだったし、のっぽのサラも、幸せな結婚をした。けれども、この本のダグアウトは悲惨だし、花嫁募集の広告で知らない土地におりたった女の人も、これからどうなるかと不安な感じがしますよね。いままで他の本で知っていたつもりのそういう事柄が、新しい側面でとらえられていて、おもしろかった。

アカシア:ダグアウトって、大草原シリーズのを復元したところに実際に見に行ってみると、すごくじめじめして暗い所なんですって。ローラ・インガルス・ワイルダーは、60歳過ぎて何の心配もなくなってから書いてるわけですから、すべてが楽しい思い出になっているんじゃないかな?

ダンテス:地図が載っているので、新しい土地名が出てくるとこの辺かなと確かめて楽しみながら読みました。時代のこともよく調べて書いていると思います。先住民が列車の連結部に乗らされて車両に入れないことなんかも、知りませんでした。アメリカの子どもたちはきっと喜んで読むかなと思います。作者の意図はどこにあったのかと気になりました。きっと孤児列車というものがあったことを伝えたかったんだろうな。そでに「感動の物語」と書いてあるので、最後はどうなるのかなと思いながら読みました。結局女先生と一対一になって、結末の予想がついてしまいました。ただ意外だったのは、少女の方から先生に言い出したことです。逆だろうと予想していましたから。「感動の物語」なんて書かない方がよかったのかなと思いますが、本を出す方はつい書きたくなるんでしょうね。行方不明になってしまって、牛のあいだで見つかったレイシーとか、もらわれてもすぐ出てきてしまう男の子とか、一人一人の書き分けも出来ていると思いました。

げた:この本は、12歳の少女ロジーナの目線、ロジーナの言葉で語っている本なんですよね。ロジーナの女先生への見方が、旅を続けるうちに変わっていくのがおもしろかったですね。最初は、ドクターが冷たくって自分たちのことはほうりだして自分の考え事ばかりしてるって思ってたんですよね。むずかる小さな子をどこかにほうりだしたんだとロジーナは思ってたんだけど、実はちゃんと病院に連れていっていたということを後で知って、女先生の見方も変わっていくんですね。ひどい大人ばかりじゃなくて、ちゃんと子どものことを守ってくれる大人もいるんだということがわかってよかったなと思いました。東から西にずっと鉄道の旅をしていくんだけど、本を読みながら読者も景色が変わっていくのを楽しめると思います。19世紀末のアメリカの歴史や事情にふれることができるのもいいですね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年1月の記録)


天井に星の輝く

ヨハンナ・ティデル『天井に星の輝く』
『天井に星の輝く』
ヨハンナ・ティデル/著 佐伯愛子/訳
白水社
2009.02

アカシア:いいなと思ったのはスウェーデンの若い人たちの気持ちがとてもリアルに書かれているところですね。主人公のイェンナは中学1年生なんですけど、思春期特有の偏狭な気持ちが片一方にありながら、殻を破って行きたいというのがもう片一方にあるっていうところが、うまく伝わってくる。ただ最初の方では、主人公のイェンナがウッリスのことをねたんで悪くばかり言うし、理由もなく乗馬スクールを辞めちゃうし、親友と言いながらスサンナのことはあまり考えていないみたいだしで、嫌な人物に思えてしまったんですね。まあ思春期のことなんかあんまり思い出したくないので、自分も持っていた嫌な面をつきつけられたような気がしたのかもしれませんけど。それから母親の癌をイェンナは隠すんですけど、母親は松葉杖をついて買い物に行ったりしてるわけだから、隠したってしょうがないのになんて思って、ちょっと物語の中のリアリティに入っていけない箇所がありました。冒頭で、イェンナは「母親が死んだら自分も命を絶つ」という内容の詩を天井の星の裏に隠し、最後はその詩を「母さんが死んでも あたしは生きていくよ。母さんのために」と書き換えて、また同じように星の裏に隠すんですね。その二つの詩の間でイェンナが成長したことをちゃんと書いている。そこはいいですね。あと、この本はきれいだな、と思いました。黄色と青と、この星が。

プルメリア:母が乳癌で死ぬという重い作品だったので、読むのが苦しかったです。なにかと控えめなスサンナと、とても自信満々のウッリスが関わり合う場面からストーリーの流れが自然とおもしろくなってきました。異性に対する思春期の揺れ動く少女の心情が伝わりました。ウッリスの行動も、スサンナやあこがれの男の子との関係も、リアルによく書けているなと思いました。13歳なのに、ワインを飲んだりタバコを吸ったり……国が違うとずいぶん子どもたちの生活や遊びも違うんですね。ガンと戦っている娘や母親をなくし一人になる孫娘を心配する祖父母の心情もよくわかり、母親の死をのりこえる子どもの心情が痛々しかったです。泣きながら読みました。

メリーさん:この物語は登場人物の心情や、シチュエーションがとてもリアルでおもしろかったです。ストーリーそのものには目新しさはないのですが、とにかく描写がすごいと感じました。特に、悲しみの表現といたたまれない気持ちの部分。母親とふたりの生活に、祖父母がずかずか入ってきてしまうことに主人公がいらだつセリフ「栓抜きは四番目の引き出しに入れることになっているんだけど!」。電話越しに母親と笑いながら話すのだけれど、それがかえってふたりの距離を遠くしている感じなどは主人公の悲しみをとてもよく描いていると思いました。また、祖父母が母親の使う歩行器をあからさまにほめるところや、お見舞いにいきたくない主人公の気持ちをわからないまま、冗談をいってはげますところなどは、気まずい雰囲気が細かく描写されていて、こちらがいたたまれない気分になりました。

バリケン:ウッリスがイェンナのお母さんを助けたところは、その場面でははっきり書いてないけれど、お母さんが亡くなったあとで、実はお母さんもそのときにウッリスにとてもいいアドバイスをしてあげていたということを、主人公が知るわけですよね。それで、主人公も悲しみにくれるだけではなくて、一歩踏みだしてみようという気持ちになる。生きていこうと思う。亡くなったお母さんが、ここのところで娘の背中を押してあげているわけで、とってもうまい書き方だと思って感動しました。
ストーリーはとても単純なんだけど、細かいところが実によく書けている。特に余命あとわずかの母を持つ娘の怒りやいらだち。実際に家族が癌になったりすると、まず最初にぶつけどころのない怒りを感じると思うのね。主人公も、自分の怒りやいらだちをウッリスに向けたり、おばあちゃんに向けたりしている。それから、スウェーデンの十代の子の暮らしの様子……男の子との交際や、お酒やタバコのことなどが分かって、おもしろく読みました。周囲の大人たちも、日本と同じように、そういうことに対して眉をひそめるけれど、だからといって教師がすぐに停学だの退学だのとは言い出さないのよね。主人公の友だちの、奔放なウッリスと、優等生のスサンナも、うまく書きわけられていて、おもしろかった。

セシ:言いたいことはもうほとんど出尽くした感じですが。「天井に星の輝く」というタイトル、最初は意味がわからなかったのですが、天井にはった星が出てきたところできれいなイメージだなと思いました。物語が進むにつれて、ウッリスへの見方、関係がどんどん変わっていくところがよかったです。ただ、ここに出てくる中学生の行動や言葉づかいは、私の周囲にいる日本の中学生のそれとはかけはなれていて、日本の読者がすんなりと物語に入っていけるのかなと思いました。スウェーデンだからこんなふうだと、すぐに頭を切りかえて、違いをおもしろがって読めるんでしょうか。

げた:確かに表現的には13歳にしてはちょっとというところもありますもんね。訳者あとがきにも日本の読者の目には少し早熟に映るかもしれないとあったけれど、日常生活は日本の子どもたちに比べると随分早熟に見えますね。でも、体と心のバランスがとれていないところがあって、中身そのものは中学生かなって思いました。天井にはった星の下に隠している国語の時間に書いた詩が、「命をたつよ」から「母さんが死んでもあたしは生きていく」って成長していくところって、そんなに日本の中学生と変わらないなと。行動自体は、お酒やたばこが頻繁に出てきたりして、かなり過激だけど、友だちとの関係は日本の子どもたちとそんなに変わらないかなと思います。私は祖父母との関係が気になったんです。祖父母は一生懸命孫になんとかしようとしているのに、イェンナは受け入れられないんですね。匂いがいやだとか何とか言って。マリッサっておばさんには、違和感なくなじんでいるんだけど、彼女には母を感じられるからかな。文章は、全体的にちょっと読みにくい感じはありました。

こだま:聞き慣れない名前がいろいろ出てくるんで、男か女かわかんなくなっちゃうんですね。

ダンテス:おばあちゃんと孫の間の人間関係が、うまくいっていない。両者とも娘・母親のことが心配なのに、気持ちがつながらなくてすれ違っていることが、この作品のベースにありますね。この作品の中では、おばあちゃんとの関係がうまくいかないことからも、母親が死んだら自分も死ぬという思いを強くしていたのかも。ウッリスがおかあさんにカードを贈っていた、というのは、ウッリスと主人公の関係性の改善につながるよくできた伏線だと思いました。スウェーデンのカルチャーや、若者の現実をそのままうつした作品なんんでしょうね。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年1月の記録)


虎と月

柳広司『虎と月』
『虎と月』
柳広司/著
理論社
2009.02

セシ:おもしろいと思ったのは、作者自身が長年愛読してきた好きな作品を、こんなふうに翻案して今の読者に近づけたこと。それから、このちょっととぼけた軽妙な語り口。中島敦の『山月記』と比べてみてはいないのですが、お父さんさがしというストーリーで、冒険小説のように読めました。

バリケン:この本も、とてもおもしろくて、最後まで一気に読んでしまいました。若い人たちは、みんな『山月記』を教科書で読んでるんですってね。私も昔読んだっきりで忘れていたので、筑摩書房の「現代日本文学大系」をひっぱりだして、読みなおしました。『山月記』は変身物語だけれど、『虎と月』は最後は本当に虎になったわけじゃないんですよね?

アカシア:なったかもしれないし、ならなかったのかもしれないという、オープンエンティングなんじゃない?

バリケン:『山月記』を下敷きにして、まったく違うストーリーにしているところがおもしろいですね。ミステリー仕立てで、読者をぐいぐいひっぱっていくし、語り口も軽妙で、とてもうまいなあと思いました。漢詩で謎解きをしているわけですが、私はまったく詳しくないので、感心するばかりでした。中島敦は代々儒者の家柄で、伯父さんたちも漢学者だったということですが、この作者もたいしたものだと思いました。柳広司さんの作品は、十代の子どもたちによく読まれているようですね。すらすらと読めるし、子どもたちにぜひ薦めたい一冊だと思います。

メリーさん:『山月記』は教科書に載っていました。その時の中島敦の説明もとてもよく覚えています。それから、名作の続きを自分で創作する、という国語の授業も思い出しました。漢詩の素養はまったくないのですが、一文字変わると、詩全体の意味がこれほどまでに変わるのか!と驚きました。今の高校生は『山月記』をよく知っているので、この本をおもしろく読むのではないかと思いました。一つだけ、本文の書体がゴシックなのには、ちょっと目が疲れました。

プルメリア:表紙を見て現代の話かと思って読み出したら、昔の話でした。個性豊かな人物が登場し、キャラクターがおもしろかったです。漢詩の文字のトリックは、さすがでした。お父さんはどうなっちゃたのかな? 父親の存在がはっきりしないとことがかえっておもしろいのでしょうか。文章が、まとまって書かれているところと、一行ずつの文体になってわけて書かれているところが気になりました。

アカシア:私も『山月記』をひっぱりだしてもう一度読んでみたら、あっちは結構難しい話なんですね。詩で認められたいと思う男が、「尊大な羞恥心」(自意識ってことかな)のせいで果たせず、その思いが肥大化して虎になってしまう。中学生くらいで、そんなことわかるのかな? それと比べて、こっちは子どもにもわかるおもしろい話になっている。最後の2行は、『山月記』とまったく同じ。うまくおさめていますよね。虎になるというのも重層的なイメージで描かれていて、怒りが爆発して暴れるのも虎、瘧にかかるのも虎、義賊も虎、そして本物の虎も登場するんですね。お父さんはどうなったんだろうという興味で読んでいくと、いろいろな「虎」が出てきて、次々に謎がふくらむ。ちょっと気になったのは、14pでお母さんが袁參をめかしこんで訪ねていき、帰ってから「少しも気のきかない男だ」となじる場面があるんですけど、妾にでもしてもらおうと思ってたんですかね? こんなに軽い女に書かなくたっていいじゃないかと私は思ったんですけど。でも、お父さんが家族のもとへ帰らなかったことの伏線なのかな? お父さんが義賊になっただけなら、この子が訪ねていったときに、村人たちはもっとストレートな反応をするんじゃないかと思うので、やっぱり本当の虎になったという可能性を残しているんでしょうね。

げた:この本の元は中島敦の『山月記』なんですけど、『山月記』も中国の「人虎伝」を種本に書かれたものなんですね。戦前「人虎伝」ブームというようなものがあって、佐藤春夫や今東光が翻訳したりしているようですよ。このことについては中島敦生誕100年っていうのでいろいろ本が出ています。才能はあるのに、認められず不遇であった李徴が、同僚官僚であったところの袁參に妻子の援助を頼むという話なんだけど、『山月記』が国語の教科書に載っているのは、李徴イコール中島敦を哀れんだ、袁參イコール文部官僚氏によるものらしいですよ。私は『山月記』よりも、この本のほうが、今の中高生にとってはずっとおもしろく、楽しめるんじゃないかと思いました。

ダンテス:作者のこと、詳しいことは書かれていませんが、高校の国語の先生でもやっていた方かなと推測しました。私もおもしろく読ませてもらいました。軽いのりの文章ですが、中身は教養が溢れていておもしろいなと思います。不思議な老人は李白のイメージ、伏線もよく計算されています。

(「子どもの本で言いたい放題」2010年1月の記録)


走れ UMI

篠原勝之『走れUMI』
『走れ UMI』
篠原勝之/著
講談社
2008.1

プルメリア:子どもが持ちやすい、手に取りやすいサイズの本。マウンテンバイクが大好きな少年が、離婚したお母さんの実家に行き、夏休みに自転車屋を営んでいるお父さんの家に戻ってくる。少年の葛藤が描かれている成長物語かなと思いました。お父さんと少年が、足の悪い犬を船に乗せて海にタイをとりにいく場面は大変ていねいにかかれていると思いました。両親が離婚をした家庭に育った子どもには、少年の生き方に共感する部分があるのではないのかな。お父さんのもとに戻ってきた少年に接する大人たちに、あたたかさを感じました。

カワセミ:決して悪い感じではないんですが、全体にいじましい感じがして、読んでいてあまり楽しくなかったですね。主人公も出てくる大人たちも、みなそれぞれの境遇で一生懸命に生きている姿がよく描かれているけれど、現状維持に精一杯で、正直に生きていてもなかなか殻をやぶれない、先へ進まないもどかしさがありました。「旅をする少年少女」というのが今回のテーマだったけれど、元の家に戻るだけだし、主人公があんまりジャンプしないし、お話も同じところにとどまっているので、物足りなかった。せっかく自転車なのだから、もっと爽快でも良かったと思います。

ぷう:すごくいやな感じがするわけではなく、わりと感じよく読めたのは事実です。ただ、ゲージツカのクマさんの作品だというのがまず頭にあったので、その印象が強くて。アングラの小劇場系の男性で、幼少期には、昔街角にあった黒い木製のゴミ箱にひとりで入って、板の隙間から見える外の世界を飽かず眺めていた、というようなエピソードがこちらの知識としてあるものだから、どうしてもそういう人が作った作品という感じで読んでしまいました。一言で言えば、一昔前の不器用な男の子のひと夏の物語で、そういうものとしては、なるほどなあ、と思って読めました。いいなあと思ったのは、大人が少年を主人公に書いたものにありがちなノスタルジーになっていないところ。子どもの成長が著者にとっての現在形として書かれているところかな。嘘がないなあと思った。それと、作者がかなりの釣り好きなので、海の怖さや獲物を釣り上げる快感といったものがよく書かれていると思いました。とにかく、男の世界、という感じで、正直だし嫌だとは思わなかったけれど、全体に世界としては古い。今の子にどう受け取られるのかなあ、というのは疑問として残りました。

セシ:私はおもしろく読みました。閉塞感のある田舎町で、出ていくわけにいかずに、淡々と生きていく父親、祖父というのがよく書けていると思いました。もう少し年長の子が主人公になった日本の作品は、大人の影がとても薄いけれど、これはまだ主人公が6年生で、大人のもとにいるしかない年齢だからか、大人の存在感がありました。意味のよくわからない、なぞなぞのような話をするジイチャンというのもいいですね。自転車修理や、タイを釣りにいったときにウロコがはりつくところとか、細部がきちんと書かれているので信頼できる感じがしました。ただ、タコヤキ屋のミサキちゃんのお父さんがコロをはねたと謝りにくるというのは、作り話っぽくなるので、なくてもよかったのではないかな。

バリケン:私も、気流しで坊主頭のあの人が、こういうものを書くんだなあと、まず、その点がおもしろかったです。文章も達者で、するすると違和感なく読めました。ただ、男の人は念入りに生き生きと書けていると思いますが、お母さんとか、みさきちゃんといった女の人の書き方が、イージー。みさきちゃんが登場する場面も、どっかで前に何度も読んだような……。作者は北海道出身ということなので、子ども時代の思い出をそのまま書いたわけではないと思いますが、思い出がベースにはなっているんでしょうね。時代背景のようなものがどこにも出てこないけれど、その時代につながるなにかがあれば、もっと奥深い作品になったのではと思いました。釣りの場面など、知らないことが出てくるのでおもしろかったけど。

ハリネズミ:これは、朽木祥さんの『風の靴』と争って、小学館児童出版文化賞を取った作品なんですね。よかったのは、細部の描写。たとえば、P63「茶の間の黒光りした太い柱。大きな古時計が、偉そうに一秒一秒、大げさな音を響かせている。時報を打つ前のわずかな時間、グズッとジイチャンが洟をかんでる音に聞こえた。ゼンマイがほどける音らしい」とか、釣りの場面など、観察が行き届いていて臨場感が出ています。洋が自転車で鯨の浜へ行くことを、単なる逃げではなく自分への『宿題』としているところも、いいですね。だけど、女の人や女の子の書き方には、物足りなさを感じました。お母さんは、なんで急に別居するんでしょう? 子どもの視点で進むのでくだくだ書く必要はないけど、なんか一言で背景をうかがわせるような言葉でもあれば、と思いましたね。みさきちゃんのイメージも、よくあるタイプ。うーん、悪くないけど、大傑作とは思いませんでした。コロにたこ焼きを食べさせるところは、どうなんでしょう? 犬にはイカやタコを食べさせるなって、よく言いますけどね。

げた:わりにシンプルな感じで、ストーリーはまあおもしろく読めました。気になったのは、お母さんのことがよくわからないところ。なんで、急に具合が悪くなったのか、お父さんとの関係もよくわからない。もう少し、お母さんについて書いてくれるとすっきりするのになあと、私も思いました。このお父さんの自転車屋さんもそうだと思うんだけど、町の自転車屋ってきっと経営が厳しいんだろうなと。だから、別居することになっちゃったんじゃないかなあなんて思いました。主人公の友だちのことも、ていねいに書かれていないんじゃないかな。みかん山の子どもたちが、いじめっ子なだけで終わっていて、一人一人があんまりわからない。みさきちゃんも、こういうのにはよく出てきそうなポニーテールできりっとした感じの女の子で、ステレオタイプというか、ありがちな設定だな。ただ、お父さんが漁で足をなくしたということについては、私の漁師の友だちが、魚を採っている時に腕をリールにはさまれて大怪我をしたという事故を体験しているので、現実感のある、身につまされる話だなと思いました。

カワセミ:186ページの、「液晶画面に点滅するちっぽけな一粒が、どこまでも広がる真っ暗な海に漂う、僕と父さんとコロに見えた」というところが、意味がよくわからなかった。操舵室からとびだしているのに、どうして液晶が出てくるのかな?

ぷう:魚群を探知するレーダーのことじゃないかしらん。179ページの5行目に出てきますけど。

カワセミ:「見えた」だと、その場で見ているみたいじゃない? 「思えた」だったらまだわかるけど。

ハリネズミ:あと、ちょっと盛り込みすぎの感も。お父さんは片足を失って、犬は下半身部髄。お母さんはウツで家を出て行き、僕はいじめられる。釣りもあれば、お祭りもある。船に乗れば遭難しかかる。いっぱいありすぎて、心理描写がうすくなっちゃったのかな。ドラマチックではあるんですけどね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年12月の記録)


トゥルビンとメルクリンの不思議な旅

ウルフ・スタルク『トゥルビンとメルクリンの不思議な旅』
『トゥルビンとメルクリンの不思議な旅』
ウルフ・スタルク/作・絵 菱木晃子/訳
小峰書店
2009.08

げた:よくわからないというのが、正直な感想です。言葉の裏のしかけや謎がいまいちわからないんですよね。私の頭が固いのかもしれないけど。旅に出て、不思議な体験をして、無事戻ってこれてよかったね、それだけ。全体がうまくつながらないんですよね。スタルクが書いて菱木さんが訳してるので、きっといい作品に違いないと思って読んだんだけど。よくわからないまま終わってしまいました。小さい子どもが素直に読んだほうがこの本のよさがわかるのかもしれないですね。

ハリネズミ:私もスタルクと菱木さんのコンビだからおもしろいに違いないと思って読んだんですが、よくわかりませんでした。寓話なんでしょうけど、骨格をつくっているものが伝わってこないので、もどかしい。家族っていう視点で見ると、お父さんを捜して旅をするんだけど、最後は「青い鳥」みたいに戻ってきたらそこに家族がいたっていう話ですよね。血のつながらないウルバーンと新たな家族をつくるんですもんね。欧米の児童文学には、血のつながらない人たちが新たな家族をつくる話がたくさんあって、これもその系統なのかもしれません。それにしても、サーカスの犬や女の人は、その後どうなっちゃったんでしょうね? 子どもの本ではないのかもしれませんね。

バリケン:私もスタルクと菱木さんのコンビなので、とても期待して読みました。兄弟で父親探しの旅に出て、おしまいに幻の家族ではない、血のつながっていない家族を作るという話なのかも……とも思いましたが、こういう作品は何を書いてあるかなんて考えながら読むべきではないのかも。作品の雰囲気や、いなくなったお父さんが飛行士のかっこうをしているというところから、『星の王子さま』へのオマージュなのでは?という気もしました。それでも、なにか手がかりがほしくて、「訳者あとがき」を読もうと思ったのですが、ないんですね! 訳者の菱木さんも、先入観なしで作品の世界にひたってほしいと思っているのでしょう。原書のタイトルは『トゥルビンとメルクリン』なのに、翻訳では「不思議な」がついているところを見ると、訳者にとっても不思議な作品だったのかも。でも、いやなものを読んだ感じはしないし、「ダチョウを飼っている、時計屋のおじいさん」のようなイメージは、のんきで好きです。明るさのなかに、ちょっと寂しさがある、美しい音楽を聞いたような……。

セシ:登場人物二人の世界がわかりませんでした。どう解釈すべきか、そのうちわかるようになってくるかと思って読み進めるのだけれど、最後まで読んでもやっぱりダメで。イエス様の人形をポケットに入れて旅に出て、157ページで飼い葉桶に寝かせるから、ある種のクリスマスストーリーなのかな。二人の会話がかみあわなさかげんがおもしろいのかもしれないけれど、フィクションの楽しみ方を知っている子どもでないと楽しめないのではないかなと思いました。見た目は3、4年生から読めそうだけれど、きびしそうですね。やっぱりYAでしょうか。だれに手渡したらいいのか、わかりにくい本だと思います。

ぷう:よくわからない本ではありましたが、味としてはかなり好きでした。相当好きかもしれない。年が離れたこの兄弟が、ふつうの仲良しでなく、お兄さんがかなり威張っているのに、弟がそれに不満を持つわけでもなく、なんとなく関節の外れたようなかくかくっとした関係で、それでいて結局はずっと一緒に過ごしていくという、この二人の関係の不思議さが妙に後に残りました。片方がもう片方を完全に支配しているわけでもなく、お兄さんが「本を読んであげよう」というと弟が「読まなくていいよ。考え事をしたいから」とすっと返すあたりは自由だし。かと思うと、二人でごっこ遊びのようにして砂を食べたつもりになってみたり。不思議で訳がわからなくて、でもなんだかおかしい。かえって低年齢の子のほうがいいのかな?と思ってみたり。わりと淡々とした感じなのだけれど、へんてこな二人のへんてこな関係を、変なやつ!とならずに書いてあるのが、この作者の力なのかな。最後に待っている人がいるっていうところも、なんとなく安心できますしね。

カワセミ:スタルクは、子どもの心理を絶妙に描いて、読者が一つ一つ納得できる描写をする人なので、この作品は意外でした。作者名を見ないで読んだらスタルクとは思わなかったかも。今まで書いたことのない雰囲気のものにチャレンジして、読者をあえて裏切ろうとしたのかしら。私もすぐに『星の王子さま』に雰囲気が似ているな、と思いました。34ページのミミズの出てくる場面、2人の問いと答えがちっともかみ合わないので、何を言いたいのかさっぱりわからない。わからないまま先に進んでしまう。おしゃれな雰囲気というのでもなく、ナンセンスというのでもなく、わけがわからないお話でした。

ぷう:このお兄さんって、ほんとうに変ですよね。だって、出かけるときだって荷物はほとんどお兄さんのもので、ひょっとすると弟のことなんかほんとうは考えていないのかも、と思わせるけれど、でも、いやなやつ!と言い切れないところがこの作品の特徴みたいな気がしました。

プルメリア:登場人物が少ない。二人のやりとりや行動はかみあわないけど、たくさんある挿絵にささえられています。兄をお父さんかなと思って読んでいましたが、ちがっていました。時計屋さんのガチョウの行動がおもしろい。砂漠の場面は「星の王子さま」風に見えました。「あとがき」がないのが残念。

カワセミ:スタルクの邦訳書は、はたこうしろうの挿絵が付いているのが多いけど、ちょっと絵の感じが似てますね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年12月の記録)


靴を売るシンデレラ

ジョーン・バウアー『靴を売るシンデレラ』
『靴を売るシンデレラ』
ジョアン・バウアー/著 灰島かり/訳
小学館
2009.07

プルメリア:この作品、すごくおもしろかったです。タイトルも表紙もいいなって思いました。プロローグからひきつけられて一気に読みました。おばあさんはアルツハイマーだし、離婚したお父さんが酔っ払ってアルバイト先にたずねてきます。家族の悩みがあっても、主人公ジェナの前向きに生きる明るい行動がすてきです。ジェナの靴に関する意気込み、専門的な知識、熱意をもって仕事をする姿勢に、最後までひきつけられました。

カワセミ:最近のYAのリアリズムのお話は、主人公が冷めた感じで、まわりの大人を簡単には受け入れないといったものが多いと思うんですけど、この子はいろいろなことを素直に受け入れる。まわりのどこかしら欠陥のある大人たちへの接し方を見ても、根本的な性格として人が好きっていうのがわかり、好感が持てました。悩みをかかえ、失敗もするんだけど、何とか良くしていこうっていう前向きなところ、まだまだ大人じゃないけれど、しっかりと自分の頭で考え、行動するところがよかった。ユーモアのある描写もあり、おばあさんの社長を乗せて慣れない運転をしてアメリカの道路を突っ走っていくっていうのも、その場面が見えてくるみたい。映画を見ているような感じでした。うまく起承転結がつけられていて、最後は主人公なりの成長がわかって満足感がある。ものを売るということの哲学もおもしろかったです。

ぷう:私は、このタイトルに引っかかりました。シンデレラ、といわれたとたんにこちらに、「ふうん、女の子が王子様に見いだされるとか、誰かに見いだされてハッピーエンドになるとか、そういう話なんだ」という構えができちゃって、それが邪魔になる気がしました。作品としては、自分が打ち込める仕事を見つけた子のはつらつとした感じが描かれていて、サクサクと読めました。途中で社長に引き抜かれるあたりは、いかにもアメリカという感じ。ある種のアメリカン・ドリームなんですね。それに、この子がすさまじくタフな社長に負けずに運転手を務めていく、そして時には社長に口答えするなんていうのも、なかなかスカッとしていて気持ちいいですね。結末も、この子にとっては外の世界である店のこともお父さんのこともうまく終わって、読後感がいい。一つだけ、途中でハリーさんという店長が急に死んでしまうのだけは、あれ????と思いましたけれど。とにかく、どんどん読み進められる本でした。

セシ:まだ途中までしか読めなかったのですが、ぐいぐい読まされました。職業倫理というのかな、安かろう悪かろうじゃなくて、本当に大事なのはこういうことだよというメッセージが根本にあって、大人の世界も捨てたもんじゃない、生きるっていいな、と思わせてくれます。

ぷう:この子にとっては外の世界である店のこと、あるいは社長との関係でこの子自身が成長して、それが最後に身近な父親との関係で現れる、というのはうまい造りだなと思いました。それに妹のことも、書き込んではいなくても、それなりにきちんと決着をつけようとしているみたいですし。主人公は妹にずっとコンプレックスを持っていて、でもその一方で妹を父親から守っていたのだけれど、最後には妹もその事実を知る、という話を入れたのは、作者が妹がらみの筋を決着させるためですよね。

ハリネズミ:さっとおもしろく読んだし、いいところについてはみなさんと同じ感想なんですけど、ちょっとひっかかるところがあってね。女社長さんの言葉なんですけど、「運転はていねいかね」とか、「……かね」というのがしょっちゅう出てくるの。「……かね」なんて、70代の女性で使う人いるのかしら?

セシ:男っぽくしたかったのかも。

ぷう:威圧感のある人にしたかったんですかね。

ハリネズミ:その口調のせいで、マンガっぽくなってしまってる気がしました。それから、最後のページの子ガモがいるというところで、「ここにも戦って勝った子がいる」っていう言葉が出てくるんですが、そこは物語の本質がすりかわっちゃうんじゃないかなと不安になりました。この物語は、競争社会で戦う話ではなくて、自分自身とたたかって一歩前へ進むという話だと思ったのに、この言葉があるせいで、妙に安っぽくなってませんか? リアリティという面では、アメリカの株式会社がいまどき世襲、っていうのもマンガっぽいのかな。軽いノリだから、逆に本を読まない子でも読めるというところにつながってるのかもしれませんけど。

カワセミ:リアリティという点からいえば、誇張されているところがあるわよね。

げた:コミックを思わせるような感じ。だから、リアリティってことについては、16歳にしては何十年も人生体験や職業体験がありすぎる感じがしたけど、話としてはそのほうがおもしろいのかな。拝金主義で、利益さえ上げればその過程はどうでもいいという今の風潮の中で中・高校生に警鐘を鳴らすという意味では、現実にはありえない話だろうけど、こんな本があってもいいかなと思いました。こういう題材をここまで扱っている本はあまりないですよね。単により多くの金を稼ぐことを目的にするのじゃなくて、仕事や商品に心をこめて、お客さんに喜んでもらえることを第一に考えることそんなメッセージがあふれている本です。だから、大人にもおすすめの本かな。

ハリネズミ:そういう職業倫理のようなものは、『幸子の庭』(本多明/著 小峰書店)でも取り上げられてましたね。

バリケン:『こちらランドリー新聞』(アンドリュー・クレメンツ著 講談社)も、職業を扱っていましたね。

ぷう:この作品は、利益第一のウォール・ストリートとはまた別のアメリカの伝統的で健全な職業倫理を描いた作品でもあって、だから好感が持てるのかもしれませんね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年12月の記録)


特急おべんとう号

岡田よしたか『特急おべんとう号』
『特急おべんとう号』
岡田よしたか/作・絵
福音館書店
2009.03

バリケン:私は、自分でうまく書けないせいか幼年童話にはすごく甘いので、幼い子どもたちが笑ったり、幸せな気持ちになったりする本は、無条件で「いいな!」と思ってしまうんです。翻訳物だと、子どもにわからない言葉はあまり使わないようにするんだと思いますが、創作だと作者の勢いで結構むずかしい言葉も出てきますね。『特急おべんとう号』も『パンダのポンポン』も文章に勢いがあってすらすら読ませます。『特急おべんとう号』は、特に語り口が巧みだと思いました。ただ、メザシが汽車の中で寝ているところ、顔が妙にリアルなので(p102、103)、なんだか生々しい感じがしました。メザシって、お弁当に入れるのかな?

プルメリア:小学校1年生の図書の時間に、この本の読み聞かせをしました。遠目では絵が見えにくいと思ったんですが、読み聞かせをしたらすごく喜んで「きゃあきゃあ」いって、納豆が出てくる場面ではたいへんはしゃいでいました。読み聞かせ後、お笑いでも耳にしている関西弁がおもしろいと言っていました。会話が緑の字で書いてあるので、読み聞かせするときに読みやすかったです。子どもたちは、イワシは知っているけれど、メザシは知らなかったので説明を加えました。最近の子どもたちは、魚をあまり食べないんですね。「誰が1位になると思う?」と聞くと「納豆、納豆!」と言って、本当に1位になると喜んで拍手していました。金魚がでっかくなるところ、特に男の子が気に入って喜んでいました。絵はダイナミック、文は現代風でおもしろかったです。あまり推薦リストなどには出てこない本だけど、今回出会えてよかったと思いました。次がどうなるかわからないワクワク感がありました。

ハリネズミ:私は、文章はおもしろいけど、絵が気持ち悪くて、食べ物がおいしそうに見えませんでした。中途半端に漫画風な絵ですけど、これでいいんでしょうか? 文章にしても、p24に「観戦中だったのりせんべい、かしわもち、おはぎ……」とありますが、絵を見ると人間しか観戦していない。もっとちゃんとつくってほしいな、と思いました。

カワセミ:おもしろく読みました。このどぎつい絵には好き好きがあると思うけど、ギャハハッと笑ってどんどんページをめくれるおもしろさがあると思います。かまぼこが転倒してゆでたまごを直撃し、ゆでたまごがダウンなんて、おかしかったし、雨が降ってくるところは、まさかの展開で、雨のおかげで納豆がすべるように速く走ったなんておもしろいと思いました。

げた:もうちょっと大きな絵本のほうがいいのかなという気がしました。お弁当のおかずたちが走ったり旅行したりするというのも荒唐無稽なんだけど。絵も第一印象ではちょっとどぎついかなあと思いました。でも思ったより、おもしろく読めることは読めました。ただやっぱり食べ物が道路を走っているのに、なんとなく違和感がありますね。あまりそんなことを考えちゃいけないのかな、とも思いますけどね。絵そのものは、子どもたちの心をひきつけるのかなあ。だからこそ、大判の絵本にした方がいいと思います。

ハリネズミ:この絵は、おいしそうなんですかね?

バリケン:実をいうと、いろんな食べ物がごちゃごちゃしているので、生ゴミのような感じがしないでも……。

げた:やっぱり食べ物は器にはいってないとね。

カワセミ:でも、ふつうは器にはいってる食べ物が、はいずりまわっているところがおかしいんじゃないの?

ハリネズミ:私は、中途半端にリアルな感じがしました。リアルじゃないところとリアルなところがごちゃまぜになっているので、頭の中で収集がつかなくなる。

カワセミ:あんまり深く考える本じゃないのよ。

ハリネズミ:文章の調子はおもしろいと思ったんだけどね。

カワセミ:普段読み物を読まない子が、これならアハハと笑って読めて、次に何かほかの本を読んでみようと思う、呼び水的な本じゃないのかな。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年11月の記録)


パンダのポンポン クリスマスあったかスープ

野中柊『パンダのポンポン クリスマスあったかスープ』
『パンダのポンポン クリスマスあったかスープ』
野中柊/作 長崎訓子/絵
理論社
2005.12

プルメリア:幼年童話っぽい作品で、ほのぼのしていておもしろいと思いました。コアラの元気な雰囲気が出ているし、キリンの特徴も出ているし、動物1匹1匹の役目があるのかな。p148で、「真っ白な雪」「がちらり、ちらり。」というのは改行が間違っていると思います。子どもは、「がちらり」と読んでしまうので、配慮してほしいな。トナカイのサンタはあまりかわいくなかったです。

ハリネズミ:私はおもしろいと思えませんでした。C・S・ルイスが児童文学論で、子どもの本だからといって食べ物を出せばいいということではない、と言ってますけど、これはその例じゃないのかな。かわいい動物と食べ物が出てくればいいってもんじゃないでしょう。内容も、消費マインドにのっとって書かれているような気がして、新鮮味もないし、私は入っていけませんでした。

カワセミ:私もシリーズの1冊目が出たとき、低学年向きのとてもおもしろそうな本が出たと思って期待して読んだんですけど、裏切られたんです。この3冊目も同じでした。絵は楽しいんですけどね。p107の「あれあれ? どこへ行くのかな?」のような文を入れるのって、幼年童話だからと思って入れるのかもしれないけれど、小さい子は主人公になりきって読むので、誰が言っているのかわからないような言葉はかえって混乱を招くと思います。それにこの本は、1冊に3つのエピソードが入っていますが、幼年童話にしては文章が多いし総ルビとはいえ漢字も多い。それに「笑みがひろがりました」とか「念じていました」とか、子どもの言葉ではないですよね。だからといって3、4年生向きだと話が幼稚すぎる。本のつくり方がどっちつかずだと思います。それから、肝心のポンポンのキャラクターがはっきりしてないし、おもしろくなかったですね。キツネのツネ吉なんてネーミングもどこにでもあるし。

げた:この本は、子どもたちには人気があるようです。ですからこの本の良さは何なんだろうな、と考えたんです。そんなに筋に起伏があるものではないので、筋を楽しむということじゃないんですよね。それよりもとにかく、順番にいろいろな動物が集まってきて、パーティーが始まって、楽しく過ごすんですよね。たくさんの友だちが集まってあたたかい場所がつくられ、友達っていいなあというやさしい気持ちになれる、そんなところがいいのかな。出てくる動物の名前はちょっとだじゃれっぽいけれど、すごくぴったりだと思いました。

ハリネズミ:名前の付け方は、カワセミさんがおもしろくないと言ってたけど?

カワセミ:ほかはおもしろいけど、ツネ吉だけが陳腐だと思ったの。

げた:コブラのラブコとか、おもしろいですね。

プルメリア:それって、言葉の並べ替えでしょ?

ハリネズミ:スーパーでいっぱい物があるといって大喜びしてますけど、ずいぶんとモノ志向ですよね。作者は子どものころそういう感動をもったのかもしれないけれど、今の子は感動しないんじゃないかな。

バリケン:なぜ子どもがこういう本をこんなにも喜ぶのか、それから、喜ぶからという理由だけで書いていいのか……うーん、さっき私が言ったことと矛盾するかもしれないけれど、幼年ものの永遠の課題よね。p88で、「ララコがたいせつにしている花たちが、このパーティーをいっそうはなやかなものにするのだと思うと、うれしくてなりません。」というのは、小さい子にはわかりにくい文章ですね

ハリネズミ:ポンポンのキャラクターづけがはっきりしていないという意見があったけど?

バリケン:だいたいパンダ自体、他の動物ほどキャラクターがはっきりしていないんじゃない?

げた:みんなを楽しませる役というところでしょうね。

バリケン:MCみたいな役割ね。

げた:でも幼年童話とはいえないですね。中学年向きですね。

プルメリア:最初の2ページは絵があって字が少なくて読みやすいと思いましたが、そのあとは急に字が多くて低学年には無理。最近の子は、本が厚いと手に取らない傾向があります。読まないんです。字を大きくして、字と字との間隔があいていれば読めると思いますが。

ハリネズミ:中学年が読むには内容が幼稚すぎるという意見も出たわね。1話ずつ1冊にして、1、2年生が読みやすいつくりにしたほうがよかったのかもね。

(「子どもの本で言いたい放題」2009年11月の記録)